ライトボディの目覚め



↑の記事の続きです。



「ライトボディの目覚め」において


最も重要な部分は、


第9レベルでくぐる


「目覚めの門」


ではないでしょうか。





ちなみに


「潜在意識の探求」と

「ワンネス意識との統合」を

経験した人にとって、



この

1〜12の

「レベル」という分類は

かなりわかりにくいし、


自分が

どのレベルかを

当てはめることが難しいです。


(だから自分が何レベルなのか

わからなくても心配しないでね!)







なぜなら、


すでに

ワンネス(根源)と

一体であることを

知っているし、


その経験の一部(愛の領域)が

「至福」

であることを

知っているからです。





そのため、


最初から第9、第11レベルの内容に

非常に共感する部分があります。





例えば、

目覚めの門を

超えた経験についての

この言葉。





この、


「私はけっして「根源」と

離れることがありません。」



「私が「根源」なのです。」



という言葉に

それが現れています。






ワンネス体験(覚醒体験)を

すでにしていて、


ワンネス意識との

統合まで

終わっていれば、



↑の「」内の

言葉の意味が

最初からわかります。



そして

特に至福は感じません。

(人それぞれ違いはあります)




もう経験してますから。







おそらく、

スピリチュアルの道から覚醒に入る方は、

第9レベルの

目覚めの門を通った時、

ワンネス意識(愛)に到達し、


至福を感じるものと思われます。





しかしながら、


ワンネス意識との統合

(以下、「ワンネス統合」と記載)


からスピリチュアルに入った人にも、



通るべき

重要な起点が



第9レベルに

あります。




それが、


「スピリットへのゆだね」という

側面での


「目覚めの門」



です。






ワンネス統合から

入った場合は、


そもそも

6〜9次元にいる

高次元の存在たち

(天使、アセンデットマスター、神)の

存在すら

信じていません。


※中には信じている方もいたかな?





そこから、

高次元域にいる

「スピリット」としての

自分を受け入れ、


"人間"としての

アイデンティティを

手放し、



人間であって、

人間でない

存在としての


新しい

自分自身を

受け入れる必要があります。




それが、

「目覚めの門」です。




ここを超える前後で、



「スピリット」としての

自分を気付かせる目的で


様々な体調不良や、

不思議な体験を

たくさん経験する

かもしれません。



 


私の場合も、

酷い頭痛から

体外離脱を繰り返すことや、

 

スピリチュアルな経験を

繰り返すことで


気付きました。





最後の体外離脱で、



はっきりと、

意識の中で、


「目覚めの門」を


実際に

見て、


そこで

わたしという

人間としての

アイデンティティの喪失


経験しました。






これは非常に個人的な経験です。



人それぞれ何を

視るのか。

どんな体験になるのか。

どうやって"それ"を感じるのかは


異なります。



あくまで、

私自身の

映像と経験を

今から書きます。





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丸いドーム状の

真っ白い大聖堂の

真ん中に、


ミロのヴィーナスの


ような


真っ白い

彫刻が立っていました。



天井が丸く、くり抜かれ、

ガラス張りになっています。



彫刻の下から、

わたしはそれを眺めていて、


ガラス張りの天井から

美しい

日の光が

彫刻に注がれていました。




その時、

わたしの

意識ははっきりとしていますが、



人間らしい思考ができなくなっている

のに

気付きます。




そして、

「この彫刻は、

神に捧げる

供物だ」と

感じました。



その彫刻は

人間として生きた

わたしの自我の一部。

アイデンティティ。


そして、

パーソナリティ(性格)



でした。



今まで

美しく磨き上げ、

丹念に掘りきった

この

彫刻を、


わたしは

神(根源)

捧げなくてはなりませんでした。




とても

「悲しい」

という感情がでました。

 



今まで磨き上げてきた

このアイデンティティを

一緒に持っていくことは

できなかったのです。




わたしはただただ、

このアイデンティティを

神に捧げ、




わたしという

人間としての

パーソナリティの一部を

失うことへの



悲しみを

感じていました。




この時、

わたしは

「意識」を構成する

自我が消失しないことを

確信しました。



自我「"わたしがいる"と感じる意識」

の消失はなく、


目覚めの門をくぐり、


多次元に行き来できるように

なっていることを

知りました。



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以上です。



ちなみに、


この映像で

わたしの"意識"の大部分は

目覚めの門を通っていたと

思われますが、



自我意識からでは、

通っているかどうか

わかりませんでした。






このあと、

自我意識とエゴによって、

強い抵抗がしばらく続きました。




「本当はスピリチュアルの道には

入りたくなかった」



 

このエゴの強い思いが

解消されるまで、

時間がかかったのです。




「スピリチュアルの道を歩む」



こう決めて


本当の意味で

受け入れた時、



初めて

自我意識、

そしてエゴの抵抗が消え、



目覚め門を

"通り切った"と

実感できました。





(意識だけ先に入ってしまって、

自我意識が後から追いついた感覚です。)






さらに、


この目覚め門を視た直後に


日記を書いていました。



それも

この場を借りて公開したいと思います。





2024年3月29日

タイトル 

【日記】悟りの最終段階へ



人間であって人間ではない意識体系を持って生きること



人間である欲求を手放すと書きましたが、


人間である分離の思考を手放すことになります。



私のブログを始めた時と、

今とでは口調も、思考の仕方もかなり異なってきていることがわかります。



迷ったり、

喜んだり、

悲しんだり、


これはとても人間らしい感情や思考の流れです。



私は過去に、

とても私の現象化の経験を賞賛してくれる方に出会いました。


その時、

「私は人間であるうちに、人間であることをやめたい」と話したのを

よく覚えています。



その瞬間がどんどん近づいていることを感じています。






↑この記事でいうと、

PNSEの最終段階に入ろうとしているということです。



「自我がほとんどない状態」

と書いてありますが、


自我がなければ世界で存在できないと書きました。


確かにそうですね。



だからほとんど「人間ではなくなる」

もう少し現実的(人間的な言い方)をするなら

「人間らしい思考体系がなくなる」というところでしょう。



私の場合は、

ワンネス(無)の段階まで自我が同一化するという感覚です。



ワンネス(無)では自分はありません。


自分という人間がありながら、

自分がないという領域にほとんど自我が入るということです。



私はもはや

「感動」

という感情を経験しないかもしれません。



それと一体である。




私は何を選択するのか。

「われあり」

かもしれません。



ここでは真に神である私を体現することです。


もしかしたらここに親和性があるかもしれません。



私はブログを長く続けたいと思っていましたが、

もうその経験をする必要がなくなっている可能性があります。




以上です。


今読み返すと、




ワンネス(無)の意識と

一体化するというのは、

曲解かなぁ〜 


感じますが、

そのまま載せました。

  




ワンネス(無)

に近い領域に


自我をある程度

保ったまま


出入りできるように

なっているのか?


とは思います。




しかし、

ワンネス(無)は

特別で、


本来は

「すべては一体」であり、

自分も他人も無くなりますから。




正しくは、


ワンネス(無)の世界から

出た時に

その感覚と

経験をしっかり覚えており、



自分の意識の中で

ワンネス(無)の世界を

再構築し、


その世界観に

いつでもアクセスできるように

なっている。



と表現できるかと

思います。






ここからもう少し

意識が

進むと、


すべての統合が

完成し、


「あっ!

もとの場所に戻ってきた」と

感じるようになります。



それがこの記事



より人間らしく

生きるようになります。




しかしながら、

ここまでいくと、

「必ずこうなる」

ということは

言えなくなります。




すべては

完全に「神」として覚醒した

その方の

選択次第ですから。





わたしは

より人間として


今、

人間として、


もっともっと

人間らしく

生活したいと思っています。




みなさまの

選択がどうであれ、


わたしの経験を

公開することで、

誰かの役に立つことがあれば、


それは

本当に

幸せなことだと


そう感じます。




以上。


次は

「ディセンション」