●修験道の本~神と仏が融合する山界曼荼羅 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

中国の道教にあたるような存在が
日本の修験道。これはなかなか奥深い!


修験とはすなわち「修行得験」
目的は験力=超能力の獲得で、
その修行の場が山岳なのだ。


行者は死を意味する儀礼を行い
死出の旅立ちといった装束で入山し、
全てを包み込む山中の他界で
失われた霊的な生命力を取り戻す。





コンセプトは自然回帰。そして、擬死再生。
一度死んで、苦行の中で罪を滅ぼし
新たに生まれ変わる。


その厳しすぎる修行は木喰行、窟籠り、水行
断食、不眠不動、火渡り・・・
果ては土中入定や捨身まで、、って、
コレまじで死んじゃうことだけど。。

大峯山上ヶ岳の「西の覗き」は正に捨身行。




何故山なのか?
そこに山があるから・・なんて事ではなく
まず太古から、山は死者の霊魂が還っていく
場所だった。(山中他界観)
これが仏教と結び付き、平安時代には
「山中浄土観」に発展する。


宗教学者の山折哲雄氏によれば、
日本の山で「浄土」、「賽の河原」、「地獄」に
まつわる地名がない山は無く、これを
日本の山独特の「三点セット」と呼ぶそうだ(^^)

富士参詣曼荼羅    参詣者が登山している。






などという、観念的な意識だけでなく
実は「鉱物」や「薬草」の実用品が重要なのだ!


三種神器である勾玉、鏡、剣は全て
山からの産物であり、占い用の神鹿の骨や
御幣に付ける麻も賢木も、
装身具、祭司具の数々も聖なる山に由来する。


古代社会では金と同じ価値のある水銀も
たたら鉄も、薬草も、山に分け入らねば
手に入らない。
山は神そのものであり、禁足の霊域。
山を支配する者は、その産物も支配する。





修験道のメッカは熊野三山と金峰山。
そして開祖は役小角(えんのおづぬ)=役行者

この人はちゃんと実在した人らしく、
舒明天皇6年(634)、大和国葛城生まれ
氏姓は「賀茂役君」。


続日本紀の文武天皇3年(699)の記述では
「役君小角は初め葛木山に住み、咒術を
もって称えられたが、弟子の韓国広足に
『師は妖惑の術を用いている』と讒訴され、
伊豆島に流された」


「小角はよく鬼神を使い、水を汲ませ、薪を
採らせた。もし鬼神が命に従わないときは
咒をもってこれを縛った」とあるそうだ。
ホントかな?きっと本当なんだろう。うん。

役行者(役小角)と前鬼、後鬼の二鬼像




修験道はその呪術性から、特に密教と
結び付き、中国の道教も取り入れて
誰もが求める即効性の現世利益を提供する。


白河上皇の熊野詣に始まり、
権力の中枢で求められる呪力を発揮し、
病気を治し、組織的な教団で力を誇ったんだ。


泰澄、円珍など名の知れた人もいるし
寂仙という人は予言通り、死後28年で
生まれ変わり、瑳峨天皇になった!というし
木造仏の円空、木喰も修験者なんだって。

富士講の開祖、藤原角行。





民衆にも熊野信仰、白山信仰、御岳信仰、
出羽三山、日光信仰、英彦山信仰、
三輪山信仰、羽黒修験、富士講、etc.etc...
立山修験は富山の薬売りの源流だし、
もー、絶大な影響力!!


今の感覚では、修験道とか山伏とかは
浮世離れした存在にしか思えないけれど・・

それは、徳川家康の「修験道法度」で
真言宗系の「当山派」と天台宗系の「本山派」
として、帰入させられたり、
明治5年には神仏分離による廃止令もあり、
17万人いた修験者か激減してしまったせい。

役小角は蔵王権現を感得した。




●道教の世界によると「道」とは目や口などの
いわゆる五官では捕らえにくいもの、
そんな感覚を越えたもの。
時には「玄」ということもあり、
それは「奥深いもの」という意味になる。

8/15  BSプレミアムの異界百名山の不思議な
話は、味わい深いものがあった。。。





中国の道教も、日本の修験道も、
呪術的な要素から低俗視されがちだけど、、


日本の国土の76%は山。
外来仏教の小難しい教理より
山に入って全身に自然を感じる方が
確実に何らかの説得力がある訳で、、、
実はこれこそが日本人のリアル宗教!って
感じがするなー。


白山での不思議体験を語る猟師さん。
どの話も何者かに見守られてるかのようだ。