●真珠湾攻撃総隊長の回想~淵田美津雄自叙伝 @中田整一編 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

真珠湾攻撃の航空総隊長として
太平洋戦争の口火を切った張本人!・・・は


さらに南方作戦、インド洋作戦で活躍。


ミッドウェイ海戦では、沈没した旗艦赤城で
重傷を負い、連合艦隊参謀となっては
レイテ湾作戦を起草した。


敗戦後は厚木飛行場のクーデター計画を
見事に鎮圧してマッカーサーを出迎え、
ミズーリ号での降伏調印式に立ち会う。。


この勇猛なる歴戦の勇士が、なんと戦後、
クリスチャンとなり、日米各地を伝道して
歩いたという。なんでだろう??







この本が出されたのは2007年。


未完の自叙伝「夏は近い」の膨大な遺稿を
NHKのスペシャル番組などを手掛けてきた
中田整一さんが一冊に纏め上げた。


とにかく文章が上手い!面白い!明るい!


元気溢れるユニークな文章。
「勇気ならあまるほど持ち合わせている」
 「よーし、ジャンジャン飛んでやるぞ。」
  (*^^*)


正直だから毒も吐く。
戦艦大和を「世界の三馬鹿」と言い、
「海軍の上層部は皆老いた凡将」とし、天下の
山本五十六にも凡将の烙印をペッタリ。


マッカーサーには もっと厳しい。
「  “東京への道は遠かった”  などとほざく、
小憎らしいゼスチャーには、横ツラに往復
ビンタを喰らわしてやりたい衝動を・・・」



そして終戦の玉音放送を謹聴した時には
「ヨシ、万世の為に太平を開くことに、
この命をかけよう!」  と決心したんだ。
前向きだなー!  てか、前のめりだなあ。。

霞ヶ浦航空学校時代





淵田は東京裁判に向け、連合国側の捕虜
虐待を調査する。すると、期待に反して
「非常に親切な看護婦がいた」と聞く。


しかも彼女は『自分の両親が日本兵に
殺されたから、親切にしています』と。
淵田は心から驚いた。


       「父よ、彼らを許し給へ、
            その為す処を知らざればなり」


のち、聖書に出逢い、この一文を読んだ時
全てが了解された。憎しみは絶ち切らねば
ならないのだ!!   仇討ちが美談、親孝行の
日本とは、ケタが違うではないか!!



思い込んだら前のめり。戦後7年で渡米。
「元真珠湾攻撃隊長」による布教活動は
反響を呼び、トルーマン、アイゼンハワーを
始め、敵将であったマッカーサー、
ニミッツ、ドゥーリトル、スプルアンス、
錚々たるメンバーとも会談した。

アメリカ本土を初めて空襲した
キャプテン・フチダと、半年後に日本本土を
初めて空襲したドゥーリトルが歴史的握手。





日本では「敵国の神を信じるとは何事か」
と批判された。アメリカでも、
パールハーバーの被害者から、憎まれた。


でも淵田は負けなかった。こんな事に負けて
いては、万世の為に太平を開けない!
動じることなく「真珠湾の英雄」を
「伝道の武器」にしたのだ。

1959年、アリゾナで伝道。





「寅年の一年児」という特別な強運の持ち主
だという淵田は、原爆前日まで広島にいたが
急用で呼ばれて、難を逃れたという。


奇襲成功の信号が「トラ・トラ・トラ」とは、
なんという縁起の良さ!

しかも真珠湾上空、まずトラトラトラを
発信しちゃってから爆撃開始した、という
超強気のフライング秘話にも驚く~(*_*)



剛胆にして一本気。   血の気の多い
根っからの『サムライ』なんだな。(^-^)/