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Someday in the music

演奏活動情報、アメリカでの留学生活、海外旅行記など。

①出発〜到着編

アメリカから帰国する前に、兼ねてからどうしてもヨーロッパに寄りたいと思っていました。そしてどうせ行くなら、何かしらの音楽イベントに参加したいとも。

学校の寮を4月いっぱいで退居しなければならず、その後アメリカに長期滞在するのは難しかったので、時期は5月で探していました。けれどちょうどその時期に開催される音楽祭はほとんど無く…。それならコンクールはどうかと、時期と国を絞って検索を続けるうちにいくつか見つかりました。その中でもベストな開催時期だったフィラデルフィア国際音楽コンクールを受けることに決めました。

初めてのイタリア。そしてホームページもイタリア語。英語のページもありましたが、開催場所の都市を地図で見るととても小さな田舎の町だったため、これは英語は通じないかも…と思っていました。
不安だったので申し込み時からメールで何度も運営組織とメールでやり取りをしていましたが、メールが返って来るのが遅く、やはり英語もそこまで使えないようで、私が何度も確認のメールを送ると「大丈夫だから安心して」と返事が来ました。笑
空港も聞いた事の無い場所で、そこから開催都市までは電車も通っていないので、運営組織が手配した送迎がホテルまで連れて行ってくれるとのことでした。送迎の時間も決まっておらず、提出したのは飛行機の到着時間のみ。それについても質問した所「空港まで迎えに行くから安心して」とのこと。練習についても「練習できるから安心して」とのこと。笑 もうこれはとりあえず現地まで行くしかないな。行ったら全部わかるだろうと腹をくくりました。

出発当日は学校でマスタークラスがあったので、朝一で受けさせてもらい、アメリカでの最後の演奏をし、お世話になった先生方や仲間に別れを告げて空港へ向かいました。

イタリア行きの飛行機はデルタ航空。途中アトランタで乗り換えがあります。しかし初っ端から2時間のDelayでカウンターはチケット変更で激混み。私も乗り換え時間が2時間半しかなかったので、大丈夫かと確認を取ったのですが問題無いと言われました。でも広いアトランタ空港でトランジット30分でのターミナル移動はかなり不安でした。

なんとかなるだろうと思いつつも、なるべく間に合うようにしようとアトランタ空港について飛行機を降りてからダッシュ。しかしダッシュした直後派手に転倒!!恥ずかしくて急いで起き上がってまた走り出すも、左手の違和感に気付く……。ひ、左手の中指が腫れてる…!気付いてから急に痛み出して、打撲したことを理解しました。
これからコンクールを受けに行くのに。ピアノを弾きに行くのに何をやっているんだろう。焦って走るんじゃなかった…などと頭が真っ白になって立ち尽くしてしまいましたが、とりあえず乗り換え時間が迫っていたので走り、途中で逆方向に走ってることに気付いて引き返し、モノレールに乗って別のターミナルへ。

そこからまた走ってゲートに到着すると、まだ搭乗時間まで時間があったので、1度冷静になって指を冷やすことにしました。
マクドナルドで氷水を貰って指を浸していると搭乗時間になり…。でも一向にゲートが開かず…。おかしいなと思って周りの人に聞きましたが、わからないとのこと。それから暫くしてモニターにDelayの文字が。こ、ここでも…!でもその時、焦っても仕方がない。なるようにしかならないし、何があろうと最終的にはなんとかなるのかもしれないと、それまで何事にも焦って必死になりがちだった自分を思い出して反省しました。そして1つの教訓になりました。

無事イタリア行きの飛行機が離陸し、指を冷やしているうちに痣になって不安は増すばかりでしたが、ローマの空港に着いて薬局で店員さんオススメの謎のクリームを買い、それを塗ると少し心が落ち着きました。

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(翌日ホテルで撮った指)

目的地への乗り換え便を待つ間、ゲートの側にグランドピアノが置いてあって、試しにバッハやハイドンを弾いてみると、そこまで痛みは無く演奏出来て、これなら大丈夫だ!良かった~と心底安心しました。

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(ローマの空港のピアノ)

そしてラメーツィアテルメ行きの飛行機もDelayしました。もう搭乗口に長蛇の列が出来ていましたが、何の知らせもないまま40分以上待たされてもイタリア人は特に文句を言う事も無く、原因となってる乗務員達も気怠げにのんびり仕事をしていて、イタリア人の自由さはアメリカ人の比じゃないなとびっくりしてしまいました。笑

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(ラメーツィアテルメ行きの飛行機から見えた美しいイタリアの海)

そんな事がありながらも、目的地のラメーツィアテルメ空港に到着。小屋のような小さな空港で、飛行機を降りてから徒歩で空港内に向かいました。荷物を受け取って、外に出ると私の名前が書かれた紙を持った送迎の方が。Delayを繰り返して1時間半ほど到着が遅れましたが、待っていてくれていました。他の参加者と思われるアジア系の人達と普通車二台に分かれて開催地まで向かいました。

フロリダでは南国の木や植物ばかり見ていたので、車窓から眺めるイタリアの田園風景はとても新鮮で、それだけで「ここへ来て良かった」と感動しました。
送迎の方はコンクールの運営組織の方らしく、簡単な数字でさえ、英語は全く話せないようでした。助手席に座った私にスマホで英語に翻訳した文章を見せてきたり、イタリア語のわからない私にひたすらイタリア語で話しかけてきたりと、イタリア人の陽気さを実感しました。
運転の荒さにヒヤヒヤしながら峠を越え…。40分程で到着したのは、山の上にある小さな町でした。ホテルはホールから徒歩3分以内の好立地。中世の雰囲気を残す建物や風景が新鮮にワクワクしました。

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(ホテル)

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(コンクール会場:後日撮影)

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(広場)

ホテルの受付の人だけは英語を少し話せるようで、安心しました。部屋もこんな感じでわりと綺麗でした。(地下や別の建物にある部屋はとても寒かったようです)

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(私の部屋。綺麗だけど洗面所にアリが発生…)

食事はホテルのハーフボード付きを予約していたので、毎日夕食と朝食を食べる事が出来ました。この日はホール周辺を下見して、時差ボケを治す為にゆっくり寝ました。

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(夕食と朝食)
「紅茶が欲しい」と英語で伝わらなかったので、コンクール中は少しでもイタリア語を話せるようにならなければと、簡単なイタリア語単語帳を作りました。

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(翌日撮ったホテルから見える街並み)




さて、第2回目は留学先の大学について簡単に書きたいと思います!

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・UNFについて
私の留学していたノースフロリダ大学は公立の大学で、音楽や美術だけではなく普通の大学と同じようにたくさんの学科がありました。私はその中の音楽科にPerforming certificate生として在籍しました。このプログラムは基本的に1年更新のもので、先生の推薦と奨学金を受ける為の録音審査はありますが、語学の試験などはありません。(入学するきっかけについてはまた書こうと思います)。

そういえば、私が通った高校は公立高校。大学、大学院と6年過ごした京芸も公立大学。なので私の公立学校のイメージはその2つから成り立っていて…UNFも公立大学と聞いて何か運命を感じていたのですが、やはりそこはアメリカ。私がイメージしていた学校像とは何もかもが違って、スケールも桁違いで本当にびっくりしました!
私が感じた印象をいくつかに分けて書こうと思います。

・学校の規模

まずは生徒の数…京芸は音楽と美術で全部合わせても確か700人程度でしたが、UNFは学部も学科も沢山あって生徒が6000人ほどいるようで!びっくり。
京芸はピアノが一学年14人、他の楽器を合わせても一学年70人程度なので知らない人はいない状態でしたが、アメリカで暮らしている間は毎日知らない人だらけでした。(でもピアノ科は全部で13人程度と少なかったです)。
でも面白いのが、知らない人でもみんな明るく気さくに挨拶をくれて、何か一言話しかけてくれるんです。そして1回で名前を覚えて、次会った時はすぐに名前を呼んでくれる!(私は最後まで名前を覚えられない人ばかりだったのに…)
最初はだいぶ戸惑って慣れませんでしたが、こういう誰に対してもフレンドリーな所は、素敵な事だと思います。

・キャンパス内
UNFは敷地も広大で、建物は全て物凄く綺麗でした。今までこれほど大きくて綺麗な学校には通ったことがありませんでした!(なので普通の学生が払う学費も桁違いですが…)。
京芸は美術棟と音楽棟、中央棟と講堂、その他合わせてもそれほど多くなく、それが一ヶ所に集まっていましたが、UNFは本当に沢山の建物があり、それがあちこちに散らばっていたのでそれぞれのキャンパス間を移動するシャトルが走っていたくらいでした。
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これがキャンパスマップです。黒いルートが深夜まで走ってるキャンパス間移動の無料シャトル。赤いルートが大学からタウンセンターまでの無料シャトル。
キャンパスの他に複数の寮やレストラン、カフェ、ジム、図書館、森の中にはハイキングコース、カヤッキング場所があったり…。運動場や体育館、複数のキオスクや銀行、ゲームルームなどなど…そして更に建設中の建物なんかもあって、この敷地内で全ての生活が出来るんじゃないかと思うほど。(逆に言うと外に出るのが大変なのだけど)。
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こちらは図書館(楽譜は置いてません)。1階ではパソコンが使えます。コピー機はクレジット付き学生証で支払います。
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これは学校で1番大きいOspray Cafeというビュッフェ式レストラン。私は毎日自炊をしてたけど、そうじゃない人達はミールプランというのに入って、ここでの1セメスター分の食事をまとめて買っていました!びっくり。ミールプラン外の人達は1食12$くらいだったかな?沢山の実演やサラダバー、ハンバーガーも自分で中身をチョイス出来たり、ワッフルを自分で作れたり…。留学中2、3回しか行けませんでしたが沢山食べ物があって楽しかったです。
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すごーーーーく甘くて食べられなかった
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学校内のスタバ
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外の芝生やいくつかある橋の清掃も毎日行なっていて、周りの景観も綺麗に整えられてました。もちろんキャンパス内のトイレも毎日ピカピカでした。

でも外が暑いので建物内は冷房がガンガンかかってます!これにはいつまでも体が慣れないどころか体調がおかしくなってしまいました。いつも練習すると汗だくになるのに、アメリカにいる間はピアノを弾いても全く汗を掻きませんでした。寮もルームメイトが温度を下げてしまうので、朝寒くて目が覚める…(>_<)
アメリカ人が冷房ガンガンかかった中でキャミソールや下着みたいな格好でスタバのフラペチーノを飲む中、私は常にヒートテックの上に長袖長ズボンorタイツを履いて震えながら過ごしていました…。アメリカの人達は脂肪の量が違うんでしょうか?T_T

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 お久しぶりです。こちらでは全く報告をしていませんでしたが、昨年からフロリダ州の北部、ジャクソンビルで1年間の学生生活をしていました。留学中はなんだか忙しく余裕が無かったのですが、先月無事帰国し落ち着いたので、少しずつアメリカでの留学生活を振り返っていこうかなと思います。ブログは演奏会情報の更新のみで、まともに記事を書くのはなんと2年振りです!3日坊主にも程がありますね。まとまりの無い文章になるかと思いますが、お付き合い頂けますと嬉しいです!

①ジャクソンビルのバス

 という事で、第1回目はアメリカのバスについて書こうと思います。

 留学中、特に最初のセメスターでは沢山市バスに乗りました。何故かというと留学先の大学の敷地がダウンタウンや近くのショッピングセンターなどからかなり離れた場所に隔離されていて、しかもジャクソンビルには電車が通っておらず、気軽に使える交通手段がバスしか無かったのです。
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(赤印の敷地とその上下は全部キャンパス)

その代わり大学の敷地内は治安の面では安全だったのですが、何処に行くにも車が必要で、現地の学生はほとんど自分の車を持っていました(高校生でも免許と自分の車を持っているのが普通でした!びっくり) 。

なので買い物やコンサートや伴奏で少し離れた所に行く際は、その都度車を持ってる子にお願いして連れて行って貰わないといけなかったのです。気軽に好きな時に色んな場所に行きたい私にとっては正直辛かったです。
 実際留学中は週一の買い物が唯一の気晴らしで、それ意外はずっと練習室か自分の部屋に居ました(笑)。何度か車を持っているルームメイトに連れて行って貰ったり、何人かでUBER(タクシーのようなサービス)を使いましたが、海外では皆んなの予定を合わせるという事がかなり大変で…(この問題については今度書きたいなと思ってます)。

 そもそも私は誰かに頼るのが非常に苦手で、自分の時間は自分の好きなように使いたいという性分でして(しかも毎日自炊するのと譲り受けた冷蔵庫が小さいのとで、必ず週に1回は買い物に行く必要があった)。何よりも気が楽だし!笑
そういう訳で学校と近くのTown Centerというショッピングセンター間を往復する大学の無料シャトルを使うか(でも午後3時までのランダム運行なのでなかなか使えない)、練習を終えてから本数の少ない市バスを使って買い物に行ってました。

 重い荷物を抱えてバス停から寮までを歩いていた日々が懐かしいです。たまに重過ぎて袋が破けたり卵がいつの間にか割れてたり、買った苺が外の暑さであっという間にカビが生えてしまったのも思い出です。笑


 前置きが長くなりましたが、アメリカのバスは当然日本とは全く仕組みが違います。まず時刻表。なんとも大雑把です。(これはジャクソンビルが田舎だったせいでもあると思うけど)。
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ここに書いてある名前は全部主要なストリートの名前で、バス停はもっと沢山あります。なのでこの時刻表はこのストリートにこの位の時間に着くよ、というものでハッキリ言って全然当てになりませんでした(笑)。私はリアルタイムでバスの位置がわかるアプリをダウンロードして、それであと何分位で着くというのをチェックしていました。でも何故か全くバスが動いておらず1時間後まで無し!という時もありました…。

 バス停はどういうものだったかというと、赤くて小さい標識が道の端に立っているだけで、時刻表は付いていません。小さい囲いやベンチがある所もあれば、何も無い"ただの道端"な所がほとんどてす。

 乗車方法ですが、バスが来たらまずお金を払います。大人は通常1.5ドルでした。お釣りは勿論出ないし両替も出来ないので、予めぴったりのお金を用意しておく必要があります。(間違えて大きなお札を入れてしまうと機械に吸い込まれて終わります(笑))
 バスに乗ったら一応天井の電光掲示板のような物に次のバス停の名前が表示されますが、道端のバス停自体にはどこにも名前が書いていません。降りる時は自分でバスのあちこちにある黄色くて細長いブザーを押して運転手に知らせなければならないので、今自分が何処にいるのかと、自分が降りたい場所が何処にあるのかを把握してないといけません。もし降りたいバス停に乗車待ちの人がいなければ、どんどん通り過ぎて行ってしまいます…ヒヤヒヤ。

 田舎のジャクソンビルはとにかく土地が広くて道路が広くて、道路からお店までの距離もかなりあるので、普通に車窓を眺めているだけでは降り場所がイマイチよくわかりませんでした。なので慣れるまではアプリで今自分が何処にいるかを常に追っていました。

 でもこれって、運転手に予め「〇〇で降りたいから着いたら教えて」って言っておくのが1番楽って事ですよね。(あ、でも運転手もバス停の名前わかってないかも)。この事一つ取っても、アメリカはやっぱりコミュニケーションを大切にしているんだなと思わされました。

 ちなみに逆方向のバスも1つの停留所にまとめられてる場合があるので、乗車する際は必ず〇〇に行きますか?と聞いていました。
無事目的地まで着いたら、降りる時は運転手が良い一日を!等何か一言くれるので、あなたもね!と返事を返します。

 しかしバスといえばほとんど低所得者の人達が乗るものらしく、バス内の雰囲気もそのような感じでした。あくまでも私個人の感想ですが。

 遠く離れたウォルマに何度かバスで行った時、バスがどんどん黒人さんで埋め尽くされていって満席の上アジア人私1人になった時はさすがに大丈夫かな?と思いました。でもアメリカの人はみんな気さくで明るくて、ジメッとした所が無いのが良いです。

 その時私の前には赤ちゃんを連れた黒人の女性が座ったのですが、その赤ちゃんが突然私に拳を付き出してきて、え!?とびっくりしつつ咄嗟に「こ、これは確か…何かで見た事がある、拳と拳を突き合わせる仲間の挨拶だ…!」と謎の閃きが舞い降りて、それから20分程永遠と拳を突き合わせていました(笑)。途中から私の隣に座った黒人のおじさんと私の後ろに座った黒人のおじさんも巻き込んで、順番にエンドレスで拳を突き合わせていたのはなんだか可笑しかったです。

他にもびっくりした事が沢山ありました。というより、1度バスに乗ると何かしら面白い事件が発生していました!

 まずバスの運転手、すごーく自由です。運転しながら自分の好きな音楽を大音量でかけたり、飲食をしたり、お客と雑談したり。
ある時突然バス停ではない所でバスが止まったかと思ったら無言で運転手が出ていって、そこにあったキオスクで勝手に休憩を取るなんてこともありました(乗車客が沢山いるのに)。

 あと遠く離れたダウンタウンまでバスで行った時の事。私が乗った次のバス停で突然バスが止まって、何かあったのかなときょろきょろしていると「ちょっと待ってて」と言って運転手が道路の反対側にあるマックへ歩いて行くではありませんか!嘘でしょ!?と思っていたら15分後位に電話をしながらマックコーヒーとマフィンを片手に戻って来る運転手の姿が…。

 でもこの頃にはああこういうものなんだなと私も慣れつつありました。そうしてようやくバスが発車と思いきやそれから4つ後のバス停で急に「バスが故障したから降りてくれ」と言われ、ついて無いなぁと思いながら取り敢えず降りて、新しく来たバスに乗って発車を待ちました。
 時間が経ってようやく動き出したと思えば今度は「さっきのバスが直ったから戻ってくれ」と。ほんとメチャクチャです!(笑)そんな感じで1時間程度で着くはずが2時間半もかかってしまいました。早起きして良かった。

 私が降りた終点のダウンタウンのバス停は1番大きな場所で、バスカードや1日乗り放題のカードが買えました。でも窓口が閉まっていて、自販機も故障してるものやお釣りが無いから使えないものがあって、
混沌としていました。
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無事1日券を買えたのですが、やっぱりダウンタウンのバス停の雰囲気は悪くて、これはもう来なくても良いなと思ったのと、絶対に明るい内に帰らなければいけないなと思ったのを覚えています。(明るくても人気の無い場所はやっぱり雰囲気が悪いです)

その日は美術館に気晴らしに行ったのですが、その事も今度記事にしたいなと思います。

 ということで、バスの紹介…というより珍事件紹介になってしまいましたね。今後は学校のことやレッスンのこと、自炊や節約のこと、旅行の事なども書いていきたいです。

あっという間に7月!夏とは思えぬ寒さの札幌です。梅雨も嫌な湿気も無く快適なのですが、その分長い冬が待っていると思うと‥。今から雪の心配をするのは早すぎますが、きっとまたあっという間に年末がやってくるのでしょうね‥。
6月は2つ演奏会がありました。

①創成高校サロンコンサート
とっても綺麗な高校の、吹き抜けになっているロビー?ホール?にて演奏させていただきました。高校の合唱同好会、吹奏楽部の次にゲストとして私を含む4名の方が演奏しました。当日は合唱部が一人足りない!など面白いハプニングがありましたが、司会の方や関係者の方々の心強いサポートがあり、楽しく演奏させていただけました。自分のソロのほかにチェロ、クラリネット、バリトンの伴奏をしたのでずっと出ずっぱり。舞台袖に引っこんではまた出てきてを繰り返していたのですが(笑)貴重な体験ができました。お世話になった方々有難うございました。
創成高校さんの記事
プログラム
・ソロ
ショパン 夜想曲op.9-2
グリンカ=バラキレフ ひばり
・チェロ
Bruch Kol Nidrei
・クラリネット
ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女
シュライナー Immer kleiner
劇団四季メドレー
・バリトン
ビゼー 闘牛士の歌
Brodsky Be my Love
フニクリフニクラ


終演後、控室の音楽室にて共演者の方々と。


②100万人のクラシックライブ in旭川
サロンコンサートの翌日。高校、そして京芸の先輩で実はピアノの師が同じであり、今は札響で御活躍されている尊敬する先輩と東横INNさんで演奏させていただきました。
電車で旭川に行ったのは初めてでしたが、駅前がこんなに新しくて綺麗だったとは!
ホテルのロビーで演奏させていただいたのですが、関係者の方々、ホテルの支配人さんをはじめとするたくさんの方々が非常に親切にサポートしてくださり、こちらの方でもとても感動しました。有難うございました!想像していた以上にたくさんの方々にご来場いただき、演奏後は懇親会を開いて頂いたのですが、そこでも多くの方々と交流することができました。旭川に知り合いはあまりいませんが、それでも音楽をやっていると、どこかで思わぬつながりがあったりして、その日もピアノを習っているお子さんや、息子さんがピアニストをされている方々とお話しする機会なんかもあり、色んな方々とお話しする中でこういう小さなつながりを大切にしていきたいなぁと思いました。演奏家にとって、人前で演奏する場、そしてこういう機会をいただけるのは本当にありがたいことなので、このプロジェクトがこの先もずっと良い形で続いて行けるよう応援しております。

プログラム
モーツァルト ロンド G-dur
ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ1番
ドヴォルザーク 4つのロマンス
チャイコフスキー ワルツスケルツォ
エルガー 愛の挨拶


かわいらしいお子様に頂いた素敵なブーケ





久々の投稿です。気が付けば6月も後半に差し掛かっていました‥。本当に、こういうのはマメでは無い私には向いてないような気がします。
札幌は暑い日が続いてそろそろ夏かぁと思いきや寒い日が続いたりで、去年の今頃はどういった服装をしていたっけ?とよくわからなくなってきているのですが、ちょうど今の暑くもなく寒くもない気候が過ごしやすくて一番好きだったりします。
前置きが長くなりましたが、5月にフルート吹きの弟と2つコンサートをしましたのでご報告を。

①5/9イオン発寒コンサート
今年2回目の出演でしたが、お客様と近い距離で、しかも普段あまりクラシックを聴かれない方々と交流できるのは、とっても嬉しいことだと改めて感じました。とはいっても中には頻繁にこのコンサートに足を運んでくださる熱心な方々もいらっしゃって、とてもありがたいことだなぁと思いました。トーク力のある弟に引っ張ってもらったせいか、またもや私を妹だと勘違いされた方々がいらっしゃったみたいでした(悲)5月末に行う演奏会の宣伝もさせていただき、チケットをご購入してくださった方々が結構いらっしゃり、感謝の気持ちでいっぱいでした。ここを見ている可能性は低いですが、本当にありがとうございました!!

<2ステージ分のプログラム>
エルガー 愛の挨拶
ラフマニノフ パガニーニラプソディーより18変奏(ソロ)
シューマン トロイメライ(ソロ)
シューベルト アルぺジョーネソナタ
ドップラー ハンガリー田園幻想曲
シャミナード コンチェルティーノ
ドヴォルザーク 我が母の教え給いし歌

②5/31北濱姉弟デュオコンサートin井関楽器スタインウェイスタジオ
大きなスタインウェイピアノがどんっと飾ってある井関楽器さんのスタインウェイスタジオにて、弟と演奏会を開かせていただきました。今回のコンセプトはクラシック音楽を身近に感じてもらう、生の演奏の楽しさを感じていただく、という事で、比較的馴染みやすい曲を中心にお届けしました。トークも交えながら、イオンコンサートとはまた違うお客様との近い距離に緊張しましたが、あたたかい拍手に支えられ、1回目の演奏会を無事終える事が出来ました。サポートしてくださりたくさんお世話になった井関楽器の方々や応援してくださった方々、足を運んでくださった方々に改めて御礼を申し上げます。
練習での力を100%出すことの難しさや集中力のことなど、新たに立ち向かう課題も見つかり、これからも音楽を通してより自分と向き合って行きたいなと思いました。また第2回も企画中ですので、応援してくださると嬉しいです。
井関楽器のブログ→http://iseki-gakki.blog.wox.cc/entry58.html

<プログラム>
フォーレ シチリアーノ
バッハ 平均律1巻23番
ショパン ノクターンop.9-2
バルトーク ルーマニア民族舞曲
ボルヌ カルメンファンタジー
シャミナード コンチェルティーノ
チャイコフスキー メロディー