●はじめてのホツマツタヱ⑦ | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

▼イザナギ、イザナミ
       夫婦神による国家再建


両神を世継ぎに選出したのは
二代天神クニサツチの時代から採り入れ
られている合議制による全会一致です。

議会は全国的に乱れた人心と食糧事情を
立て直す為、葦原(山陽近畿地方)で
成功している稲作技術を全国に普及させ
米を主食とする計画を立てます。


両神は人心安定の為、まず
ヤマトアキツス(大和秋津州・本州)から
淡路島、伊予阿波フタナ(二名・四国)
隠岐三つ子(隠岐諸島)、筑紫(九州)
吉備の子(瀬戸内の島々)、佐渡
ウシマ(大島・北海道?)まで全国を回り
人々が自然の恵を平等に享受できるよう
漁業権や農地、水利の秩序作りを進めます。

両神の政策は天地自然の摂理にかなうもの
だったので、地方の争いは絶え
産業も振興、国民の信頼を得て
新しい統治国家が出来上がったのです。



▼日嗣の君アマテル誕生

次に成すべきは
人民を守ってこの国の平和を維持する
優れた「日嗣の君」をもうけること。

両神は「ハラミの宮」(甲府市酒折宮)
=当時は富士山山麓に落ち着き、
一心に祈って日の神をお産みになりました。

皇子はウホヒルギと名付けられ、
甘やかさぬよう天(五代タカミムスビ=
タマキネ=トヨケ大神=豊受大神)に送り
「君」に相応しい教育と
「御柱の道」(ミハシラノミチ)の
伝授を託します。

この太陽の申し子こそ、後に大成し
「アマテル大御神」と称えられる君で
トヨケ大神は熟考の末
「ワカヒト」と斎名を捧げます。

日の神がお生まれになったので 
ハラミ山(富士山)を「大日山」オオヒヤマ
とも呼ぶようになりました。


甲府市の酒折宮    創建年代不詳
連歌発祥の地とされている。



▼二男ツキヨミの誕生と
         ワカ姫の復籍

両神はその後も全国を巡幸され
ツクシ(筑紫)でお生まれになった
皇子モチキネを「日の神」に次ぐ
貴い神になれ、と願いを込めて
「ツキヨミ(月読)の神」と称え名され
この子も天(トヨケ大神)に上げました。


また、ツキヨミが生まれる前のこと、
先に汚穢隅回避の為「捨てた」ワカ姫を
「天の節の厄払い」も成ったとして
第一子ではあるけれど、アマテルの妹という
序列で復籍し、両神の元で暮らすことに
なりました。


▼三男ソサノヲ誕生

その後ソサの州(紀伊半島)で生まれた
末子ハナキネ(ソサノヲ)は
幼い頃から我が強く
気に入らなことがあると駄々をこね
大声で泣きわめく子供でした。
その性格は成長しても止まず、
凶暴性を発揮し人々に危害を及ぼします。 


イザナミはソサノヲの行状が世に災厄を
もたらすのは、自分の身に宿った汚れが
ソサノヲに乗り移ったせいに違いない、と
思い詰められ、世の隅(クマ)を
一身に受けて民を守ろうと決意、
「クマノ宮」(熊野宮)にお住いになり
ソサノヲの悪行の償いに努める生活を
されたのです。



ですから
両神が皇子たちをお産みになった宮殿は

ワカヒト(アマテル大御神)を産まれた
「天のハラミの宮」
ワカ姫を産まれた「筑波のイサ宮」
ヒヨルコを早産された「淡路の宮」
ツキヨミをお産みになった「ツキスミの宮」
ソサノヲが産まれた「クマノ宮」

合わせて五つの殿があるのです。