●大君の通貨 ~幕末「円ドル」戦争 @佐藤雅美 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

1858年(安政5年)日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリス。
滞日期間は1856ー1862の約6年間。



開国直後の日本に「ロクでもない人物」を
送り込んでくれたものだ、と佐藤さん。



ハリスは元々、陶器を扱うニューヨークの商人。共同経営の兄と仲違いし、持ち逃げ同然アジアへ来て、海の行商人となった。



兄の死後、アメリカに戻って猟官運動。
「駐日総領事」の“職”を得て来日し、
ナゼか蓄財に精を出すことになる。



ハリスは単なる  「総領事」  だけど、
イギリス  「公使」  オールコックの着任は
3年も遅いので、当然ハリスの情報から
日本を理解した。間違った情報だ。



即ち自分がコバング(小判)の買い漁りで
大儲けしていることを隠し、損だから
日本政府に忠告もしてない、ことも隠す。



こうして二人共、日本人を“未開人”と
見下すあまり、日本独自の
「金貨代用銀貨」の価値を理解せず、
というか《理解できず》
武力を楯に欧米の通貨常識を押し付けた。




その結果起きた
ハリス・ショック・インフレーション。
物価は3倍となり、小判が海外へ大量流出
そのうち幕庫は空になる。




何かと言えば「ミトのゴローコゥが・・」
しか言わない無能官僚の中で
ただ一人、経済のすべてを理解し、
ハリスたちとも対等にやり合ったのが
水野 筑後守 忠徳  (ただのり)  だ!



忠徳がいると思い通りならず、苛立つ
ハリスやオールコックは
別件の外国人殺傷事件にかこつけ
外国奉行から罷免に追いやる。  ヒドイ!



井伊大老亡き後、弱体化した
久世・安藤政権下、忠徳は顧問として
屏風の陰に隠れて交渉人に指示を飛ばし、
「屏風水野」となるのが精一杯だった。



情況をひとり把握しながら、何も出来ずに
幕府の終焉を見る他なく、明治元年
憤死したという。さぞ悔しかっただろう。




*~*~*~*~*~*~*~*~*



オールコックはその後、自国の経済官の
調査により全ての不始末を暴かれる。


しかも日本の貨幣理論や忠徳の主張は
最初から全く正しく、
画期的なシステムであった、と知らされ
ショックを受けるオールコック。




◆筑後守の言うことに耳を傾けず、
◆ゴールドラッシュを引き起こし、
◆貿易を大混乱に陥れ、
◆物価の暴騰を引き起こし、
◆開港に反対する勢力を勢いづかせ、
◆大君政府を苦境に追いやったのは、



、、全てワレワレのせいなのか。。。




著書  「大君(タイクーン)の都」 に慌てて真相を
追記したものの、元凶がハリスにあることを非難し、弁解としている。

ハリスは自伝を出すことすら出来なかった。アタリマエ。





てゆーかそんなこと初めて知って、
こっちの方がよっぽどショックだわー




「攘夷論」が「倒幕論」に変わる背景には
こんなこともあったのか。。



幕末初心者につき、この外交官たちの功罪を判断する知識ナシの無念。
幕末維新を一回りしたら、また読もう。


てか、かなり貴重な情報だったかも。