さくらんぼの実る頃 | YU-MEとChanson(シャンソン)

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酔いどれ歌うたいのネガティブライフ

 

何度も書いていることを

あえて記しておこうと思います。

 

 

 

今日の記事は長文なので

お時間のある時にでも

サラッとお読み頂けたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

10年前の11月

私の恩人のSさんがお空へ還った。

 

 

 

あまりに突然のことだった。

 

 

 

1か月前にお会いしたばかり。

 

 

 

その時には次の企画のお話を

楽しそうにお話してくださった。

 

 

 

企画は障がいのある子供達の学校への

音楽のボランティアで

私に出演して欲しいと仰った。

 

 

 

もちろん快諾した。

 

 

 

”私で良かったら

どんどん使ってください”

 

 

 

と、言うとSさんはとても嬉しそうに

 

 

 

”よーし!準備しなくちゃ!!

近いうちに連絡するから”

 

 

 

と、少年のように笑った。

 

 

 

ちょうどその頃

シャンソンしか歌わなかった私が

歌ってみたい日本の歌を見つけたから

Sさんに

 

 

 

”あ、そうそう!

今度ね、聞いて欲しい歌があるんです”

 

 

 

と、歌の説明とすると

 

 

 

”その歌、絶対に聞いてみたいから

必ずライブに呼んでくださいね”

 

 

 

と、仰った。

 

 

 

だけど

それは叶わなかった。

 

 

 

この日がSさんとの

永遠のお別れになってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

Sさんとはヤマハのマイサウンドという

音楽サイトで出会った。

 

 

 

当時の私はうつ病の真っただ中。

 

 

 

親しかった友人にも会えず

家に引きこもったまま

気付けば5年の月日が過ぎていた。

 

 

 

いくつも病院に行ってみても

薬を飲んでみても

一向に回復の兆しがないまま5年。

 

 

 

子供もいるのに仕事も出来ずに

苦労ばかりをさせて

 

 

 

こんな私が生きている意味なんて

一体、どこにあるのだろうって

ずっと自問自答の日々だった。

 

 

 

そんな私がテレビで

たまたま美輪明宏さんの歌う

”愛の讃歌”を聞いた。

 

 

 

もちろん愛の讃歌は知っていた。

 

 

 

だけどこの日の美輪さんは

よく分からない言葉で歌われていた。

 

 

 

どこの言葉だろう?

 

 

 

それが私とシャンソンとの出会いだった。

 

 

 

検索すると愛の讃歌は元はフランスの歌で

“Edith Piaf(エディット・ピアフ)”

と、いう人の歌だと知った。

 

 

 

色々と調べてゆくうちに

どんどんのめり込んでゆき

仕舞いには歌ってみたくなった。

 

 

 

冷や汗を掻きながら家の外へ出て

古本屋でフランス語の辞書を買った。

 

 

 

600円。

 

 

 

当時の私には大金だったけど

何故か躊躇いもなく購入。

 

 

 

その辞書を使いながら意味を調べて

最初は聞こえたままにカタカナを書いて

それを読み上げて歌っていた。

 

 

 

うつ病は頭が働かなくなる。

 

 

 

何度も何度も口ずさむのに

たった4小節すらも覚えられない。

 

 

 

それでも諦めずに

何度も何度も口ずさむ。

 

 

 

自分で訳した歌詞の内容を思い描いて

フランス語を呟く…

 

 

 

毎日、朝から晩まで歌っているのに

たった1曲を覚えるのに何ヶ月も掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

ある日のこと

晴れた日のベランダで

柵の隙間から足を投げ出して

青い空を眺めて歌っていたら

 

 

 

突然、涙が止まらなくなった。

 

 

 

だけどそれは

悲しみの涙ではなかった。

 

 

 

生きていてもいいよと

神様に許してもらえたような

そんな気がしたのだ。

 

 

 

こんな私でも

生きていてもいいのかと

希望の光が見えた瞬間だった。

 

 

 

歌おう!

私は歌おう!!

 

 

 

強く、強く

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

そして私は外の世界と繋がりたくて

覚えたばかりの愛の讃歌を

ヤマハのサイトにアップしてみた。

 

 

 

そこでSさんと出会った。

 

 

 

今にして思えば不出来な私の歌を

Sさんは”素晴らしい”と

大袈裟なほどに褒めてくださった。

 

 

 

それがきっかけとなって

Sさんとの交流が始まった。

 

 

 

ある日のこと

 

 

 

色んなアーティストを集めて

ライブを企画していたSさんが

私に出演依頼をくださった。

 

 

 

嬉しかった。

嬉しかったけれど…

 

 

 

もう5年も外へ出ていない。

 

 

 

私はSさんに

うつ病で外へ出ることが出来ないと

素直にお話した。

 

 

 

するとSさんは

 

 

 

”僕は諦めませんよ

ユメさんが出てくれるまで

ずっとお誘いしますから”

 

 

 

と、仰り

それから毎日、出演依頼をくださった。

 

 

 

そして私も

毎日、お断りしていたのだけど…

 

 

 

気付けば、そのやり取りを続けて

半年が経っていた。

 

 

 

Sさんは半年もの間

毎日、毎日、口説いてくださって…

ついに私は根負けした。

 

 

 

 “あなたは歌わなくてはならない人だ

僕はあなたの歌を

色んな人達に聞いてもらいたい”

 

 

 

Sさんの言葉は半年の間

1日もブレることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

こうして私は

久しぶりに外の世界へ飛び出したのだ。

 

 

 

そして歌うことで

うつ病は劇的に改善された。

 

 

 

もしもSさんと出会っていなければ

今の私はない。

 

 

 

確実にない。

 

 

 

もしかしたら今頃は

この世にいなかったかも知れない。

 

 

 

だから私にとってSさんは

いつまで経っても

かけがえなのない人。

 

 

 

命の恩人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

Sさんと会えなくなって10年。

 

 

 

御命日の近くに

追悼コンサートを開くようになって

もう9年になる。

 

 

 

今年はコロナの影響で

想い出の地、江古田での開催は叶わなかったけど

私の地元、立川でひっそりと

今夜、天国へ向けて歌おうと思います。

 

 

 

ピアニストは1年ぶりに組む

長年の相方、神田麻衣ちゃん。

 

 

あれからSさんを始め

私の人生を変えた恩人が

もう何人も旅立った。

 

 

 

今夜の私は

天国へ向かって歌います。

 

 

 

一年に一度の私の発表会。

 

 

 

もしご都合が合うようでしたら

無料でお楽しみ頂けますので

お気軽にお出掛けくださいね。

 

 

 

天まで届け!

私の歌!

 

 

 

 

 

 

 

さて今日の一曲は

Sさんのお名前から連想する古典シャンソン

”Le Temps Des Cerises(さくらんぼの実る頃)”

 

 

 

いつものように

日本語訳は私が書いています。

 

 

 

よろしかったらお聞きください♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乳がん検診の結果は

とりあえずセーフ。

 

 

 

だけど左側にある

小さな腫瘤(良性のもの)が

少し大きくなっているそう。

 

 

 

もう8年も同じ大きさだったのに…

 

 

 

まだ検査が必要な段階じゃないから

検診は1年後とのこと。

 

 

 

来年はマンモグラフィーと

超音波で検査をする。

 

 

 

このまま大きくならないといいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

YU-ME