牛足とひよこ豆の煮込み★モロッコ料理 | イタリアでモロッコごはん

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イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

義姉がモロッコ料理で食べたい物、第二弾は

 

「牛足とひよこ豆の煮込み」が食べたい!らしい。

 

 


写真は取り忘れたのでサイトから拝借した一例です。


 

この一皿は、私にとっても非常に思い出深い一品。

 

その昔、夫と知り合う前

イタリアからモロッコに行った時

お世話になったモロッコ人家庭で

何度も頂いたのが、この牛足のタジンなのだ。

 

 

初めてこのタジンを見た時は

な、な、な、何ですかコレは!?ポーン

と、見た目がグロいので躊躇したけれど

 

一口頂いたら、なんとまぁ、美味しいことびっくり

 

牛足のトロリとしたゼラチン質と絡まった

ひよこ豆がまた良い味を出していて

病みつきになった。

 

 

私が美味しい、美味しいと食べていたからか??

滞在中何度もコレを作ってくれた友人家族。

 

 

私はこの家族のホスピタリティーと

小さな子供〜お年寄りまで一緒に幸せそうに生活している

モロッコのライフスタイルに感動した事から

後に義姉との同居も断れなかったのだ。

 

 

私は初めてのモロッコ滞在中

そこはかとない家族愛に溢れ、お互いを助け合い

時にワガママに、とても人間臭く正直に感情表現をして

そんな中でもお互いを尊重しながら生きるモロッコの人々の在り方に

これぞユートピア、理想郷を見たと確信した。

 

 

こんなところで育った夫が

脳梗塞で倒れて半身不随になった義姉を

放っておくワケが無いし

もちろん、そこに付随する将来の妻である私も

そこで救援する人員となるのは自然の成り行きだった。

 

 

こればかりは、モロッコ人の大家族と

少しでも生活を共にしてみないと解らない。

 

 

私は何も特別な人間ではなく

ただ、そこで過ごした経験は

かつての古き良き昭和の日本では

当たり前の事だったのを肌で感じ取っただけだ。

 

 

しかし、日本人はなんて孤独に

生きるようになってしまったのだろう?

 

 

確かに親戚付き合いは、ウザいかもしれない。

 

 

家族、親戚総出で助け合えば

余分なお金は掛からないのに

ウザいからと外部サービスに依頼するから

お金の心配が発生するのだ。

 

 

私はモロッコで、一銭も余分なお金が無い人が

その合理的な家族の助け合いで

どこよりも豊かに生きているリアルを見せつけられたのだ。

 

 

牛足の思い出は

私の意識改革(パラダイムシフト)の原点を思い起こさせてくれるのだ。

 

 

昔は義姉がよく牛足の煮込みを作っていた。

 

彼女が久しぶりに食べたいという一品が牛足で

私が、自分では一度も作ろうと思った事もなかった一皿で

それがきっかけで初めて私が牛足のタジンを作った事も感慨深い。

 

 

私が初めて作った牛足のタジンを

義姉は、美味しい、美味しいと言って食べ続けた。

 

 

私はたまに首を傾げる。

きっと、これは私が作っているのではなく

モロッコ人のご先祖の誰かが

私の身体を媒体として料理しているのではないか?と。

 

 

何故なら、私は初めて作るのに

大抵、以前食べた義姉の味に近いものが再現できるのだ。

 

義姉は、不味かったら、絶対に手を止めて食べない。

 

それを知っている夫は

ワシワシ食べている義姉を見て

これまた首を傾げて、

 

「なんで君は日本人なのに、味にうるさいモロッコ人が美味しいと言う

 モロッコ料理を作れるの?」

 

と聞くのだ。

 

 

だから、きっと私の身体を使って

誰かが乗り移って作っているんだと思うんだ。

この強烈な義姉と同居出来たご褒美として

そんなミラクルくらい、起こせる気がするんだハートのバルーン