みなさん、覚醒は進んでいますか?

 

私は17歳の時に、思考を通じて、自分が親を選んで生まれて来たという(仮説)を立てました。

もし、そうでないとすれば、私が主体として生きることに意味が見出さなかったのです。

 

そして二十代後半になってシュタイナーが「人は母親を選び、母親の目を通じて父親を選んで生まれて来る」という言葉に出会います。

 

はじめて、私の仮説を「言葉」にする人間と(書物上で)出会ったのです。

 

私にとって、これがある意味で人生の原点となりました。

 

「私」が「親」を「選んで」という自分の「主体性」・そして「自己責任」を前提として、すべての体験、人生の意味、物質世界の背後にあるもの、倫理と哲学が構築されていったのです。

 

その視点から見れば、

「人に勧められてワクチンを打った」

「害を受けたのは勧め人間のせいだ」

という論理は破綻します。

 

それはまるで自分の主体を放棄し、自己責任を放棄しているようにしか受け止められないのです。

 

けっして批難しているわけではありません。

そうではなく、自分の主体を放棄しないで欲しいと願うのです。

 

そうでなければ、あなたの今世は、自我を乗っ取られたまま終わり、

魂の故郷に帰った時に、いかに無駄に人生を送ってしまったかと後悔することになるだろうと思うのです。

 

あなたが、今世生まれる前に意図してきたこと、魂の成長を目指してきたことは、自我を放棄することではなく、自我を高めることであったはずです。

 

それを、みすみす、捨てたことに気づくでしょう。

 

悪のお役目は、

学校教育、医療、政治、経済など、あらゆる現実的、身体的な要素であなたを縛り付け、自我を奪うかという役目なのです。

 

それを、あなたは生まれる前に知っていました。

そしてそれにチャレンジしようと心に決めて来たはずです。

 

悪に負けるはずはない。それを超えて、より強い自我を成長させよう。

それがあなたの目指してきたことだったはずです。

 

だからこそ、あなたは悪と出会い、悪と協働しているのです。

そして、これから先も、悪はどんどん過酷に私たちを追い詰めようとします。

過酷な運命と出会った時こそ、学びと成長の時です。

自らの課題なのです。

 

私たちは新生地球をつくるために、ここに来ました。

人類が覚醒することで5次元世界をつくるために来ました。

 

どうか、それを思い出してください。

 

 

 

実は、愛子様も胎内記憶があるといいます。
 
 

 

2004年の春、愛子さま2歳の頃…

「雅子さまは、中傷記事などつゆしらず、楽しそうにピアノとハープで遊ぶ愛子さまに、ふと『愛子はどうしてパパとママのところにきたの?』と聞いてみたのです。すると愛子さまは、いたって自然な口調で『だって、ママが寂しそうだったから』とお答えになりました。それを聞いて、嬉しくなった雅子さまは、さらに『おなかの中にいた頃のこと、覚えてる?』とお聞きになったのです。

愛子さまはこう仰いました。『覚えてるよ。おなかにいる愛子にタッチしてくれてたでしょ?ママとパパが仲良く笑ってるお話、ずっと聞いてたよ』と」(元東宮御所使用人筋)

(2004年の愛子さま)

軽い気持ちで聞いたことが思わぬ話に展開したらしい。

 

両陛下を「お選び」になって生まれた愛子さま

「思わぬ展開を見せた話に、雅子さまは『じゃあ、愛子はおなかの中に来る前はどうだったのかな?』と冗談半分で聞かれました。

すると愛子さまは、同じように自然な口調で『生まれる前はね、お空にいたの。お空からパパとママのこと見て、とっても仲が良くて楽しそうだったから、ぜったいこのパパとママだ!と思って、ママのところに決めたんだよ』と仰ったのです!」(元東宮御所使用人筋)
 

ママ、愛子ね、本当は生まれてくる前にママのところに一回来てたんだよ。でも、お空に忘れ物して取りに戻ったの。愛子がお空に戻る時、ママ泣いてたけど、ちゃんとママのところに帰って来たんだよ。だからママ…泣かないでいいんだよ
 
と。このご発言に雅子さまは、ハッと驚き、手で胸の辺りを抑える様にして、涙されたのでした」(元東宮御所使用人筋)

 

雅子さまが涙された理由は本サイト読者ならお分かりだろう。そう、愛子さまが生まれる2年前の1999年の12月、雅子さまは妊娠数週目に流産を経験されていたのだ。

(2004年の愛子さまと雅子さま)

「当時は、事あるごとに思い出すのでしょうね、『産んであげられなくて、ごめんね、ごめんね』と涙される雅子さまに、そっと皇太子殿下が背中をさすっていらしたことを覚えています。お世継ぎをお流しになってしまったというよりも、むしろ、おなかに宿った大切な命を亡くしてしまった罪悪感が強いのだろうなと、雅子さまも皇太子殿下も一人の人間ですしね。当時はそう思いました。

 

考えても見てください。わずか2歳の愛子さまが、その5年前に流産があったことを、どうして知る事が出来るでしょうか?その場にいた使用人も、流産の時のことは皆知っていましたから、みんな涙を抑えるのに必死でした」(元東宮御所使用人筋)

 

ママ、泣かないで…いいんだよ

だからママ、泣かないでいいんだよ… 愛子さまの優しさが伝わる。

「胎内記憶」は、それを覚えている子供でも4歳以降になると忘れると言われている。愛子さまもその例にもれず、今ではすっかり、忘れてしまったらしい。

 

「4歳を過ぎたころから愛子さまは、もうその話をされても『覚えていない』とおっしゃるようになりました。

 

 

 

 

 

肉体は遺伝の法則に従っている。

一方、人間の霊は繰り返し、繰り返し生まれ変わらねばならない。

転生の法則は、人間の霊が前世の成果を次の生の中に持ち込むということの中にある。

魂は現世の中に生きている。

しかし現世の中に生きているということは前世からの生活から独立しているということではなく、生まれ変わる霊が前世から自分の運命を持って生まれて来るのだから。

 

そして、その運命が人生を規定している。

魂がどんな印象をもつことができ、どんな願望を充足させることができ、どんな喜びや苦しみを持ち、どんな人間たちと出会うことになるか、これらすべてはこれまでの霊の転生の中で、どのような行為が為されてきたかにかかっている。

 

魂はひとつの人生の中で結びついていた人たちに、次の人生の中でもめぐり合わずにいないだろう。

なぜならこの人たちとの間で為された行為はその結果を持たざるを得ないからである。

ひとりの人の魂だけでなく、この魂と結びついていた他の人たちの魂たちも、同じ時代に生まれ変わろうと努めるだろう。

魂の営みはこのように人間の霊がみずから作り出した運命の結果なのである。

 

三つのことが誕生から死に至る人間の一生を規定している。

そしてこれらのことを通して、人間は誕生と死を超越している要因に三重の仕方で依存している。

人は人間によってつくりだされたこの運命を古い表現を用いてカルマと呼ぶ。

そして霊は転生の、生まれ変わりの法則に従っている。

だから霊、魂、身体の関係を次のように言い表すことができる。

 

は不滅である。

誕生と死は物質界の法則に従って身体を支配している。

運命に従うの営みは、この世に生きる限りはこの両者に関連を与えている。

 

人生の諸現象に向きあい、人生の真実に応じた考察から得た思想を、最後まで押し進めて行くことを恐れないなら、思考の論理だけを通してでも、我々は輪廻転生や運命法則の観念に行きつくことができる。

 

この真理が思索する理性の中で輝くことができるのも真実なのである。

 

身体は遺伝や物質界の法則に従います。

は不滅で、身体や魂の体験を輪廻転生しながら、進化していきます。

は身体と霊をつなぎます。

 

縦軸に先祖代々から伝わり、未来へ継承するDNAの軸があります。

横軸に輪廻転生する過去と未来を通じて進化し、運命を担う魂の横軸があります。

その縦軸と横軸をつないている中心に魂があります。

 

このことが十字架で象徴されます。

私の現在が十字架の薔薇に象徴されます。

 

悪のお役目は自らの手を見せています。

 

 

秘密の盟約

錯覚はあまりに巨大、膨大で、奴らの知覚範囲を逃れ出る。
それが見える者たちは、他者から「正気」とは思われない。
互いのつながりを隠すため、我々は別々に離れた前線を作る。
錯覚を存続させるため、我々のつながりなどないように振舞う。
我々に疑いがけっしてかからぬよう、目標は一度にひとつずつ達成されていく。
これはまた、奴らが変化に気づくことを防いでくれる。
我々は究極の秘密を知っているので、常に奴らの経験と関連のある分野で上を行くのだ。
我らは常に共に働き、血と秘密によって結ばれ続ける。
漏らした者には死が訪れる。

いかにも逆のことをしていると見せかけつつ、
奴らの寿命を短くして、精神や判断力を弱く保つ。
奴らが「何が起きて居るのか」にけっして気づかぬよう、
我々は持てる科学や技術の知識を巧妙に使う。

軟質金属、老化促進剤や鎮痛剤を食物や水と空気に入れて利用する。
奴らの行くところ全てが毒に覆われる。
軟質金属はやつらを狂わせる。

我々の多くの前線が治療法をみつけるとう約束するが、その実もっと多くの毒を喰らわせてやる。

毒は奴らの皮膚から口から吸収され、彼らの正気や生殖器官を破戒する。
それゆえに奴らの子どもたちは死産もするが、こうした情報は隠匿する。
毒物は奴らの周りの奴らが飲み、食べ、吸収し、着るもの全てに隠される。

奴らは見通しが利くので、毒を仕掛けるにあたっては巧妙にしなければならない。
奴らには楽しいイメージや音楽を使って、「毒はいいものだ」と教えてやろう。
奴らが尊敬する人物は役に立つ。
そうした連中を毒物の奨励に協力させよう。

奴らは我々の製品が映画に使われるのを観、慣れ親しむが、それらの本当の効果については知ることはない。

奴らが子どもを産んだら、その子の血液に毒を注射してやり、子どもの健康のためだと思い込ませる。

早くから、奴らの知性や精神が、若い頃からはじめ、奴らの子どもが大好きな甘いものを使って狙うのだ。
奴らの歯が腐ったら、奴らの頭を殺し、未来を奪う金属を埋めてやろう。

奴らの学習能力が侵されたら、それ用の、しかし症状を悪化させ、別の病気を発症する薬を作ってやり、その先にもまた、薬を作ってやろう。

我々は奴らを従順で、脆弱にし、奴らは我々とその力に屈服する。
奴等は落ち込み、のろまでデブとなり、我々に助けを求めにたらときには、もっと毒をくれてやろう。

奴らが内なる自我と結びつかないように、奴らの関心をカネと物質に集中させる。
姦淫、外部の快楽やゲームで惑わし、すべてがひとつである調和と、けっして合体しないようにする。

奴らの頭は我々のもので、奴らは我々の思い通りに動く。
もし、拒否すれば、精神状態に変化をきたす技術を奴らに施すために方法を探し出す。

我々は「恐怖」を武器として使うだろう。
我々は奴らの政府をつくり、反対勢力も設ける。その両方を所有するのだ。
常に目的を隠しつつ、計画を実行する。

奴らは我々のために労働し、我々は奴らの労苦で繁栄する。
我々の一族は、けっして奴らと交わることはない。
我々の血統は、常に純粋でなければならず、それが掟なのだ。

教義や宗教を使って、奴らを「一体であること」から引き離す。
奴らの人生をあらゆる側面から支配し、我々の都合で奴らに殺し合いをさせよう。
何をどう考えるべきかを教えってやるのだ。
奴らをそっと優しく導きつつ、「自分自身で選んでいるのだ」と思わせる。

我々の派閥を通して、奴らのなかの敵対意識を扇動する。

優れた者が出現したら、愚弄するか死をもたらすか、どちらか都合のいい方法でそいつを葬り去るだろう。
奴らが互いに心を引き裂き、己の子らを殺すように仕向ける。

「憎悪」を味方、「怒り」を友として、これを成し遂げる。
奴らは憎悪で完全に盲目となり、奴ら自身の争いを通して、我々が支配者となることすらわからない。

互いの殺し合いで手一杯だから、我々が「これでよい」とみなすまで、奴らは己の血の風呂に浴し、隣人を殺し続けるのだ。
我々はそこから多大なる利益を得る。

奴らの目に我々は映らず、我々が見えないのだから、
奴らの戦争や死から我らの繁栄は続くのだ。

我々の究極の目的が達成されるまで、これは何度でも繰り返される。

イメージや音を通して、奴らが恐怖と怒りのなかに、暮らし続けるようにする。
我々はこれを達成するために、持てるすべての道具を使うのだ。
そうした道具は、奴らの労働によってもたらされる。

奴らが自分自身や隣人を憎むように仕向けるのだ。
奴らはけっして知ってはならぬ。
奴等から「我らは皆、ひとつである」という神聖な真実を常に隠す。

色は錯覚であることも、奴らはけっして知ってはならないし、奴らは常に「自分たちは同等の存在ではない」と思っていなければならない。
少しずつ、少しずつ、我々の目標を前進させるのだ。

完全な支配を行使するために、奴らの土地、資源と財産を奪う。
奴らをだまくらかして、奴らの持てるちっぽけな自由とやらを盗み取る法律を受け入れるようにしてやる。
奴らを永遠の囚人にし、奴らと子らを借金まみれにする金のシステムを確立するのだ。

奴らが団結したら、世界に向けて違う話を見せつけて、奴らを犯罪者として非難してやろう。
すべてのメディアは、我々が所有しているのだから。

メディアを使って情報の流れや奴らの感情を我々のためになるように操作する。
奴らが我々に立ち向かおうとしたら、虫けらのように潰してやる。
奴らはそれは以下なのだから。

奴らは何の武器も持たないので、どうすることもできない。

計画を実行するために、奴らの何人かに、「永遠の命をやるぞ」と約束して抱き込むが、奴らは我々ではないので、けっしてそれを得られない。

こうした新参者たちはイニシエイツと呼ばれ、より高い領域への進路のための、儀式をしんじるよう教え込まれる。

こうしたグループのメンバーは、けっして真実を知ることなく、我々と一体になったと思うのだ。
我々に背くだろうから、奴らは絶対に真実を知ってはならない。
その働きには世俗の物質やたいそうな肩書が褒美として与えられるが、けっして不死身となったり、我々の仲間となって光を受け、星々を旅することはない。

同類の者を殺すことは、悟りの境地への道を妨げるので、奴らはけっして高い領域には届かない。
真実は奴らの鼻先にすぐそばに隠されているのだが、手遅れになるまで、それに気づくことはできない。

ああ、そうさ。自由の厳格があまりにも大きいので、奴らは自分が我々の奴隷であることにはけっして気づかない。

すべてが整った時、奴らに作ってやった現実が奴らを所有する。
この現実が奴らの牢獄だ。奴らは自らの妄想のなかに生きるのだ。

我々の目標が達成されたとき、新たな支配の時代がはじまる。
奴らの頭は、奴らの信条によって縛られる。
大昔から、我々が構築してきた信条によって。

しかし、もし奴らが我々と同等だと知ったら、そのとき我々は滅びてしまうだろう。
奴らはこれをけっして知ってはならない。
もしも奴らが力を合わせれば、我々に打ち勝つことができると知ったら、行動を起こすだろう。

我々がしてきたことを奴らはけっして知ってはならぬ。
もし、知れば、いったんベールがはがれ墜ちれば、我々の正体は明らかになり、逃げる場所もない。

我らの動きが我々が誰かを暴露し、奴等は我々を探し出し、誰もかくまってはくれまい。
これは我々が現世と来世を生きる上で従う秘密の盟約だ。
この現実が、いく世代もの人生を超えていくものだから。

この盟約は血によって、我々の血で封印されている。

我ら天国から地上に降りてきた者によって、この盟約は、けっして絶対にその存在を知られてはならぬ。
けっして書きとめたり、これについて話をしてはならぬ。

そこから生まれる意識が我々に対する創造主の激しい怒りを解き放ち、
永遠のときの最後まで、閉じ込められるであろうから。