【緊急投稿】

❖続・山僧よ、僧の本分を忘るるなかれ!

比叡山の七不思議 『一文字狸』



「一文字狸(いちもんじたぬき)」


世界文化遺産である『古都京都の文化財』を構成するひとつ、「比叡山延暦寺」。延暦寺は東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、そして北を「横川(よかわ)」の3つのエリアに区分されていますが、この「一文字狸」は、西塔にある「にない堂」にまつわる不思議です。


西塔にある“常行堂”と“法華堂”は渡り廊下でつながっていて、この2つのお堂を合わせて、通称「にない堂」と呼ばれています。“にない”とは漢字にすれば“担い”になりますが、力持ちの弁慶が渡り廊下を天秤棒のようにして、2つのお堂を担いだという突拍子もない伝説に基づいて付けられたのだそうです。


このにない堂に“真弁(しんべん)”という名の修行僧が篭もっていました。真弁は自分の気むずかしい性格を変えるために、ひょうきんで愛嬌のあるタヌキにあやかろうと考え、タヌキの彫刻を始めたのです。その彫刻を始めてから10日目の夜のこと…。


いつものように真弁が彫刻に没頭していると、突然、谷間から一陣の風が吹き抜けました。すると、にわかに不気味な気配が立ち込めると同時に、真弁の目の前に月の明かりに照らし出された、とてつもなく巨大な毛むくじゃらの獣の足が現れたのです。


真弁はその獣の足に沿って見上げると、なんとそこには、身の丈100メートルほどもありそうなタヌキの怪物が真弁を見詰めていました。タヌキの額には白く横一文字に引かれた眉毛が1本…。真弁はその奇妙な顔から目を逸らすこともできず、恐ろしさの余り、ヘナヘナと腰を抜かして座り込んでしまいました。


すると、タヌキの怪物は地の底から響くような声で「我は、大師開山以前より、この山に住んでいる一文字のタヌキだ。お前は、己のためでなく、仏道修行のために千体のタヌキを彫り、願を立てるのなら、お山はお前を擁護するだろう…」と告げたのです。


そのタヌキのお告げを聞いた真弁はその意味を悟り、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を始めたのです。一日の行を終えると、タヌキを一体彫る毎日。そして、ついに7年目の満願の日、真弁はタヌキの怪物のお告げ通り、千体目のタヌキの彫刻を作り上げたのです。その千体のタヌキの彫刻は、その後、織田信長の焼き討ちに遭って、失われてしまったと言われています。 







一文字タヌキ


 比叡山西塔にない堂の常行堂に、通称「仰天」という僧がおりました。


 彼は、奇僧仰天と呼ばれるほどの名物和尚で、タヌキの千体彫りを発願、その日常は勤行のほかはひたすらタヌキ刻みに専念し、一日中ノミを振るっておりました。


 いつの間にかタヌキ和尚とさえアダ名されるようになったが気にもかけず、おまけに山中でタヌキを生け捕っては大切に飼うことに懸命でした。


 そのためか?彼の住まいは、やがてタヌキ御殿と冷やかされるようになったほどです。

 また、時々、近江の信楽の里へと出かけていっては、信楽陶器のタヌキを買い求め、楽しそうにお山に持ちかえる姿が見うけられました。


 彼は、気難しい変人であるので、この性格を変えるためには、ひょうきんで愛嬌のあるタヌキを彫りだしたのだろう・・・と、山法師たちの噂が広がったのです。


 ところで、彼の本当の名前は真弁と言いました。


 それが、仰天と名づけられるにいたった、彼の人生にとって一代転換となったタヌキの千体彫刻にまつわる出来事を、千体完成披露会の席上で、初めて恐る恐る、彼は自らその秘話を語り始めたのでありました。


 「この彫刻を始めてから十日目の事、彫刻に没頭した為か?抜けきらないタヌキの幻想に包まれながら、ぼんやりと、にない堂の廊下に冷たく光る月光を浴び、谷間から木立の間を吹き抜ける夜風にあたろうと、たたずんだ私の前に立ちはだかったものがありました。千体彫刻と言う気の遠くなるようなこの発願は、にない堂の廊下での不思議な出来事からでした。この話を聞けば、皆さん、私が仰天と呼ばれるのも当然と、お思いになることでしょう。・・・」


 ゴックンと唾を飲みこんで語る仰天の顔は、たちまち真っ青になりました。


 その妖気漂う彼の身辺を取り囲んだ聴衆は、思わずゾォーッと身体に身震いを感じ、当時の状況をテレビの再現ビデオでも見ているように、その怪しげな世界に吸い込まれて行くのでした。


 そして、その中で、仰天は淡々と語り続けるのです・・・。


 「深々と静まり返った西塔の夜風も、今夜はなぜか不気味な気配が満ち、月の明かりに照らし出されてア然と立ち尽くす私の前に、突然とてつもなく巨大な毛むくじゃらの足が現れたのです。そして、その獣のような足先から腹、胸、顔、頭へと、ひっくり返りそうになりながら、グゥーンと空高く見上げて行くと、そこにはなんと、覆い被さるように立ちはだかっている身の丈百メートルくらいはありそうな大ダヌキが、デンといたのです。それで思わず『ウワァーッ!』と、叫んでしまいました。しかも、よく見れば、そのタヌキの額には眉毛が白く横一文字に引かれており、奇妙な顔をしていました。ゴーッと言う大ダヌキの物凄いうなり声に、私はびっくり仰天して、その場にヘナヘナと、腰を抜かして座り込んでしまいました。


その時です。声なき声が『我は、大師ご開山以前より住む一文字タヌキなり。比叡のお山には、さまざまな試練の風が吹くが、見守っているもののあることを知れ、幸い我が同胞を庇護する汝に会い愉快だ。ただし、悪戯なる彫刻は仏道より離れる恐れあり、志を立てて千体刻まんか、されば我、お山の擁護を誓わん。・・・』と。この時より私は、千体彫刻の発願を、決意したのです」


 と、話し終えたとき、我に帰った聴衆たちは、なるほど!とタヌキ刻みの訳と、その時の「びっくり仰天」の状況を知ることが出来たのです。


 それ以来、誰いうとはなく「仰天」と名づけ、「真弁」と呼ぶものがなくなりました。


 この千体タヌキの名作は、信長の焼き打ちに会い失われ、今は唯、比叡山の七不思議の一つに名を残しているに過ぎないのが、残念です。