●菅仲(上・下) @宮城谷昌光 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

紀元前1046年頃に周王朝が興ってから、
300年位すると、斉とか魯とか栄とか衛とか
諸侯の力が強まり、周王朝は衰退する。



各国に多々賢人が現れた、という「春秋時代」
の中で、最初に「覇者」となったのが
紀元前685年の斉の桓公だ。



これは各国を従え、争いを裁く権利を
周王朝が認めた、日本の幕府みたいなもんで
桓公の死後は晋の文公、秦の穆公、楚の荘王
とか、、どんどん出てきて、公じゃなく
王まで自称する、戦国時代に突入してゆく。








で、最初の桓公を覇者に押し上げ、
諸侯の尊崇を集める仁者となし、
斉に善政を敷いたのが、菅仲と鮑叔だ。



「菅鮑の交わり」という言葉で有名なこの二人。



作者の宮城谷さんは、
「桓公は君主になるまでは鮑叔に薫陶され
  君主になってからは菅仲に教導された。
  桓公の器量の比類なき巨きさは、
  鮑叔と菅仲が協力して作った芸術作品・・」

と、言っている。


亡命先から斉を目指す、公子小白(桓公)と鮑叔






本の主役は菅仲だし、実際に桓公の側で
政治をしたのも菅仲なんだけど、読んでたら
断然!鮑叔の方が印象的!スゴい人だー



斉を強い国にする・・二人の想いは一緒ながら
それぞれ君主の二男、三男に仕えたので
ガチンコで後継者争いをすることになる。



コレが悉く鮑叔の作戦勝ち、菅仲は完全敗北で、当然死ぬべき所なんだけど、
この先の桓公に必要なのは菅仲デス・・と強引に
側近にさせ、自分は身を引いてしまうのよ。



鄭の太子忽(昭公)から、妻となる女を渡される
鮑叔。=(鮑 叔牙)






宮城谷さんは、長年、菅仲を書きたい!と
思いながらも資料が少なく、肝心の鮑叔との
出会いが解らず、20年以上悩んだそうだ。



もちろん古代の話、多くは想像で書かれるん
だけど、「二人が若き日共に商売をした」
という一文から、着想のヒントを得て、
可能性のある出会いが、想像できたそうだ。



不遇時代、行商する菅仲と鮑叔。




そうだよねぇ。紀元前のお話だもの。
日本は弥生時代、孔子が生まれる百年も前。




これは菅仲=(菅 夷吾)の有名なお言葉。

●「倉廩(そうりん)実ちて礼節を知り、
     衣食足りて栄辱を知る。」
→菅仲は貴族の時代に
  初めて民衆のための政治を行った。


●「論卑くして、行い易し」
→彼の政論はわかりやすく、
  民衆が実行しやすかった。


そして士農工商という身分を、中国で最初に
作ったのは、菅仲なんだって。(^^)