阿闍梨【番外編】一隅を照らす

❖今東光大僧正の戸津説法⑨完

昭和五十年八月二十五日 戸津説法結願日 今東光大僧正、右が後の三千院門跡・小堀光詮師、左が後の妙法院門跡・杉谷義周師

◇毒舌こそ、わが仏心"慈悲の心"には形式は無用

◆毒舌こそ、わが仏心


そういうことからいっても、仏法というものは何もむずかしいことではないんですよ。奈良仏教が棒読みの暗記ばっかりして、講義ばっかりしている。こんなふうに歩いてまわったり、そんなことばっかりしついて本当の仏教の味がないんじゃないか、法味が一つもないじゃないか、だったら比叡山で本当の仏教の醍醐味、法味というものを味わうような教育をしよう、、、といって、伝教大師がこの山をお開きになった。そしてわれわれはその末徒になった。


世間では、わたしは毒舌和尚だと言われてます。しかし、わたしは毒舌なんて吐いたことないし、正直な話をまともにしているだけなんだ。


ケネディ大統領が暗殺されて、国葬になった。あのとき日本からお使いに行ったのはだれだ。岸信介だ。一国の前総理だから、岸さんが行った。そのときわたしは、佐藤栄作にたいへん親切な忠告をしたんです。「佐藤さん、あんたの兄貴かもしらんけど、岸さんをやるのはかんがえもんじゃないか」と言ったら、佐藤がびっくりして、「何を?どういうことだ?何が具合が悪いんた?」と訊くんだよ。だから「具合が悪いよ。ふつうの人ならいい。岸信介という人は、有名な出っ歯じゃないか」


えらい出っ歯、ちょうど笑っているような顔だ。エリザベス女王の戴冠式に行くのなら、笑いながら飛行機を降りて来たというんで、愛嬌があるみたいかもしれないけど、国葬でみんな悲しんでいるところへ、岸さんがエヘヘへと言って出て来てみい。これは国辱的問題ですぞ。わたしはそれを国民の一人として、たいへん心配しているんだ、、、、。


そうしたら佐藤栄作が「そうだけど、しょうがないんだ」「どうして?」「あれは出っ歯の入れ歯だ」と言う。出っ歯の入れ歯ってあるんだね。驚いたな、あれには。出っ歯にこしらえた入れ歯なんだ。だから引っ込みようがない。始めから出ちゃってるんだから、「うむ、それではやむを得ない。これで国際問題が起きたら、わしが責任をもって弁解せなならんな」と言って大笑いしたもんです。いつもわたしは心の底から日本国のため、日本国民のためを思って言うんだけれども、よその人が聞いてると、岸信介の出っ歯を悪く言ってるみたいに受け取って、あいつは毒舌だと言う。


失礼じゃないですか。わたしくらい国を思い、神を思っている人間はいないのですよ。これも仏法から来てるんです。そういうことを言うのは、やはり仏法が言わせるんで、わたしが言ってるんじゃないんです。わたしは本当に仏さま、伝教大師のお導きで、いままでやってきたんです。


明日もこの調子でいきますけど、おもろいと思ったら、また来ておくんなはれ。


戸津説法の第一日目は、これで終わらせていただきます。


終わり、次回、今東光大僧正の一隅を照らす 


毒舌仏教入門 苦楽は一つなり 今東光



❖【余禄】瀬戸内寂聴師の得度 ①


「いや私、瀬戸内さんの頭なんか剃れないわ」瀬戸内寂聴、涙の剃髪…誤解を招いた“思わぬハプニング”


文春オンライン『老いて華やぐ』より 2022.4.6

 

◆今東光先生にお目にかかる


昭和48年8月22日のことでした。


そのとき今先生は東京の仕事場のマンションにいらっしゃいまして、そこへ私は訪ねてまいりました。今先生は、真っ赤なトレーニングウェアを着て、頭がツルツルしていてまるでタコのように見えましたけれども、「今日はどうしたんだ」と私を優しく迎えてくれました。


私は通されたところで「今日は大切な一身上のお願いがあって伺いました」とご挨拶しました。そうすると今先生はそれ以上お聞きにならないで、奥様に「今日は、瀬戸内さんが何か知らないけれども大切なことで見えたようだから、今家にある一番良いお香を焚いてあげなさい」とおっしゃいました。


奥様はやがてお線香に火をつけて持ってみえられ、私と今先生の間に香炉を置き立ててくださいました。


「仕事場だから良いお香がないんだけれど、ここにある一番上等のお線香だよ。これは伽羅(きゃら)だよ。お香を焚くということは、この部屋を清めたということになるんだ。だからここは仕事場だけれども、お香を焚いて綺麗に清めてあげたからさ、あなたの言いたいことを言いなさい」


◆先生に「出家させていただきたくて…」


そのとき私は、先生は私の来た目的をもう既にわかっていらっしゃるという安心感を得ました。それで「出家させていただきたくてまいりました」とご挨拶しました。


そうすると先生は黙ってしまい、しばらくして「急ぐんだね」とおっしゃいました。それで私はオウム返しに「はい。急ぎます」と答えました。


先生は奥様にもってこさせた予定表をご覧になって、「それでは9月の10日にしよう」とおっしゃったんです。9月の10日というと、もうほんのわずかしかありません。私は慌てて「急ぐとは申しましたけれども、もう少しご猶予を」と言いました。そうすると、先生はもう一度予定表をご覧になって「それでは11月の14日しか空いてない。それでいいか」とおっしゃいました。


私はそれを逃すと、もう永久に出家できないという気持ちになり「ありがとうございます。それで結構でございます」と言って手をつきました。それで私の得度の日が決まったわけです。


私は実は急ぐとは申しましたが、来年の冬ぐらいと思っていたわけです。でもそんなことを言ってはもう間に合いません。今先生は大変お忙しい方でやっとその日を見つけていただいたので、そこでお受けしました。


それからは瞬く間に日が過ぎました。


出家がどういうことか、そのまま仏に自分を委ねることだ、ということぐらいしかわかっていません。


出家したら、もしかしたら小説を書かせてもらえないかもしれないけれど、それはそのときのことだと思いました。


 

◆出離者は寂なるか梵音を聴く


今先生は、なぜ出家するのか、小説をやめるのか、あるいはお前さんは何で食べるのか、どうして暮らすのかなどを一切聞きませんでした。だから私も申し上げませんでした。ただ、


「法名というのをつけなければいけない。法名は師匠の法名の中から一字をもらってつけるのが天台宗の決まりで、今東光という名前は自分の戸籍名でペンネームのようにも使っているが、自分が出家したときの法名は春を聴く春聴だ。お前さんには女だから、春をあげよう、春何とかっていうのにしよう」


とおっしゃいます。私が、


「恐れ入りますが、私はもう春には飽きて出家するんですからできるならば、聴をください」


と言いました。それではまた考えておいてあげるということになりました。


しばらくして、今先生から京都の私に電話がかかってきました。


「法名をいろいろ考えたけれども、聴につくのはなかなかなくて大変なんだよ。それで今朝は思い切って、朝からずっと座禅をしていた。三時間座禅をしたら、そこに寂という字が浮かんできたから、寂聴というのはどうだろう」


私は「寂聴」と聞いたときに本当に素晴らしい法名で、もったいないとも思いました。けれどもすかさず「いただきます」と言いました。


それで、寂聴という名前が決まったわけです。


「寂聴という意味は、どういう意味でしょうか」と伺うと「出離者(しゅつりしゃ)は寂(じゃく)なるか梵音(ぼんのん)を聴く」とおっしゃいました。


つづく