Vol.18 そして誰もいなくなった | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

私達を精神的にも肉体的にも

限界に陥れた末、義姉に嘘を吹き込まれていた

取り巻き達もいなくなった。

 

 

精神カウンセラーが間に入ってくれたことで

事の真実が浮き彫りになり

全てが義姉の私へのジェラシーから

こんな大騒ぎになってしまっていたことが判明した。

 

 

フィレンツェ市のソーシャルワーカーも

「あなたのお義姉さんがやきもちやいていただけだったのね!」

と解ってくれた様子で

かつて鬼の形相で我が家に入ってきたのに

なんたる変わり様だチーンと呆れた。

 

 

人の出入りが無くなった義姉は

モロッコに行きたがるので年に2回ほど

行ってもらっていた。

 

 

モロッコでも助けて頂いている親戚に

酷く横柄な態度を取る義姉は

誰にも見向きもされない状態になり

 

2019年の夏に、実家の屋上の小屋に送り込まれ

かろうじて3食、食べ物だけは運ばれたけれど

誰とも喋ってもらえないまま3ヶ月過ごした上

それがショックとなり、痴呆が始まった。



あの温厚でホスピタリティー溢れるモロッコの親戚を

ここまで怒らせた義姉が悪いんだけどね…。

 

 

2020年を迎え、義姉が呆けてくれたことで

本当の平安が我が家に訪れた。

 

同居から16年目、初めてポーン義姉が黙った瞬間だったびっくり

 

 

それから、義姉は何も私に言わなくなった。

嫌味も、罵声も、犠牲者ぶることもなく

絶対に食べなかった昨日の残り物も食べるようになったびっくり

 

 

「ボケる」って素敵なことね笑い泣き






 

 

年末の危篤を迎えるまでは

トイレも自分で行っていた義姉。

車椅子から便座への移動が独り出来ていたのだけど

 

年末に危篤を迎えた時に

ガタッと筋力が落ちてしまって

座っていることも難しくなってから

オムツ生活に突入してしまった。

 

 

以前は車椅子で独りで移動できていたのに

車椅子を漕ぐ力すら無くなってしまっていた。

 

 

それまでは私がキッチンで何か作っていると

匂いを嗅ぎつけては

キコキコ車椅子でやってきて覗いては、無言で部屋に帰るという

 

私が料理をする気力が失せるような

気分の悪い態度を毎回とっていたのだけれど

 

なんと、その嫌がらせの様な行為が

筋力の衰えにより、無くなったラブ

 

 

同居16年目にして

やっと私は独り、本当に自由に

キッチンを使えるようになったのだちゅー

 

 

それまではドアを閉めていても

車椅子で侵入されて覗かれるのが嫌で

心落ち着かせて、独り好きなものを調理することが出来ずにいた。

 

 

それが、ドアを閉めてシャットアウトすれば

私は思う存分、料理の研究ができるようになったのだ乙女のトキメキ

 

あ〜、なんていう自由バレエ

 

きっと普通に二人きりで結婚すれば

みんな当たり前の様に出来ていることでしょうけれど

私には出来なかった、勝手気ままに調理に没頭すること。

 

 

私は至上最高の悦びに悶えながら

時代はパンデミックでロックダウンという

家族全員が家でウロウロしている事態に突入していた。

 

 

以前の様に義姉が喚きまくっていたら

最悪なロックダウンになるところだったけれど

なんと、神様はパンデミック突入と共に

あの義姉を黙らせてくれたオーナメント

 

 

なんという奇跡おすましペガサス

 

まるで「あれ?いたっけ?」ってくらい静かで

ただ、食べて、排泄するだけの

チューブの様な存在になった義姉は扱い易く

 

今まで毎日が台風の嵐の様だったのは一体....ってくらい

私には、その静かな日々が信じられずにいた。