●烈将 山口多聞 @生出寿 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

米軍が山本五十六を撃墜しようとする時。

「ヤマモトを殺しても、次に有能な指揮官が
来たら困る」

「ヤマモトより優秀なのは山口多聞だけだ。
彼はミッドウェイで死んだので、大丈夫」


という逸話で知られる山口多聞。



東京のエリート家庭に生まれ、「多聞」の
名前は楠木正成の幼名「多聞丸」から。


早くに奥さんを亡くしたが、8年先輩の
山本五十六の世話で再婚した、孝子夫人を
とても大切にし、手紙を沢山書いた。
愛妻家の優し~い人なんだよ。







まるまる太って威風堂々。
温顔そのもの、人徳のある顔立ち。
「この艦長となら一緒に死んでもいいな」
と、思わせる人物の大きさ。


なのに、戦争になると「凄い」。


「武人は早く死ね」  と言い、「生死いずれか
迷ったら、真っ直ぐ死に突き進め。」  と教え
その訓練の厳しさに 「人殺し多聞丸」
「気違い多聞丸」  と恐れられたんだ。


ミッドウェイ海戦では、沈没した空母四隻の
うち、最後まで残った「飛龍」で、
敵空母への最後の攻撃を試みる。


しかし火災の為、総員退去命令を出すと、
多くの部下を死なせた敗戦の責任を取って
加来艦長と残り、艦と運命を共にした。。


攻撃される空母「飛龍」




開戦半年でこんな有能な司令官を失った
原因は・・・    南雲忠一司令官の判断の悪さ
そして、連合艦隊の作戦のまずさ。


真珠湾でも多聞さんは、反復攻撃で燃料庫や
空母を徹底的に叩こうと主張したのに、
南雲忠一は逃げるように帰ってしまう。
淵田隊長も「そんな阿呆な!」と言っている


ミッドウェイでも多聞さんは、索敵を
厳重にするべきだ、と進言したのに
「敵が出てきてるわけない」


即刻航空機発進の必要アリ、と言っても
南雲司令官は爆弾を交換せよ、と大混乱。


多聞さんは度々、意見具申したけれど、
一向に取り上げられない。でも、
結果から見ると、多聞さんの言う通りにして
おけば、、という事例ばかりなんだ。

「提督の最期」   国立近代美術館
中央が山口多聞、その右後ろ加来艦長
下ろされた軍旗を迎える。






「海軍は人事で負けた」

と、作者の生出さんは言い切る。
お、ハンモックナンバーってやつね。


そして生出さんは完璧に、
山本五十六凡将論・・いや、愚将扱い?


だいたいなんで、山本五十六自身が
真珠湾に艦隊を率いて行かなかったのか!
何故、反復攻撃&徹底破壊を
予め指示しておかなかったのか。


たいした損害も与えず、アメリカ人の
対日抗戦意欲を刺激しただけの真珠湾なら
やらない方がましだった。


ミッドウェイでは、山本五十六座乗の主力
大和は、前線から15時間も離れて航行している。ハナから戦闘に参加する気ないだろ
歴史的な大愚策だ!と。。。


なんか、私もそんな気がしてきた。。。