●天狗争乱 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

水戸藩では昔から門閥派と尊攘派が
イガミあっており、さらに尊攘派は
激派と鎮派に分かれる。フクザツなんだ。


天狗党は尊攘激派で、
藤田東湖の息子・小四郎が中心となり
筑波山で旗揚げしたんだが、、


  「身分の低いもんが天狗のように鼻を高く
     して威張り散らしておる」  (-""-;)

   「天狗は義勇に通じるんだぜ」  ( v^-゜)♪

てなわけで、「天狗党」となった。


元治元年(1864)、ほぼ一年間に渡る行軍が
各地で恐れられ、騒動となった。





問題の「行軍」の目的は
当初、幕府に攘夷断行を迫ろう!
という、ヒジョーに単純なものだった。

その為、水戸出身の一橋慶喜を頼り
理解を得ようとひたすら京都を目指した。
ただ、それだけだったんだよ。。



武田耕雲斎が指揮するようになってからは
軍律を厳しくし、行軍で通過する村にも
迷惑をかけず、評判を上げた。
約1000人の行軍だ。


合戦が予想されるときは、予め宿所の畳を
裏返して土足OKとし、帰りはちゃんと
清掃。宿賃などもキチンと清算したり♡


だから結局、投降して処刑されるに
至っては、かなり同情を集めたし、
穴を掘って352人の首を斬り、投げ棄てた
幕府の残忍さの方が、がぜん際立った。



こんな幕府に未来はない!   (`へ´*)ノ



元治元年、京都では池田屋事件と禁門の変も
起こっており、大政奉還まであと3年。
“倒幕”が現実味を帯びてくる。



攘夷思想の発信源となった水戸藩。

この混乱により、藩内の勢いは失われ
維新では薩長土のような存在感を
示すことができなかった。



*~*~*~*~*~*~*~*

 

〈月岡芳年  名誉新聞  水戸藩武田耕雲斎〉
当初、天狗党ではなかったが、成り行き上
行動を共にすることになり、総大将に。
家族も処刑された。(;o;)





例によって吉村さんの取材調査は詳細を
究め、自分も天狗党の一員として行軍して
いるかのような臨場感。


そしてこの、吉村さん自身のお言葉。

「これはフィクションではないのです」

     !!!   ( ・∇・)
   
「降伏の話し合いがあった新保村の部屋でも
    隅に立っていましたから、
    登場人物が何を思ったか書けるのです。」
     (-.-)y-~



さすが歴史小説の巨匠。
覚悟が違う!徹底的に潔い!

ついていきます!(*゜ー゜)ゞ⌒☆