涙を誰かに見せる女は
バカだ
嬉し涙を流せたら最高やん♡
過去の「わたし」を
好きになれない女ほど
過去の男に執着し
未練がましい。
パーソナルソウルミッションコーチ
のの ののこです
過去にすがる女は
過去に依存する
過去の男に依存する
過去の男に期待する
過去の男に求める
過去の「わたし」を嫌いになる
過去の「わたし」を責める
過去の「わたし」をぶじょくする
過去の「わたし」の選択を後悔する
そんなに「わたし」をいじめて
なにが楽しいの?
どんなに「今」を
もがき苦しんでいても
過去を変えることは出来ない。
誰かの気持ちは
コントロール出来ない。
過去の「わたし」を縛り
捉われることで
「今」あるものを見失ってしまう。
それほど
誰かを愛した過去は
素晴らしい♡
それほど
なにかひとつに夢中になった過去は
美しい♡
人を愛した経験は
どんなに報われなくても
「わたし」への愛を
見つめ直す体験に繋がるし
何かに夢中になった経験は
どんなに叶えられなくても
「わたし」を表現する
生きる糧へと繋がる
どんな過去の「わたし」も
一生懸命だったことを
忘れてはいけない
無くなってから
見失ってから
なくしてから
気づく
”大切なもの・人”だってある
でも、今の「わたし」を
生きるために
過去の「わたし」の選択に
ダメ出しをすること
否定すること
卑下すること
責め続けること
後悔しづづけること
で、一体、
なにが生まれるのだろうか?
生きる価値がないと
思いこんでた「わたし」の存在を
認めてほしいから
愛してほしいから
必要としてほしいから
受け入れてほしいから
ほしい!ほしい!って
叫び続けたって
なにも手に入らないんだよ
なぜなら…
「わたし」が「わたし」を
認めるものだから
「わたし」が「わたし」を
必要とするものだから
「わたし」が「わたし」を
受け入れるものだから
「わたし」が「わたし」を
愛するものだから
大好きな人から
愛されなくても
誰かからの評価を
もらえなくても
「わたし」の価値は変わらない
今、「わたし」の傍にいてくれる人を
愛せていますか?
感謝の言葉を伝えていますか?
「わたし」を懸命に
生きていますか?
やりたいことを
させてあげれていますか?
世間や社会に染まりすぎるばかりに
「わたし」に我慢や遠慮をさせていませんか?
誰かに「せい」にするのは
簡単。
でも、その現実を選択してきたのは
過酷かもしれないけれども
「わたし」なんだよね
かわいそうな「わたし」を演じても
結果、なにも残らない。
手に入るのは
無力な「わたし」
誰かから愛されたいのであれば
社会から評価されたいのであれば
なにかに必要とされたいのであれば
「わたし」が愛すること
「わたし」が認めること
「わたし」が必要とすること
そうやって…
「わたし」と向き合っていくプロセスが
生きる意味を
生きる価値を
生み出していく
「わたし」だけの
オリジナルストーリーが生まれていく
今、「わたし」のまわりにある
すべてを
「ありがとう」の想いで数えていこう
あなたの魂が
キラリ光り輝くことを
私は知ってるよん