●実録アヘン戦争 @陳舜臣 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

幕末本を読んでると必ず、
中国で起きたアヘン戦争の二の舞になること
を恐れて・・兵学研究なり、攘夷思想なり
日本急転回のキッカケとなっている。


アヘンで国民が蝕まれ、西洋諸国の餌食に
なるぞ~~植民地にされちゃうぞ~。。
てなイメージなんだけど、ハテ、
何が起きたのか、全然知らなかったのよ。







アヘン戦争は1840―43年。英国VS清国。
日本では天保11年、蛮社の獄辺りか。。


アヘンは1700年代から、イギリスの大事な
輸出品となっている。西洋では吸わないけど
東洋人の体質に合うようで、中国では
1800年代の厭世気分に乗って、蔓延した。


ちなみに、日本でアヘンが流行らなかったのは、幕末という民族の青春期だったからだろう、、と、陳さんは言っている。







当時は中国も鎖国中で、貿易は広州のみで
される。この状況は日本とウリ二つ。。
なんだけど、国の姿勢は全然違うんだね~
さすが中国。。というか、態度デカ!


なにせ中国以外の国は、みーんな蕃夷。
全ての国を下に見てるわけで、
しかも「中国に無い物なんて、ない!」


だから、貿易なんて、そもそも必要なし。
通商を希望する国には「お情けで」これを
許し、国としては関わらない体裁だ。


南蛮渡来を珍重する日本とはエライ違い。
これが、「中華思想」ってやつなのね。
中国 as  NO.1!中国四千年!ひかえおろー

中国王朝が宇宙の中心  DEATH!





19世紀、イギリスではティータイムが
習慣化し、お茶は生活必需品となる。
当時、茶葉の供給源は中国だけなのに、
イギリスからは見返りの輸出品がなかったのだ。この不均衡をアヘンが解決する。


侵略目的でアヘンを広めたんじゃなく、
純粋に経済活動だったのね。。。
って、それも酷いハナシ。。 (×_×)


清国の道光帝はアヘン撲滅を決めると、
アヘンを売った者、吸った者を死罪にする
とし、各国には誓約書を提出させた。


道光帝





戦争に至る経緯は、色々あったんだけど
要するに、イギリスだけが誓約書を拒否し
て対立、アヘン貿易を認めさせるべく
口実を作って、武力行使に出たわけで・・


教科書では、アヘン戦争について
「清国の変則的貿易形式を打破するために
イギリス商人のアヘンが焼き捨てられたのを
口実に、イギリスが宣戦布告した」とか
書いてあるようだけど、(覚えてない)


真実はあくまで、
「アヘン貿易を認めさせる」のが主目的。
自国の経済の為に、他国民を踏みにじる
行為、許すまじー。






当初、アヘン問題に立ち向かったのが
「林則徐」という英雄で、中国に珍しい
清廉の役人。人格的にも素晴らしく、
実はイギリス人からも、歯ごたえのある敵
、として尊敬されていたんだ。


林則徐




戦争になって間もなく、国内の反対勢力
により、林則徐は罷免されてしまう!OMG!
後任は保守派の無能な人物で、結局、
武力国力、全く勝負にならない戦争だった。



イギリスの横暴もさることながら、
長年、賄賂でアヘンを黙認してきた、
清国内部の腐敗こそが元凶であり、
自業自得ともいえる。のかな。。