②イタリアで養子を待つ期間 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

私の友人のAさんが乳がんで

適齢期に子供が作れず

養子縁組の手続きの申請をしていたお話の続き。

 

 

Aさんは、子供が持てない状況に

とても苦しんでいたのだけれど

乳がんを克服して、カヌー教室に通い始めた辺りから

すごく表情が明るくなって、私はホッとしていた。

 

 

 

そして彼らは養子縁組の申請をして

今か、今か、と

ワクワクしながら待っていた。

 

 

だけど、申請をしたって

養子がすぐに見つかるものでもなく

彼らはただ、ひたすら待っていた。

 

 

恐らく3年くらい待っていたと思う。

 

 

そして3年後、やっと南米の子供が見つかったと

その子に会いに行くんだ!と

意気揚々と長旅を計画して会いに行っていた。

 

 

だけど、その時はまだ

子供をイタリアに連れて帰って来れず

また待機の状態が続き

 

その男の子がイタリアにやってきたのは

彼が9歳になった時だったポーン



すでに大きかったのだろうけれど

待っている間に、更に大きくなってしまったのだ…驚き

 

 



 

 

 

 

 

 

Aさんの夫、Cさんと

私の夫は同僚で

会社のクリスマスパーティーで

家族全員が招待される大きなパーティーが開催された。

 

 

その日、Aさんは養子のL君を

みんなに初お披露目の日だった。

 

私はL君に挨拶できるのを楽しみにしていた。

 

 

髪の毛がクリクリでカフェオレ色の肌で

これは大きくなったらイケメン間違いなし!

という愛嬌のある男の子だった。

 

 

私は、良かったね〜!

本当に良かったね〜!!

 

 

とAさんと抱き合った。

 

だけどAさんは、浮かない顔をしていた。

 

 

周りの同僚の家族が

好奇の目でこちらを見ているからだった。

 

 

あの夫婦に養子が来たんだって!

 

見てよ、何人かしら?

 

養子なのに、あんなに大きい子!?

 

養子貰うのなら、もっと小さい子が良いわよね!

 

 

きっと、繊細なAさんには

周りの人間に

まるで自分の家族のゴシップを言われているような気分で

パーティーの間中苦しんでいたのだろう。

 

 

 

私はあの友人の家での夕食会のことを思い出してしまった。

 

Aさんがまた、あの時の苦痛の表情に戻っていたからだ。

 

 

せっかく、笑顔が可愛いL君が

遥々、海を渡って新しいママの元に来てくれたのに悲しい

 

 

 

Aさんは耐えられず

クリスマスのビンゴゲームを待たず

社長が今回は子供達を喜ばせるために

沢山の景品を用意してくれていたのに

 

パーティー途中でL君と旦那さんのC氏を連れて

帰ってしまったぐすんぐすんぐすん