日本で最初に作られた電力会社は
東京電力の前身「東京電燈会社」明治16(1883)
エジソンが白熱電灯の実用化に成功(1879)
してから、わずか4年後だ。
スタッフ11人の最初の仕事は
鹿鳴館に白熱電燈をつけたこと。
そして首相官邸(伊藤博文)の仮装舞踏会、
外務大臣邸(井上馨)での団十郎天覧歌舞伎。
電気の需要は日清・日露戦争の好景気で伸び、
すわ有力産業!・・と電力会社は乱立し
大正の終わりには738社もあったそうな。
この混沌からダンピング合戦、過当競争を
九州から中国、関西へと攻め上ってきたのが
「電力の鬼」松永安左エ門!
「東京電燈」に対し「東京電力」なる紛らわしい
新会社で、一夜にして強引に電柱立てちゃう!
・・なんて、どぎついやり口で吸収した。
この「電力王」松永安左エ門の懐刀として
東電を運営していくのが、木川田一隆で、
描かれるのは、二人が動かす電力会社側と
電力を国家管理したい通産省の熾烈な争い。
電力の歴史もまた、戦争なしには語れないん
だなぁ。。ということを痛感する。。
昭和12年に日中戦争勃発すると、
翌13年電力国管法、国家総動員法成立、
14年(1939)、日本発送電会社が創立する。
電力国管法によって、電力会社は配電だけを
する会社となり、発電所や主要な送電線の
設備は、この国策会社に奪われたんだ。
◆「お役所仕事で電力事業などできる訳ない」
(*`Д´)ノ!!!
◆案の定、停電は頻発し、挙げ句
電力消費規制・・って、国家権力発動かっ!
◆近衛内閣の昭和研究会、大政翼賛会だって
平和推進のために「統制」を提唱したのが、
逆に戦争に向かう原動力になったんだろっ!
・・と、東電の「管理アレルギー」は根深い~~
これがこの先も重要なキーポイントになる。
戦後、GHQの後押しで通産省ができ、この
日発が解散すると、隠遁中の松永安左エ門を
白洲次郎が引っ張り出し、民間による
だが、九電力体制の外に通産省が巧みに一つ
残した、電源開発株式会社。(電発)
ここを反撃の砦に、「電力の自立」を掲げる
東電との争いはさらに続く・・道具は原子力。
銀座の電源開発本社 「でんぱつ」 「J-POWER」
日本の原子力発電のルーツは、戦犯が収容
されていた巣鴨プリズンにあるという。
のち、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一など
日本再建の表と裏で連繋する、怪しげな人脈
の中、元大政翼賛会事務総長の後藤文夫が
巣鴨プリズンで原子力の電力開発を知る。
これを聞いて実践、民間企業を大同団結する
原子力産業会議を発足したのが
「日本原子力界の陰の首領(ドン)」 橋本清之助
以後、原子力の主導権争いに関して
アイゼンハワーの「雪どけ」声明(1953)
第五福竜丸、1954
鮭缶と原子炉のバーター取引、1957
資源エネルギー庁、原子力産業室1973
核燃料サイクル戦争、原子力の国産化、
電源三法1974、幻のMA-T計画1976、
ソフトエネルギーパス
バカチョン原子炉(簡易な小型原子炉構想)
代替エネルギー公団構想・・など、
衝撃的な話てんこ盛りの中、
第一次1973第二次1979、オイルショックの時
実際は石油の輸入量は減っておらず、
OPEC(石油産出国)と
メジャー(巨大石油会社)の争いによる、
いわば「メジャーショック」に踊らされただけ
だった、という事実は、文字通りショック。
世間一般や記者たちは、電力会社と
ノートリアスMITI(悪名高き通産省)の戦いの
構図ばかりを喧伝するけど、、読んでみると
両者ともに原子力の危険を警戒してるし、
特に通産省は早くから長期エネルギー計画に
着手していて、原子力は単なるつなぎだ、
太陽光など自然エネルギーを急がねば!
もうどっちが先でも関係ない、日本の将来が
かかっているのだ!!という熱意に驚いた。
切迫感が両者に協調を生み始める、1980年。
なのに、この本から既に40年。
不幸な事故を経験し、ようやく止まった
原子炉を、また稼働させなきゃならない実情
は、なんとしたことか。
前書きで田原さんは、この事故は本当に
予想外だった・・・と自戒を込め告白している。