これまで「水平社創立宣言の実像と深部について」という評論を6回掲載してきましたが、今回の第7回目で最終 

とします。省略したところも含めて、改めて文章を推敲して、文芸誌『革』第36号(2022 春)に掲載する

予定です。なお、『革』第35号が9月25日に発行され、私の評論「自然主義の精神―徳田秋声から中上健次、

そして善野烺へ」(解放文学の軌跡 第3回)も掲載されています。申し込みは、〒651―2202 神戸市西

区押部谷町西盛584―1 善野 烺方 「革の会」事務局まで。

はじめに

1 同時代の思想と表現

民族自立運動としての水平社運動(第1回)

ネグリチュードの誕生(第1回)

西光万吉、平野小剣の場合(第2回)

 

2 水平社創立宣言への序曲(略)

「檄―民族自決団」

近代日本と人種主義

  水平社創立宣言の序曲

 

3 「特殊」の中の「普遍」―水平社創立宣言

   水平社創立宣言の成立事情と評価をめぐって(第3回)

反逆の措辞―「特殊部落民」の使用(第4回)

   現在の秩序の変革への意志(第5回)

   集団的アイデンティティの創造(第6回)

   人間主義への飛翔(今回)

 

4 水平社創立宣言の批判と回収(略)

部落民意識運動の失速

水平社創立宣言の全面否定

   ネグリチュードの批判―サルトル「黒いオルフェ」

  ファノンとネグリチュード―『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われたる者』

 

おわりに―水平社創立宣言の現代的意味(略)

ゆめネットみえ通信

3 「特殊」の中の「普遍」―水平社創立宣言

人間主義への飛翔

水平社創立宣言は、その「結び」のところで、自らが見出そうとした未来のイメージと自らが引き受けるべき使命について次のように語る。

 

  吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によって、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いたわ)る事が何(な)んであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである。

  水平社は、かくして生まれた。

  人の世に熱あれ、人間に光あれ。

 

   大正11年3月

                        水平社

 

 ここで再び、自己の内部にある集団的記憶に根を下ろすことによって、「祖先」からの継承の重要性を強調する。その継承すべきものとは、「人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦わる事が何(な)んであるかをよく知っている」という、苦難の歴史を通じて醸造されてきた部落民の人間的資質であり、それを梃子にして「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という人間主義に連結され、普遍的思想の高みにまで飛翔してゆく。

まさに、水平社創立宣言の起草者の西光自身が水平社運動を批判した西本願寺連枝大谷尊由に反論した「業報に喘ぐもの」という論文で語っているように、「われらの疵は深い。したがって運動の全面が悲憤慷慨気分におおわれている。けれども、それが全部ではない。その皮一枚の内側には、あらゆる差別相を踏み超えて、人類愛の水平線に溢れ出でんとする光と力を蔵している。」(48)のであった。

セゼールも、「私が溺れようと望んだ巨大な黒い穴」(『帰郷ノート/植民地主義論』平凡社ライブラリー、115頁)という「アイデンティティの自己閉鎖」(49)を拒否する。そして、「万物の本質に心を奪われ、身を委ね」、「表層には無頓着だが万物の運動に心を奪われ」、「世界の動きに和合する」(86頁)ということに「祖先伝来の徳」(同書87頁)を見出し、そのうえで未来に対する使命感を次のように語る。

 

  しかしそうしながらも、わが心よ、いかなる憎しみも私に抱かせないよう

  にしたまえ

 けっして私を憎しみの人にしないでほしい、そのような者に私は憎しみしか感じない

 なぜなら、私が比類なき人種に固執すると言っても

 しかしおわかりのはずだ、私の抑えがたい愛を

 おわかりのはずだ、私が自らにこの比類なき人種を耕す人となることを求めるのは

 けっして他の人種への憎しみゆえではないということを

 わたしが望むのは

 世界の飢餓のために

 世界の渇きのために

 この人種についに自由に

 封印された自らの内奥から

 果実の滋味を生み出すよう促すことだということを

 

 そしてわれらの手にある木を見たまえ

 その木はすべての者のために、

 自らの幹に刻みこまれた傷を振り向ける

 すべての者のために大地は耕す

 そして香気を放つ奔流の枝々へ向かう陶酔!(91―92頁)

 

セゼールが自らの「人種に固執する」のは、「他の人種への憎しみ」のためではなく、「封印された自らの内奥から、果実の滋味を生み出すよう促すこと」によって、「世界の飢餓」や「世界の渇き」を救うためであった。まさに、セゼールは、「到達したネグリチュードを梃子に、ついにはネグリチュードさえ乗り越える『異例の高み』まで上昇している」(50)。

このように、部落差別という厳しい状況に投げ込まれたことによって引きだされた精神を結晶化させた水平社創立宣言は、祖先からの継承を中心とする考え方や女性の不在、植民地主義への無自覚等、時代の限界だけではかたづけられない大きな問題を含んではいたが(51)、普遍的な平等原理を生みだす可能性を備えた思想でもあったのだった。したがって、水平社創立宣言がその可能性をさらに大きく開花させるには、植民地民衆などの自分たちより困難な立場にある人に対する想像的理解と共感を磨いていくことが求められていたのであったが、水平社運動が内外からの介入や妨害に晒されるのに伴って、その課題は実現されることなく終わり、苦難と挫折を強いられることとなっていった。

(48)西光万吉「業報に喘ぐもの」(『中外日報』1922年10月6日~12月27日。『西光万吉著作集』第1巻、前掲、41―42頁)。

(49)フランソワ―ズ・ヴェルジェス「奴隷制、植民地化、フランスにおけ

る肌の色による境界線」(『日仏文化』No.80、2011年9月、

47頁)。

(50)砂野幸稔「エメ・セゼール小論」(エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』平凡社ライブラリー、2004年、269頁)。

(51)水平社創立宣言について、伊藤雅子は「こんなにも差別にひき裂かれ、

こんなにも人間の尊厳に熱く心をたぎらせた人たちですら、痛みを分

かち合ってともに生きてきた女たちを意識の外に置き、性による差別

には無とんちゃくでいたということ。これも時代の刻印のひとつかと

思わせられる」(『まっすぐに生きるために』未来社、1987年)と

指摘し、金静美は「どこにも『過去半世紀』の日本の植民地支配にた

いする批判は書かれていない。この『宣言』の人間には、日本人に支

配されている植民地の民衆の苦しみにとたたかいに対する共感も、日

本民衆としての自責の感情も持っていなかった。」(『水平運動史研究―

民族差別批判』現代企画室、1994年)と批判している。