●外交五十年 @幣原喜重郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)
といえば、戦争放棄を発案した人・・・
なのかどうか?・・という所で名前を聞く。


ご本人の手記には、憲法に戦争放棄を明記し
かつ軍備も全く持たない方が良いのだ!と
確信するに至る思いが、熱く語られていて、
ああやはり、この人の意思によるもの
だったのかなぁ。。と、思わされる。





幣原さんは、タイトルの通り、外交一筋の
プロフェッショナルで、どこの国の人にも
本当に信頼されていたみたい。


「幣原外交」という言葉は、「軟弱路線」の意で
使われるようだけど、、それは戦時中の
強行論者の非難で、至極真っ当で理性的な
平和外交を目指した結果に見えるけど。




特に、中ソ間を調停した秘密外交、
日華和平の好機を逃したこと、
満州事変拡大等の裏話は、
本当に貴重なんじゃないかなぁ。


それ以降、幣原さんは表舞台を降りてしまう
んだけど、本当に惜しいと思うよ。。

関東大震災で家財を失い、(1923)
文京区の六義園に住む。
ご本人曰く「広大な庭園に掘立小屋」 と。




日本がとうとう南部仏印への侵攻を決めた。
近衛文麿首相が極秘で相談に来た。
「それは必ず戦争になる。すぐ引き返す
大命を発するべきだ」と、断言すると、
近衛首相は「そんなことになりますか」と
目を白黒させた・・

なんて記述を見るとね、、
何故この方に舵取りしてもらわなんだか。。

1931年(満州事変の年)タイムスの表紙に。




で、戦時中ほぼ引退状態だった幣原さんが
戦後、突然総理大臣をを命じられたのは
鎌倉に隠棲する矢先、寝耳に水だったそう。


天皇陛下直々の要請に、命を賭す覚悟をした
72才。亡くなるのは6年後の78才、
この自伝の序を書いた8日後の急逝だった。
つまり本書は、幣原さんの遺書ともいえる。


幣原内閣は1945・10・9~1946・5・22




小学校からの同級生、浜口雄幸との友情
気骨の外交官、小村寿太郎との思い出、
高橋是清に敬服した出来事、
友人鈴木君(鈴木貫太郎)の泣けちゃう話し、
・・もう貴重なエピソード満載なんだけど・・


中でも幣原さんの語学&外交官の師で、
外務省顧問として30年以上日本に貢献した
米国人、ヘンリー・ウィラード・デニソン
は印象的。





日露戦争の重要な外交電文をデニソンが
作成する秘話を紹介してるんだけど、
電文を繊細に推敲する過程に感動した
幣原さんが、勉強のために下書きを欲しい、
というと、目の前で燃やしてしまう。


「こういう物が残ると、デニソンが日露交渉
に主要な役目を果たしたように、伝わるかも
しれない。これは全く小村さんの功なのだ」



コレ全く、知恵伊豆や保科正之と同じ行為。
こういう人を師と仰ぎ、職務に邁進したのが
幣原喜重郎なのだ。高潔さ推して知るべし。

ネットで素敵お二人のな肖像画、発見。




一方、大政翼賛会への入会を断固拒否したり
不当な中傷に、腕まくりの喧嘩もしたり、、
という、骨太な気概も多々見受けられる。


偉人の伝記を読むと、「正直であること」 に
品格を感じるなぁ。正直には勇気がいるのだ。

「日本の行く道はこの他にない。
  わずかばかりの兵隊を持つよりも、
  むしろ軍備を全廃すべきだという
  不動の信念に私は達したのである。」



【追記】2019年2月
戦争関連の本を読み進めた結果、
現在私の見解は、幣原外交=軟弱路線
戦争放棄=マッカーサー発案、、に傾き中。
政治の裏の裏は深いなぁ。難しいなぁ。