●最後の将軍~徳川慶喜 @司馬遼太郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

うーん、傑物揃いの幕末史の中、
またもやスンゴイ人物発見!
この人相当ユニークだわー!



第15代将軍徳川慶喜。

父は水戸の烈公 徳川斉昭。
母は正妻である有栖川宮家の吉子さま。
一橋家に養子に出たのは、慣例として
水戸家から将軍には立てないからだ。



小さい頃からそれはそれはタイヘンに
将来を嘱望され、家康公の再来やら
救国の主やら、世上の評判ひとり歩き。



一部幕閣から草莽の攘夷志士に至るまで
その期待たるや、ほぼ信仰に近いものが
あったという。



あの安政の大獄だって、実は将軍継嗣で

徳川斉昭   ( 一橋慶喜擁立=攘夷)
          VS
井伊直弼   (紀州慶福擁立=開国)


の争いなわけで。      そして
井伊大老は斉昭派に暗殺されるわけで。



*~*~*~*~*~*~*~*~*



そしてついに、文久2年(1862)
将軍後見職として政治表に出たのが25才。



ところがですよ。


この尊皇攘夷総本山たる水戸家に育った
烈公斉昭の秘蔵っ子が、何を隠そう
バリバリの開国論者だった!
という、大!ドン・デン・返ぇし~!



「攘夷なんかできるか!」    (`へ´*)ノ



そうです、彼は旧体制である幕府トップにあって、実は勝海舟、坂本龍馬並みの
先見の持ち主だったのです。







それゆえか「得体の知れぬお人」
と言われ、良くも悪くもエピソード満載。



禁門の変では戦禍の真っ直中に斬り込んだ!こんな将軍他にはいないぜ。


酔ったふりして公卿や藩主を面と向かって
罵倒。言うだけ言って寝てシカト。


兵庫開港に反対する朝廷に乗り込み、公卿らを20時間缶詰め、喋り倒して屈服させる。


鳥羽伏見では、勝てぬ、と判れば
兵士たちに「出陣だ!」と号令だけして
素早く江戸まで逃げちゃった、とか。








慶喜が将軍位に就いたのは、ラストの僅か
一年なのだが、如何なる大名や公卿も議論で勝てる者は無く、天下第一の弁論家。
恐るべき将軍とされた。



桂小五郎いわく、
「彼の胆略は家康の再来を見るが如く。
 彼が敵である以上、余程腹を決めねば
 薩も長も千仭の谷に落とされるだろう」



大政奉還のとき30才位。

以後、絶対恭順を貫き、身分も無く
旧臣とも会わず、明治天皇に謁見したのは
維新30年後の62才の時だった。
大正2年没。


こんな強烈な千両役者が将軍だったとは!
興味津々。幕末は深い。深すぎる。