●関東大震災 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。


1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分

マグニチュード7.9

関東大震災。



震源はなんとなく東京直下かと思ってたら
・・・相模湾北西沖80キロ。


え、ここじゃん。(゜ロ゜)・・・・プレートが
100メートル以上、陥没・隆起したという。


被害も東京より横浜の方が大きかった。
普段から相模湾の生しらすを喜んで食べ、
家も斜面に建っている。 危ないよこれ~!







墨田区の被服廠跡では3万8千人が亡くなったが、この避難場所自体が不適当だった
訳ではない。未知の火災旋風の恐怖。


避難してホッと寛いでいた所、突如
大八車が荷物ごと宙に舞い上がり、人々は
豆を投げたように飛ばされたという。


そして突然、荷物に火がつく。逃げまどう人々。転べば下敷きになるので、死人の背中
を踏んで駆ける。真っ赤に焼けたトタン塀に
飛ばされた人が次々に貼り付く。。。



吉村先生の詳細レポは、怖くて途中読むの
やめようかと思うくらい。
実際の体験談も、長文でたくさん採用していて、息をつまる思いだった。

被服廠跡の惨劇




目立ったのは流言の恐ろしさ。
「朝鮮人が攻めてくる」という根拠のない
デマはどんどん真実味を増して、政府ですら
一時信じて、対応が遅れた。


背景には1910年の日韓併合がある。
生活できずに流入していた多くの韓国人に
「怨まれている」・・・という自覚。負い目。


井戸に毒を入れている、社会主義者と組んで
攻めてくる。あり得る・・皆.信じ込んだ。
そして恐ろしい「自警団」が自然発生する。


自警と称して武器を奪い、官憲気取りで
尋問する。言葉に詰まれば、「朝鮮人だ!」
懐に握り飯を入れていても、
「こいつ爆弾を持っている!」


斬殺された朝鮮人は政府発表231人、
吉野作造調査の2613人は政府によって
発表を禁じられた。実は6千人説もある。

が、朝鮮人の暴動の事実はなかったのだ。


10月22日  時事新報
新聞もデマを大々的に報じてしまう。




社会主義者、大杉栄と妻伊藤野枝さらに
6才の甥まで暗殺された事件については、
軍法会議の詳細を記述して、陸軍憲兵隊
甘粕大尉の陰湿な犯行を明らかにする。




焼け跡でどさくさに殺した、とかではなく
親戚の子と買い物中を意味なく連行、
署内密室で殺し、隠蔽工作までしている。


以前からの殺意を実行しただけの卑劣
極まる犯行なのに、懲役10年の軽い刑・・・


国家利益に反する社会主義者の殺害は
〈私利私欲を離れた美しい精神〉と認められ、
市民もそれを容認したのだ。

被服廠跡地に建てられた震災記念堂。
のち東京大空襲の被災者とあわせ、
東京都慰霊堂となった。





流言、デマ、凶暴な自警団、犯罪多発、
、、、人間の醜さが一挙に噴き出した当時の
震災から約90年。防災意識は高まり、
社会は成熟し、次の地震は大丈夫・・かな?


追)  今日は法事で浅草へ。

吾妻橋からスカイツリーとアサヒビールの
泡なのか、うん○なのか、ベストコンビ。
震災跡は、今や平和な観光地。