溺れる人 ~紅子さんに会いにゆく~ | YU-MEとChanson(シャンソン)

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酔いどれ歌うたいのネガティブライフ

 

同じ年の同じ月に

師匠も私もこの曲の楽譜を書いていた。

 

 

 

だけど私の書いたものは

原曲のまんまで

どうにも味気なくて。

 

 

 

かといって

いい案も思い浮かばずにいて。

 

 

 

大好きな曲だけど

お蔵入りか…と

半ば諦めかけていた。

 

 

 

それから5年の月日が流れて

師匠の楽譜が私の手元へ届いた。

 

 

 

ああ、なるほど

そういうことか。

 

 

 

師匠の楽譜は

さすがだった。

 

 

 

私はまだまだ

まだまだ、まだまだ…

師匠の足元にも及ばないけど

 

 

 

でもね

歌の部分は師匠の書き方と

まるで同じだったの。

 

 

 

私は師匠から楽譜の書き方を

一切、教わっていないのに。

 

 

 

やっぱり私は

師匠の弟子だったんだ。

 

 

 

間違いなく弟子だったんだ。

 

 

 

 

 

さて今日の一曲は

Serge Gainsbourgの曲から

”溺れる人(La noyée)”

 

 

 

訳詞は私、YU-MEが書きました。

ピアニストは木須康一ちゃん。

 

 

 

よろしかったらお聞きください♪

 

 

 

 

 

 

 

朝、娘のhagiと電話で話していて

暇だっていうから

”出掛けるんだけど…行く?”

と、聞くと食い気味で”行く!”というから

 

 

 

ぱんくろうと3人で

いざ、吉原へ!

 

 
まずは吉原弁財天へ。
 

 
この場所には
かつて弁天池という池があったんだけど
 
 
 
関東大震災で火事が起きた時に
炎に追われ池に飛び込む客や遊女が
下敷きになった人は溺死し
人の上に乗った人は焼死したのだそう。
 

 
今はとても穏やかな場所だけど
悲惨な歴史があったんだねぇ。
 

 
だけど今も供養を欠かしていないから
こんなに穏やかな場所なのかも。
 

 
玉垣には当時の妓楼と楼主の名が。
 

 
観音像
 
 
 
この観音様は第二次大戦後に
弁天池が埋め立てられた時に建てられた。
 
 
 
とても優しいお顔が印象的。
 

 
弁財天は芸事の神様でもあるから
ご挨拶をさせて頂いた。
 

 
大好きな龍を見つけて
ぱんくろうはご機嫌だった。
 
 
 
hagiなんて
写真を撮るのに夢中。
 

 
弁天赤富士には滝があって
その下は新吉原花園池になっていて
鯉が優雅に泳いでいた。
 

 
肉眼で見ると
ほんと大きな鯉だった。
 

 
彫刻も素敵。
 

 
遊女のお墓を見つけたから
hagiと手を合わせて祈った。
 
 
 
 
 
そして吉原弁財天の向かいにある
 

 
YouTubeチャンネルを運営している
色街カメラマンの紅子さん。
 
 
 
その紅子さんが
写真展を開催すると知って駆け付けた。
 
 
 
実は紅子さんは写真集を出された時にも
写真展を開かれたのだけど
 
 
 
その時はもう足が痛くて…
とてもじゃないけど歩けなくて断念したの。
 
 
 
だから今回は
何がなんでも行きたかった。
 
 
 
ほんの少しでもいいから
彼女の活動を応援したかった。
 

 
自身が風俗嬢として生きてきた過去を
後悔だけで終わらせないために
48歳から始めたカメラで色街を追いかけている。
 
 
 
そもそも私だって
ずっと水商売の女だった。
 
 
 
あの頃は風俗と水商売に
大きな違いを感じていたけれど
 
 
 
時が流れてしまえば
さほどの差を感じない。
 
 
 
そして今、私が訪れた街に紅子さんが訪れ
紅子さんが訪れた街に私が訪れ…
 
 
 
同じような場所を
行ったり来たりする彼女に
不思議なご縁を(勝手に)感じて。
 

 

初めまして、紅子さん

これからも応援させて頂きます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来週は地味に忙しいから

この週末は楽譜を書く以外は

身体を休めておこう。

 

 

 

大満足のお出掛けも出来たしね。

 

 

 

ヘアアイロンで作ってしまった顔の火傷も

どうにかこうにか治って来たし。

 

 

 

来週の長野までには

メイクで隠せるだろう。

 

 

 

それにしても

びっくりするほど歩けるようになった。

 

 

 

夢の”小走りが出来る自分”が

いよいよ近づいてきたって感じ。

 

 

 

嬉しいな♪

 

 

 

 

 

 

 

YU-ME