司馬遼太郎が「殉死」を書いたのが1967年
「坂の上の雲」が1969~1972年。
ここで日露戦争の英雄、乃木希典を
これでもか~!とばかりに酷評した。
司馬さんの「乃木愚将論」が広まったせいで
乃木の生誕地である現在の六本木ヒルズ・
テレビ朝日毛利庭園から、乃木にまつわる
石碑や説明文は消滅してしまったんダ、、
と、作者の古川さんは悔しがる。
古川さんは長州人。山口県下関のご実家は
乃木神社から歩いて15分。
「乃木さん」は地元の神様でもあるのだ。
「これでは乃木さんが可哀想だ」 ( ノД`)…
今度は、古川さんが天下の司馬遼太郎に
もの申す! 果して乃木は愚将か聖将か。
古川さんは長州関連の著作が多く、
大正14年生まれ、司馬さんの2才下だ。
司馬さんは平成8年に亡くなったが、
古川さんはご存命で、この本は平成20年に
書かれた最新作になる。
司馬さんとは会食したことがあるそうで、
その時 「長州はお嫌いですか?」 など
疑問をぶつけたそうだ。
司馬さんは 「街道をゆく」・「長州路」の中で
「司馬ナニガシが長州に来たら殺す」と
言われた、、と不評ぶりを明かしてるけど
乃木神話をあそこまで粉砕するような
本を出版するって、かなりの信念&勇気が
あってのこと。長州嫌いか?なんて
単純な発想はどーかと思うが。
確かに司馬さんの乃木無能呼ばわりは
読んでて「ずいぶんだなぁ・・・」と思う。
でも必死で反論する古川さんの弁護も
かなり身びいきで「どうだかなぁ・・」
ま、判定はせず、両方聞いておこう。
作家たるもの、ペンは剣。
自分の信念を臆せず語り、闘ってくれ!
(^_^)/□☆□\(^_^)
最後に古川さんは言っている。
「自敬に徹した最後のサムライ
乃木にとって、世上の毀誉褒貶は
無縁のざわめきでしかない」
そうそ、人の評価なんて気にするような
市井の人間ではないのだ。乃木大将は。
そして私は乃木の親友、大山巌の片腕、
日露戦争の真の功労者。
優しくて強い、児玉さんが大好きだー!
「そこから旅順港は見えるか」 (`◇´)ゞ
乃木に代わって僅か4日で二〇三高地を
獲り風のように去っていったスーパーマン
児玉源太郎♡
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有名な与謝野晶子の
「君死にたまふことなかれ」 は
明治37年9月に発表された
日露戦争の反戦歌だったんだね。
君死にたまふことなかれ
~旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて
与謝野晶子
あヽをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃を握らせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねをとや
二十四までをそだてしや。