週末は仙台国際ハーフマラソン! 夜行バスで行くもんで、朝からどこ行こうとかいろいろ地図見てたら、ホテル白萩の名前発見。
私は大学が仙台だったんだけど、最初に契約したアパートが父親(不動産会社勤務)からすると全然納得いかない物件で(大学から遠い、半地下で薄暗い、外廊下のどん詰まりの部屋で変質者に追っかけられたりした時に逃げ場がないなどw)、その後も探しまくって良い物件見つけてくれたのはいいけど、そこは4月10日まで空かないとw でも入学式とか大学は始まっちゃうんで、お母さんがホテル白萩を取ってくれて、最初の1週間はホテル生活で大学に通ったのです
今見たら1室1万円超なんだわ…。俺、1泊でもそんなとこ泊まんねえ… 今回仙台国際ハーフで仙台行くのに国分町のカプセルホテル取ってるよーな人間だからね…。もっと安いビジホもあっただろうに、なぜこんないいホテルだったのか…大学からはもちろん、駅からも少し離れとるし。確かに18歳の私はようわからんかったけど、今考えたらそこそこ良い部屋だった記憶…。
ご飯の食べ方もよくわからんくて(どういう店に入ればいいとか、いくらくらい使ってもいいのかとか、どういう種類のものをどの程度の量食べるべきかとかw それまでずっと目の前に出された食事を好きなように食うことしかして来てなかったから…)、コンビニでカップラーメン買ってきて部屋の電気ケトルでお湯沸かして食ってたっけな…
ホテル生活を終えていよいよアパート入居の時は、お母さんが手伝いに来てくれたんだけど、近くのバス停でお母さんを見送った後、いよいよ私、一人で何も知らん町で生きていくしかないんだと思って、ガチで泣いたww(中学生くらいの頃からずっと実家を出たくて遠方の大学ばかりを受験しまくった人)
それまで一人で暮らしたことはおろか、一人でどこかに遠出したことすらなかったので。都内の私大を受ける時ですら、全てお母さんが付き添ってきてくれた。電車の乗り方も大学までの行き方も全然わからないからね。とんでもない箱入り娘だった
家の手伝いとか本当に一切したことなかったもんで、一人暮らしを始めてようやく気づいたんだけど、米の研ぎ方も炊き方も洗濯機の使い方も何にもわからんかった。リンゴの皮すらむいたことなかった。中高の家庭科の授業でやったこと以上の知識経験が一切なかった。マジで全てが説明書を見ながらの初挑戦ばかりだった。初めて近所のスーパーで買い物した時に、なぜか会計が5千円超になったの今でも覚えてるw
料理が得意で超面倒見の良いお母さんは、面倒見が良すぎて全てを自分でやっちゃうから、私に何も教えてくれてなかったけど、必要十分な鍋や食器、そして10冊ほどの料理本だけは持たせてくれてた
なお、私は一人暮らしをするにあたり要求した唯一のアイテムがプレイステーションだったというね…(中高と小説とマンガとゲームしかやらずに生きて来た2次元の住人。当時はめちゃくちゃ品薄で入手困難で、プレステなかったら生きていけないむりむりむりむり!!って大騒ぎしてたww)
さらに極度の偏食で生魚が食えねえとか、野菜は好きじゃないとか、肉もハンバーグやソーセージみたいなプロセスフードは食えるけど脂身が付いているような怪しい部位(と当時は思ってたww)は気持ち悪くて食えねえとか、今の私が見たらぶっ殺したいレベルの好き嫌いクソガキだった。
でも、仙台で美味しい刺身(ただのチェーンの居酒屋だったと記憶してるが…)を食ったことで「えっ、刺身美味えww」となり、食への興味が一気に開花し、いきなり国分町の渋い小料理屋さん(味乃店・松浅)でバイトし始めるに至るんだけど。
親方がクジラのベーコンなんか切っていれば(あれ、どんな味すんだろ…)って飢えた餓鬼みたいな目でじいいいぃぃいぃっと眺めるもんで、「食ってみるか~?」って切れ端もらったり、常連のお客さんに10,000円のワインをお使いさせられたら(あんな高えワイン、どんな味すんだろ…)ってじいいいぃぃいぃっと眺めては「飲んでみる?」って一杯いただいたり。
今考えたら、私は仙台で一人前に成長できたんだな…。仙台に来なかったら確実に何にもできない子ども部屋おばさんになってただろうし、バイクの免許も取ってなかっただろうし、旅や冒険に憧れることもなかった。
さらに言っちゃうと、私がバイクを好きになったきっかけも仙台。中学1年の夏休みに家族で東北旅行をしていた時、仙台の街をたくさんのバイクが走っているのを見て、「なんかバイクってカッコいい いつか私も乗ってみたい!」と、突然脈絡もなくバイクに一目惚れした。松田の聖子さん風に言えば「まさにビビビッと来た」。それまでそんなもんに一切興味なんか持ったこともなかったのに。
いやー仙台すげえ。仙台ありがとう。大学卒業後に某金融機関に就職して、勤務地の希望を「東北(仙台)・北海道(札幌)・四国(高松)」って書いたのに東京本社配属になって、人事部の人の前で号泣したもんだわ。人事の人、超うろたえて「ど、どこに行きたかったの?」「ぜんだいでずう゛う゛うぅぅぅ」ってむせび泣いてた。茨城で生まれ育ち、仙台で大学生活を送った田舎者が、東京なんて大都会で暮らせるとは思わんかった 3日で慣れたww
仙台、関東と比べたらちーと寒いけど、周囲のエリアと比べたらまだ暖かいし雪少ないし、そこそこ大きな街なのにコンパクトにまとまってお店なんかも巡りやすいし、ほんと住むにはいいとこだったんだよな~。今も第3の故郷だわ。(1位・茨城、2位・東京東部、3位・仙台、4位・豊後大野、横浜は4〜5年住んでたけどあんまり愛着湧かなかったな〜。会社の寮で寝に帰るだけの場所だったしな…)