(ホ)柳屋版

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宝船(58.4×40.0)

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宝船に添えられた解説文


「宝船」は江戸中期、大名がお抱え絵師に七福神や金銀珊瑚を満載した舟を描かせ、年越しの晩、枕の下に入れて寝ると良い初夢が見られるという縁起ものです。


上図の解説文は柳屋版「宝船」に添えられたものですが、要約すると次のようになります。


「大阪「柳屋」(版画の取扱店)の主人が企画を立て、「宝船」の絵を夢二に描かせることになりました。ところが正月9日になってもまだ絵が届かないので、心配して版元の主人大槻笹舟を東京の夢二の下へ催促に行かせます。夢二に、下絵はどうしたかと尋ねると、夢二は節分と節句とを間違えていてまだ手をつけていませんでした。夢二から、宝船の形式を知らないのでこれから上野の博物館へ一緒に見に行こうと誘われ、しぶしぶとついていきました。翌朝訪ねてみると見事に下絵が完成し、そばに久米正雄もいてしきりに褒めていたんです。


下絵を受け取ったあと、胃の調子が悪かったので、その足で夢二の紹介した伊香保温泉へ向かいました。東京から高崎まで汽車で、そこから伊香保まで電車で二時間半かかりました。木暮旅館に5日間滞在し、雪の中を信越から北陸まわりの列車で京へ帰着。


大正9年の節分、京都の島原でこれを売り出します。帆にある鎌とお椀は『お前と一緒なら命も鎌椀』という意味。」

(大槻さゝ舟 竹久夢二氏宝船の由来)



この「宝船」を見て、私は夢二の人生観を垣間見ることができたのです。つまり物より心を大切にした夢二の考えを。そういえば夢二は生涯を通じてこうした心を描いた芸術家でした。


次は私の想像ですが夢二と大槻氏のやりとりは、おそらくこんなことだったのではなかったでしょうか。


夢二の宝船を見た大槻氏は驚き、

「先生、これのどこが宝船なのですか。全然宝がのっていないじゃありませんか。」

と言うと、夢二は答えます。


「そう見えるかい。よく帆をみておくれ、鎌と椀が描いてあるだろう。」


「え、それが宝なのですか。」


「そうだとも。この二人は愛し合っていて小さな船で旅に出る。そんなときに誰かが岸辺で、おいおいそんな小さな船でいくとたちまち沈んでしまうよ、危ないよ、と叫ぶけれども男性はこう言うんだ。私たちは愛し合っているのでどうなろうと構わないのです。この帆を見てください。鎌と椀があるでしょう、どうなっても〝鎌〟〝椀〟といった心を積んだ船だから宝船なのです」とね。


の「宝船」は木版十数度刷、タテ一尺六寸、ヨコ一尺二寸、価格は一枚二円でしたが何枚摺られたかは不詳です。枕の下に入れた縁起ものですから、ほとんど折られてしまい現存するものは非常に少なく貴重な資料です。





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治兵衛のマスク



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梅川忠兵衛


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治兵衛           小春



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文楽人形


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裸婦

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丸髷の女


次回は、夢二の木版画の特徴と他のものとを比較しながら話を進めてみたいと思います。





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続いて港屋、柳屋、その他の一枚ものをご紹介いたします。


(二)港屋版


「港屋版」は「港屋」という絵草紙店が足掛け3年しか営業していなかったので、その出版数も少なく、およそ8点ほどです。その中で代表的なものとしてこの「港屋絵草紙店」があげられます。一つの画面でこれほど大正ロマンを感じさせる作品が他にあるでしょうか。


前景の男女3人が一番大きく、そのすぐ後ろにまた3人の人物が少し小さく、そして遠景には洋風の建物とその前の柵にもたれて話し合っているシルエット風の人物が10人描かれています。それらの人物から、和から洋へと急激な変遷を遂げた大正の風俗がよく伝わってくるではありませんか。照明はと見ればこれもまた提灯・行灯・瓦斯燈と、和と洋の混在した時代を象徴する風景です。外国からたくさんの文物を日本へ運んできた船が提灯に描かれています。夢二の配色・構図・描写・構想が見事に結実した傑作です。





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港屋絵草紙店

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治兵衛


この作品は大きな画面の中央に顔だけを描き、あとは余白として残し、人物全体を鑑賞者の想像で完成させるといった心憎い構想。この顔を見ているだけで振りが見えてくるから不思議なものです。

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治兵衛のマスク


この作品の構図は抜群です。幕の影に身を隠し、顔だけ見せる一座の花形役者。鑑賞者に強い印象を残します。一枚一枚袋(下図)に入れて販売したものです。おそらく港屋の木版画はこのように袋に入れて販売されていたのでしょう。袋がそのまま残されているのは珍しく、貴重な資料です。

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一座の花形


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「一座の花形」袋


夢二の一枚ものの版画で風景は極めて珍しく、この「ちょうちん」と恩地孝四郎が彫って摺った「榛名山」などが代表作と思われます。「ちょうちん」は道の両側に2本の電線が引かれた電信柱が何本か描かれ、建物の土台の石と縦の腰ばめの木が美しい線を構成し、それと屋根との間の白壁が時代を感じさせます。道には人影も無く、なぜか遠くに提灯が8個ぶら下がっています。昼間の風景なのに題名が「ちょうちん」なのはそのせいでしょうか。

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ちょうちん


この「梅川忠兵衛」は「柳屋」でも再販されますがそのときは右上の文字が取り除かれています。(柳屋版を参照してください)

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梅川忠兵衛

女子文壇は「青鞜」の前身誌ともいうべき女性文学、フェミニズムの原点で、当時の女性が何を求め考えていたかをうかがい知ることのできる雑誌です。明治38年に創刊され大正2年8月の終刊までに100巻以上出されています。当館ではそのうち10冊ほどしか所蔵していませんが、その中の7冊に挿絵やカットが60点ありました。夢二がこの本に深く関わっていたことが分かります。残念ながら木版画の閉じてあった巻はここにありませんが木版画自体は残っていますのでそれを御覧にいれます。またご参考までに挿絵も載せてみます。この頃の落款は「夢路」という字を用いていました。


女子文壇(明治44年5月)
館長のブログ-満願の日
満願の日

女子文壇(明治44年6月)
館長のブログ-緑の丘
緑の丘

女子文壇(明治44年7月)
館長のブログ-白光
白光


女子文壇(明治42年12月)
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女子文壇(明治43年1月)
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女子文壇(明治43年1月)
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次回は港屋、柳屋、その他一枚ものをご覧に入れます。




(ハ)一枚もの 付録


今日は雑誌の付録としてつけられた一枚ものの版画をご紹介します。


この「あきつ」は雑誌「桜さく國・白風の巻」の附録で、明治44年10月1日に四六倍判として創刊されました。主宰は竹久夢二で、執筆は夢二、恩地孝四郎、木下茂、萬代恒志、久本DON等があたっています。この中には絵もあり、文章もあり、和歌もあり、新詩もあるといった斬新なものでした。この本の創刊にあたって「附録の竹久夢二君の作が一番心を惹く。・・・着想も面白いし、其木版色彩と日本紙のてざはりがひどく好い感じを与へる、これ一枚だけで桜さく国の購読者は充分満足することと思ふ」と書評に書かれています。

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「あきつ」                 表紙


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「得度の日」               表紙

夢二が、江戸時代の伝統工芸版画の技法を用いたのは、その長所に三人の人が、一人は一生かけて絵を描き、一人は一生かけて彫りを行ない、そして一人は一生かけて摺りを行なうことによって達せられた高度な技術があったからだと思います。


しかし夢二はそうした伝統工芸版画に対して欠陥も感じたのでしょう。それは三人の間で心と心がどれだけ伝えられたかということです。そこには他人に伝えられない越えられない壁があります。その壁を越えるための手法として、自画・自刻・自摺の技法に気づいていたようです。夢二も小さなものですが年賀状などで自画・自刻・自摺の版画を制作しています。


ところで、日本における自画・自刻・自摺という新しい版画の手法は、夢二と尊敬し、信頼しあっていた恩地孝四郎からといわれています。その後、その手法を用いて山本鼎や棟方志功といった版画家が続々と世に出ましたが、そのきっかけは夢二が作ったのだと思います。


蛇足になりますが、恩地孝四郎は夢二の自著「どんたく」の装丁を行ったり、夢二が下絵を描いた「榛名山」の彫と摺を行ったりしました。それが下図です。

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夢二絵、恩地孝四郎彫り摺りの「榛名山」





③木版画


(二)手摺り木版


通常、夢二版画と言われているのは、この手摺り彩色木版画のことです。この中には本の口絵や挿絵(自著と他人のものを合わせると優に100点を越えます)や装丁と一枚ものとがあります。それは雑誌の付録に添えられた口絵、それに浮世絵のように一枚一枚売られたもので、20数点ほどしかありません。


桜さく嶋

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見知らぬ世界             つまびき   

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一枚ものの手摺木版

手摺り木版の製作工程は、江戸時代の浮世絵とまったく同じで、絵師・彫師・摺師の三人の共同作業で仕上げたものです。夢二はもちろん絵師で版画の下絵を描き、それを彫師・摺師にゆだねて出来上がったものなのです。もちろんこの場合でも、夢二は彫師・摺師に色々な注文をつけ、作品を仕上げるといった、つまり監修をしたのです。


夢二は彫に、いままでに見られない輪郭線などの新しさを加えたりしたので、かなり彫師は苦労したようです。また母親の実家が紺屋だった関係で色について極めて鋭い感覚があり、注文が厳しく何度も「その色ではない」と直させ、あげくの果て気に入らないと同じ色の布までもっていき、「この色にしてくれ」と頼んだほど徹底的に色彩にはこだわったようです。


夢二の手摺り木版の中で”港屋”で売り出した一枚ものの製作には一番気をつかったようで、そこに江戸時代の浮世絵を超えた傑作も見られます。


したがって夢二の木版画の中で最も評価が高いものが港屋版です。”港屋”は大正3年に開店し大正5年まで続きますが、閉鎖した後、版木はそのまま大阪の版元”柳屋”に譲りました。そこで摺られたものを柳屋版と呼んでいます。ただし「一座の花形」「提灯」「港屋絵草紙店」などは港屋版だけです。柳屋はその後、夢二に下絵を頼み、何点か木版画を世に出しています。その代表作が「宝船」です。この宝船は夢二の手摺り木版の中で寸法が一番大きいものです。


夢二が生きていたときに摺られたものをオリジナル版画といい、夢二の亡くなったあとに摺られたものは復刻版と言われ、オリジナル版画に比べて非常に価値が下がります。


このほかに同じように手摺り木版によって世に出したものに工芸品があります。それは千代紙、封筒、便箋、巻紙、ぽち袋、うちわなどですが、それらについてはまた項を改めてお話してみたいと思います。


本日からその代表的な手摺り木版を何回かに分けてお目にかけます。今日は本の装丁や口絵、挿絵などから何点か選んでご覧いただきます。


(イ)本の装丁



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京人形(明治44年)


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三味線草(大正4年) 春の鳥(大正6年)


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夜の露台(大正8年) あやとりかけとり(大正11年)



(ロ)口絵・挿絵


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三味線草(大正4年) 春の鳥(大正6年)


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暮笛(大正5年) 露地の細道(大正8年)


山へよする(大正8年)
館長のブログ-KAWAZIN
初版(ほくろ無) 再版(ほくろ有)


夢二抒情画選集下巻(昭和2年)
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紅梅

明日は雑誌の付録につけられた一枚ものをご覧いただきます。