祖母は明治四十三年に炭問屋の娘として生まれた。
お嬢様として育った祖母はなに一つ不自由したことはなく、お金はどんどん湧いてくるものだと思っていたようだ。
二十二歳の時に七つ上だった祖父と結婚をした。祖父はすでに建材店を経営していた。商売繁盛で、祖母は女中に囲まれた恵まれた生活を送った。
だが、変転するのが人生である。
祖母は二十七歳の時に三歳になったばかりの次女を亡くし、さらに二年後には夫に先立たれた。
夫、享年三十七歳。ぼくの父は生後五か月だった。
運命はまだ手を緩めない。
アメリカ軍が神戸に対して無差別焼夷弾爆撃を開始し、神戸は焼け野原と化した。
被災者は約五十三万人、死者七千五百人、重軽傷者一万七千人。被害を受けた家屋は十四万を上回った。
祖母は女中がいる豊かな生活から一転して店から家まですべてを失い、三人の子供――ぼくの父と父の姉二人――と亡き夫の養父母を抱えて路頭に迷った。
あまりにもの苦しさと不安から何度も死のうと思った。が、老親と子供たちを置いていくことなどできなかった。
祖父の祭壇(神戸大開通 1939年)