NHK朝ドラ「虎と翼」が面白い。

 

 女性の地位向上で戦ってきた一代記、というよりも現代ドラマとしてのオマージュや伊藤沙莉さんを始めとする女優陣の演技にハマる。

 

 かつて自分が新任の頃、凄い母親がいた。

 

 最初の面談で「先生に見ていただきたいものがあります。」 といきなり持ち出したのが、私に向けての見合い写真だった。

 

 公開研究授業で前日は終電ギリギリまで学校に残る教員へ「差し入れでございます」と、当時、6000円はした一流料理屋の松花堂弁当を持ってきて、断るわけにはいかず困惑したことがある。

 

 ある時は、新聞紙に包んだ鮭の切り身を持ってきたので「こういうものなら、ありがたく頂戴します」と受け取ったところ、「(ロッキード事件で活躍した)稲葉元大臣がカナダで釣った鮭なんですよ。」という。 😅

 

 その生徒の父親は、最高検の検事。祖父は最高裁判事。曽祖父は司法(法務)大臣という、まさに司法の華麗なる一族。とんでもない一家の担任になったものだ。

 

 曽祖父は、現在ドラマのモデルとなっている帝人事件の時の司法大臣で事件の真っ只中にいた。祖父は当時、東京帝国大学の学生で三淵嘉子さんと同世代だ。

 

 よもやと思って調べてみると、こんなに歴史に名の残る人達が、次々に繋がってゾクゾクしてくる。

 この事件で倒閣した斎藤実は、この後かの2・26事件で凶弾に倒れる。時の首相、岡田啓介直筆の額「背私向公」が職員室の私の頭の上に掲げてある。帝人事件で大臣の座を追われた鳩山一郎は学園設立の協賛者。

 

 自分の周りは歴史の網が張り巡らされていた。

 だから、歴史って面白い!

 ちなみに、その生徒自身は法曹界には行かず、難病で大企業をリタイアした経験から製薬会社に再就職し、難病支援の会の会長をしている。

 

 日本人にとって家制度は、現在様々な問題が叫ばれている。

 ただ、制度の問題とは別に心のDNAみたいなものも感じている。

 

※これを機に、信州松代の佐久間象山と並ぶ歴史上の人物。山寺常山について学ぶ。江戸で佐藤一斎より学んでいた事も驚き。

 札幌五輪金メダリスト 笠谷幸生さんが亡くなられた。まだ80歳‥。

 

 

 1972年 札幌五輪で熱烈なジャンプファンとなった。70m級の表彰台独占ではなく、日曜日に開催された90m級を手に汗握って中継を観た時からだ。風が悪く待ちに待ってスタートし、横風に煽られ失速。優勝はポーランドのフォルトナ。こんな自然に逆らい、自然に左右される競技があるのか?と神秘な世界だった。同時にあまりにも自分には別世界で、だから憧れた。

 

 

 1988年 カルガリー五輪の解説は笠谷幸生さんだった。

 鳥人ニッカネン全盛の時だ。解説の笠谷さんは「正直言って、あと10年しても日本のジャンプ界は追いつかない。」と言った。

 しかし、V字ジャンプが世界を動かした。

 10年後は1998年。長野五輪で日の丸飛行隊は復活した。

 

 1999年正月 右も左もわからないジャンプ界に家族で飛び込み、子ども達がミニジャンプ大会に参加した。長男が小3、内藤智文が5歳の時だ。

 スターターは札幌五輪の田口信夫さんだった。「お会いできて感激です」と伝えると「ああ、東京の子か。応援するよ」と応えてくれた。

 さらに札幌五輪銀メダリストの金野昭次さんが「おじさんと一緒に写真撮って!」と智文に声をかけてくれた。私は固まってしまい声もかけられなかった。

 

 2003年 内藤智文小学4年生 余市のJr.大会で準優勝。表彰式のプレゼンターが笠谷幸生さんだった。こんな光栄なことはなかった。

 北海道のコーチに呼ばれた。「息子、もっとちゃんとさせろよ!笠谷さんの前で菓子食わせんじゃねえよ。」と叱られた。竸技界の中で笠谷幸生さんは神だった。

 

 2006年 笠谷幸生さんと小野学さんの発案で、長野県白馬で「スキージャンプセミナー」が開催された。とにかくたまらないほど興奮し、忘れられない技術セミナーだった。その中で笠谷さんは「これからはスペシャルとコンバインドが連携して技術研究に取り組むべきだ。」とまとめられた。

 この時、初めて憧れの人と話せる機会を持つことができた。

 私が素人であることを承知の上で、一つ一つの疑問に対して丁寧に答えてくれた。このセミナーが、我が子以外にもコーチをしようと思ったきっかけでもあった。

 

 私には、子ども達の恩師以外でスキージャンプの恩師がいる。

 

 笠谷幸生さん(故人)

 小野学さん(故人)

 秋元正博さん

 原田雅彦さん

 

 自分とは別世界だったものが、今、自分の人生とリンクしているのが不思議だ。

 

 笠谷幸生さんを偲んで

 合掌

 日本のエース小林陵侑が、ワールドワイドな夢に挑戦した。

 

 レッドブルプロジェクト 小林陵侑300m飛翔に挑戦(ANNニュース)

 

 スキージャンパーにとって「どこまで飛べるか」の夢に挑戦。

 今までの試合での記録は254mだが、世界で300m飛べるジャンプ台はない。

 ないなら作れば良い、とアイスランドに大土木工事で作ってしまった。

 競技ではないので、FIS(国際スキー連盟)が公認するわけなく、いわば極秘で計画が進んでいたようだ。

 

 

 

 日本よりヨーロッパの方で反響が大きく、競技のサーカス化や安全性の問題で議論を呼んでいる。

 

 だが、これは夢に向かっての冒険だ。数字の記録は関係ない。

 スキージャンパーの夢を世界チャンピオンが資金力を使って実現したという話だ。

 

 

 スキーヤーで大冒険家の三浦雄一郎さんを想起した。

 三浦雄一郎さんは北海道大学大学院在学中、五輪を目指すが、当時のガッチガチのアマチュア規定からアスリートの資格を剥奪される。そこからキロメーターランセ(速度を競う冒険スキー)に転じ、後のエベレスト大滑降につながる。

 

 今回の出来事、FISも快挙を認めたものの「本業は竸技界」と釘を刺している。

 しかし、これは自然に対する人間の夢だ。日本のマスコミももっと意義を評価すべきだと思う。

 

 竸技ではなく「かっこいいスノボ」を支援しているミステリー作家の東野圭吾さんなら大喝采してるに違いない。

 

 ジャンプを中心に、まず楽しいお祭りをやりたいという

#小林陵侑 はじめの一歩は地元への恩返しの意味で、旧松尾村柏台で。

 

 この手のイベント、駆けつけるは良いが、実は不安があった。わざわざ行っても「あっ、何しに来たの?」とあしらわれる事が結構多いからだ。

 だが、岩手は違った。小林選手のご両親をはじめ、メダリストの三ケ田礼一さんや永井秀昭さん、Jr.のコーチ陣からもお礼を言われ恐縮した。

 

 

 トラック1台60万円×6の雪で作った小林陵侑こだわりのROYシャンツェ。ちびっ子達がハマりまくった。

 

 

 あいにく今日は授業参観日と重なってしまったが、明日は大賑わい間違いなし。

 

 どうかこれをスタートにネットワークを使ってどんどん広げてほしい。ジャンプ界のオオタニなのだから。

 

 https://youtu.be/sZYL1QStmzY?si=bLqkkz5Dbx13wf9Q

 

 小林兄弟のご両親は、まだジャンプ週間を観ていない。

 リードをつけてでも引っ張っていきたい。今でしょ!

 

#スキージャンプ #小林陵侑 #岩手県八幡平 

 岩手県盛岡中央通り 海ごはん しまか

 太田和彦氏訪問の居酒屋

 

 

 宮古の老舗魚屋とプロの酒屋が結婚してできた店。

 明るいカウンターは若者向けのようだが熟年の常連がポケットに手を入れて「ヨッ!」と入ってくる不思議な空気。

 

 

 生まれて初めて穴子をナイフ&フォークで食べた。完全にステーキだ。

 

 

 太田和彦氏と喧嘩したというマスター。吉本から独立したんじゃないかと思うくらい夫婦で客と喋る。

 太田和彦氏のモットーは「良い酒、良い料理、そして良い人」喧嘩したって言ったって「良い人」じゃなければ名居酒屋には載らない。🤗

 

 

 

 

 ほろ酔いに夜桜眺める帰り道

 堀端の夜桜に千鳥足

 

#岩手県 #盛岡 #海ごはんしまか #太田和彦 #名居酒屋