●斜陽に立つ~乃木希典と児玉源太郎 @古川薫 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

司馬遼太郎が「殉死」を書いたのが1967年
「坂の上の雲」が1969~1972年。



ここで日露戦争の英雄、乃木希典を
これでもか~!とばかりに酷評した。




司馬さんの「乃木愚将論」が広まったせいで
乃木の生誕地である現在の六本木ヒルズ・
テレビ朝日毛利庭園から、乃木にまつわる
石碑や説明文は消滅してしまったんダ、、



と、作者の古川さんは悔しがる。



古川さんは長州人。山口県下関のご実家は
乃木神社から歩いて15分。
「乃木さん」は地元の神様でもあるのだ。



「これでは乃木さんが可哀想だ」  ( ノД`)…



今度は、古川さんが天下の司馬遼太郎に
もの申す!  果して乃木は愚将か聖将か。








古川さんは長州関連の著作が多く、
大正14年生まれ、司馬さんの2才下だ。



司馬さんは平成8年に亡くなったが、
古川さんはご存命で、この本は平成20年に
書かれた最新作になる。




司馬さんとは会食したことがあるそうで、
その時  「長州はお嫌いですか?」  など
疑問をぶつけたそうだ。




司馬さんは 「街道をゆく」・「長州路」の中で
「司馬ナニガシが長州に来たら殺す」と
言われた、、と不評ぶりを明かしてるけど




乃木神話をあそこまで粉砕するような
本を出版するって、かなりの信念&勇気が
あってのこと。長州嫌いか?なんて
単純な発想はどーかと思うが。




確かに司馬さんの乃木無能呼ばわりは
読んでて「ずいぶんだなぁ・・・」と思う。


でも必死で反論する古川さんの弁護も
かなり身びいきで「どうだかなぁ・・」




ま、判定はせず、両方聞いておこう。

作家たるもの、ペンは剣。

自分の信念を臆せず語り、闘ってくれ!  

 (^_^)/□☆□\(^_^)





最後に古川さんは言っている。


    「自敬に徹した最後のサムライ
      乃木にとって、世上の毀誉褒貶は
      無縁のざわめきでしかない」    



そうそ、人の評価なんて気にするような
市井の人間ではないのだ。乃木大将は。



そして私は乃木の親友、大山巌の片腕、
日露戦争の真の功労者。
優しくて強い、児玉さんが大好きだー!





「そこから旅順港は見えるか」    (`◇´)ゞ
乃木に代わって僅か4日で二〇三高地を
獲り風のように去っていったスーパーマン
児玉源太郎♡



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有名な与謝野晶子の

「君死にたまふことなかれ」    は

明治37年9月に発表された

日露戦争の反戦歌だったんだね。





      君死にたまふことなかれ

    ~旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて

                                  与謝野晶子



あヽをとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生まれし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃を握らせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねをとや

二十四までをそだてしや。