●落日の宴(上・下) ~勘定奉行・川路聖謨 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

川路聖謨(かわじ  としあきら)は
ペリー来航後、ロシアのプチャーチンと
1854年日露和親条約を締結した、
幕末きっての名官吏。


礼儀正しく、粘り強い交渉で
“樺太現状維持”など、国益を守った
「理想の外交官」


秘書官ゴンチャロフも
「彼の一言一句、一瞥、物腰まで全てに
  良識と機知と炯眼と練達を顕していた」
と、手強かった交渉相手を賞賛する。


吉村昭さんは、この人の卓越した功労と
優れた人間性をとても尊敬し、
迷うことなく小説の題材に選んだそうだ。







川路は洋学研究集団である「蛮学社中」の
一員で、蛮社の獄で処分された渡辺崋山、
高野長英や、韮山反射炉の江川坦庵とも
親しい開明派。


でも生活は質素、一汁一菜、公務期間中は
禁酒。そんな“質実剛健”を、今回も
吉村先生がたっぷりと徹底密着レポ。
敬愛ぶりが伝わるなー(^з^)-☆


詳細な記録を読むと、幕府の命で
長崎へ江戸へ下田へ京都へ江戸へ下田へ、、、雨だろうが槍だろうが全速力!


ほんとに昔はタイヘンだ!


川路聖謨53歳。
毎朝欠かさず行う、早足歩行訓練は、
間宮林蔵に倣って夏は裸足!足の裏が柔らかくならないようにね。&甲冑着用!






日露和親条約の交渉中は、下田を大地震と
津波が襲い、下田の町は壊滅し、
ロシア船ディアナ号も沈没!
そりゃあもう、タイヘンだったのだ。


計らずも日露双方が助け合うことに!


「魯人は死なんとする人を助け、
   厚く療治の上、按摩までするなり。
   助けられし人々、泣いて拝むるなり」
         川路聖謨「下田日記」


そして数日後、戸田港で沈没したディアナ号から船員を全員救助し、暖をとらせ
着物や食料を提供した地元民たち。


ロシアの航海誌には、
「誠に善良な、博愛の心に満ちた民衆よ!
 この善男善女に永遠に幸あれ!」   と。


現代と変わらぬ交流が行われていたんだ。


安政元年。まだ吉田松陰も生きている
頃で、、、全国的には攘夷思想だけど、
現場にいればこの通り。。( ゜o゜)






川路は安政年間の将軍継嗣問題で
一橋慶喜擁立派であったため、
井伊の大獄で謹慎処分となってしまう。


その後病臥。
一橋慶喜が将軍職を放棄したこと、
さらに江戸開城を悲観する余り、切腹の上
自ら拳銃で命を絶つ。


日本でのピストル自殺第一号、
なんて言われるようだが、
幕府は彼の“全て”だったんだ。。。


真面目で実直。妻を心から愛し、
ユーモアにも富んでいた、という川路。


プチャーチンは「川路はヨーロッパでも
珍しいほどのウィットと知性を兼ね備えた人物であった」  。。と。  (^o^)v


日本人の誇りと美徳を、
余すところなく国外に示し、
幕府に殉じた、隠れた英雄。


心からの敬意を表しまする。(`◇´)ゞ




*~*~*~*~*~*~*~*~*





でっかい抹茶ミルクを飲んだんじゃ。80