●戦艦武蔵 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

大日本帝国海軍が最後に造った戦艦
「武蔵」は、とにかくとにかく
デカいんだ。超弩級の規格外の不沈艦。


昭和12年の支那事変勃発辺りから
始動した、極秘の建艦計画。


呉の一号機が大和、長崎の二号機が武蔵。
一緒に造った同型の兄弟艦なんだね。






長さ263m、幅39m、もちろん過去最大。

側面の甲鉄の厚さ40㎝は見たことない。

普通の鋲は1.5㎝だけど、なんと4㎝の鋲を
特別に作り、なんと540万本打ち込んだ。

電力4800kwは人口3万の小都市に匹敵。

高さは国会議事堂と同じ

内部は13階構造、2300人乗り

5人乗り高速エレベーター、冷暖房完備

・・・・・


乗組員の訓練は、艦内の配置学習から。

朝、弁当を持って入り、区画毎に判を貰って
回り、出てくるのは夕方だった。えー?









この、見たことも聞いたこともない
バケモノ艦を秘密に極秘に誰にも知られず
造れ!と突然命令された、三菱重工業
長崎造船所の民間社員たち。


この非常事態を描くに、漁業縄の原料である
棕櫚の繊維が、九州全域から突然無くなって
しまう?!・・・というミステリーから
始まる・・・ドキドキワクワク吉村マジック。
オモシロイね~。


結局、この大量の棕櫚で作った縄は、
船体を外部から隠すべく周囲に張り巡らす
んだけど、とてつもない意味不明の代物







そもそも船がデカすぎるので、山を崩して
造船所自体も拡張したし、進水台も
世界最大のものに作り直す。


でっかい特製ボルトと、超大型錐を作り、
ぶっとい材木にま―――っすぐ穴を開ける。
この作業だけをなんと2年間練習させた。


「バカになれ」  という命令の下、落伍者は
どんどん放り出す。残った人は100%完璧な
穴開けができるようになったという。









国家の命運がかかったプロジェクトは
機密保持が何より命!


巨大な縄のカーテンに隠されること
まる二年半、しかし遂に進水する時には
長崎の町から船体が見えてしまう!


そのため2000人規模の警備員を配して
人々を家に閉じ込め、雨戸をひかせ、
海の方角を見ること禁止!  見たら逮捕!(×_×)


進水時の衝撃波が津波となり、家々は浸水したが、外へ出るのも許さない。ひどい~


外国人には命令できないので、進水時刻に
一斉に家庭訪問して、注意を逸らせる作戦
を敢行。涙ぐましい。ゞ(^o^ゝ)≡(/^_^)/"
   
昭和天皇の行幸。1943年6月24日




武蔵の就航は1942年8月5日。起工から実に
4年。旗艦となり山本五十六さんも乗せたけど、戦艦としてあまり出番はなかった。


大型艦船による海戦は、既に時代遅れ・・
主力は航空機で、しかも悲しいことに
日本には燃料の重油がもう、なかったんだ。


武蔵の最期は1944年10月24日。
レイテ沖海戦で敵の航空機爆撃や魚雷の
集中攻撃を受け、満身創痍、囮船のような
役割を果たして力尽きる。


2399名の乗組員中、1376名生存したが、
不沈艦武蔵の沈没は隠さねばならない・・・


武蔵乗組員、という肩書きは抹消され
内地送還は許されず、各戦地に送られた。
最終的な生還者は430人と言われている。



先日、2015年3月にマイクロソフト社員の
ポール・アレン氏がシブヤン海に沈む武蔵を
発見した、としてニュースになった。





ちなみに超弩級の「ド」って、1906年の
イギリス戦艦ドレッドノートを越える、
ってことなんだけど、ドレッドノート艦は
長さ160m幅25mだからね。小さいのぅ。


しかも、武蔵は攻撃を受けても沈没しない
アイデア満載、速い、強い、快適、デカくて
細やか。日本のモノヅクリの凄まじさ
こそ、まさに超異次元。ほんと、凄いぞ
日本の民間の普通の人たち!!