最期のときを夢見て | YU-MEとChanson(シャンソン)

YU-MEとChanson(シャンソン)

酔いどれ歌うたいのネガティブライフ





そして必要なのは
愛の歌と自分の後に
永遠のシャンソンを残すこと
歴史は忘れられるから
とどまるのはひとつの曲
三拍子のシャンソン
これぞパリのもの…

Une chanson à trois temps(三拍子のシャンソン)より





昨日は2月にご一緒するピアニストの
徳山みえ子先生とリハだった。



お久しぶりにお会いした事もあって
ちょいちょい楽しいお喋りも。



どんな話からだったか。



最期はどんな風に逝きたいか



なーんて話になった。



徳山先生は言う。



病院のベッドの上は避けたいなぁ



私もそして
きっと沢山の人達も
そう思ってる。



現実的ではないかも知れないけど
人はみんなそれぞれに
色んな最期の時を思い描いてる。



私はね…



私は前々から思い描いてる
最期の瞬間ってやつを話し出した。



その日もいつものように
何も変わらずリハの時からご機嫌で
ワインを空けてるの。

そしてお店が開いて
次々といつもの仲間達が集ってね。

私は相変わらず飲んだくれながら
楽しく歌ってるんだけど。

何かこうコミカルな曲
例えば「ムッシュ・ルノーブル」みたいな
女房に出てかれて自殺しちゃうような
そんな歌を歌ってる最中に

ほんとにふと
糸がプツッて切れるように
事切れるのよ。

私は崩れるようにステージに倒れるんだけど
みんなはそれを私の演出だと思ってるから
その最期の様を指を差して笑って観てるの。

私はその笑い声を遠くに聞きながら
静かに微笑みながら死んで逝くのよ。

で 語られるわけ。

あいつは全然売れなかったけど
最期まで歌ってた幸せな歌手だったな…ってね。




私は結構キメッキメで喋ってたんだけど
徳山先生は思わず笑ってた(笑)



それでも私は続ける。



で 私が事切れたことに気付いたみんなが後日
それぞれに薔薇の花を一輪ずつ手に持って
ステージに置いていってくれるの。

楽しかったよ
ありがとう

ってね。




私は遠い目でリハ室の天井を仰ぐ。



この壮大な妄想に
徳山先生はニコニコして付き合ってくれた。



けどね。



実はこの話には後日談があるわけ。




いつの日にか
この売れないシャンソン歌手のことは
誰の記憶にも忘れ去られる。

もうYU-MEを知るものは
ひとりもいない。

でもYU-MEが遺した数々の歌は
ネットを通じて未来へ。

もはや誰の歌なのかも
どんな人だったのかさえも分からない。

大昔の「YU-ME」という
咲かずに終わったシャンソン歌手の歌声。

でも未来の誰かは言う。


へえ…
このオバチャン
YU-MEって言うんだ
結構うまいじゃん







けどさぁ。



もしだよ?



もしいつの日か
そんな風に語ってもらえたら



私の人生
勝ちじゃない?って思うわ。



だからこそ
そんな風に言ってもらえる日を夢見て
1回1回をきちんと歌っていきたい。



もう決めた道なんだから。



何の文句も言わず
何も迷わず
何にも惑わされず



私はこれで生きてく。



だって私に出来る事なんて
せいぜいそんなもんだろうから。




愛しい仲間達よ



いつの日か私が
ステージで事切れる日を
どうか温かく見守ってね。



私の伝説はきっと
そこから始まるはずだから(笑)



夜露死苦ッ!!!
↑巻き舌で









今日のにゃた。



最近上下に歯もはえて
色んなものを食べてます。



それもそのはず
もう10ケ月!!!



時の流れが早過ぎる~~~










YU-ME