●殉国~陸軍二等兵比嘉真一 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

昭和20年3月25日。沖縄全県下中学3年生
以上の生徒に、ガリ版刷りの召集令状が
発令され、「鉄血勤皇隊」が組織された。


14才~17才。初めての少年兵召集。


既に米軍が慶良間諸島に上陸し、激戦が
行われる中、少年たちは「陸軍二等兵」として
軍服をまとい、銃と手榴弾が渡された。


比嘉真一は沖縄第一中学校の3年生。14才
小さい身体に、ぶかぶかの軍服を折り曲げ
ゲートルをつける。それでも下級生の羨望
の眼差しに、誇らしい気分だったんだ。






「一中健児は全員死ね」
「一人十殺。敵を一人残らず殺せ」
「郷土を渡すな。神国日本を死守せよ」



吉村さんは例によって淡々と、
少年兵たちの戦争を、ありのままに綴る。


一瞬の爆撃で、内臓をはみ出させ
隣に横たわる同級生。


傷病兵の傷口に蠢く蛆。膿汁の悪臭。


そこら中にあるちぎれた手足。
死体を穴に放り込む。


重傷のふりをするズルい大人。


重症患者始末の為牛乳に青酸カリを入れる


発狂する人。手榴弾をくれとせがむ女・・・



捕虜になった少年兵。





仲間とはぐれ、敵機の襲撃を受けながらも
自分にも「その時」が来たら、華々しく散るのだ。。と期待に胸を膨らませつつも、、


・・・恐ろしさに震える。そしていつの間にか、
逞しくなってしまう、か細い少年。
読んでいて、つらい本だった。



吉村さんは「万年筆の旅」という取材ノート
で、この本を書いた経緯を語っている。







東京に住むご自身は、勤労学徒として工場で
働き、終戦の年に中学校を卒業したが、
戦後20年経って、初めて鉄血勤皇隊の存在を
知り、衝撃を受けたという。


昭和42年に沖縄を訪問する。日本円をドル
紙幣に替え、車も右側通行。街の様子は
終戦直後に米兵が進駐してきた頃の東京
そっくりで、呆然としたそうだ。

最後の激戦地・摩文仁(まぶに)





鉄血勤皇隊の生存者や、病院勤務の元女学生
など、取材が大学ノート13冊に及ぶ中、
国吉真一氏の話に深く感動した吉村さん。


「氏に、私は、私を見たと感じた」


国吉氏を主人公に、戦争に巻き込まれた
中学生の姿を  「比嘉真一二等兵」   という
一つの結晶に凝縮したのだ。


発表当初、諸事情から「殉国」とした題名を
昭和57年になって「比嘉真一陸軍二等兵」と
変更し、ようやく落ち着いた気持ちになった
そうだ。


本文もあくまで真一少年の目線からのみ
描かれ、余分な解説を加えず、
ただ現実にあったことを書きたかった、
吉村さんの切実な思いを感じる。