”亡くなった人からのメッセージ。” | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

切なくなる時。

 

それは、亡くなった人の誕生日のお知らせを

Facebookが知らせてくれる時。

 

 

 

義弟は義母よりも早くに逝ってしまって

産まれてからずっと同じ屋根の下で暮らしてきた義母は

一体どんな精神状態でいたのか??

 

 

私には想像もつかない。

 

 

自分よりも息子に先に旅立たれたら

私だったらフツーの精神状態ではいられないだろう。

 

 

だけど義母は非常に強い女性で

高い精神性とともに生きているので

決して泣かなかった。

 

 

そして祈ることで天と繋がっている彼女は

いつも通り、目の前に展開する運命を

静かに受け入れるだけなのだろう。

 

 

そしてどんなことでも

感謝の気持ちを忘れずに

残された家族の幸せを願って祈り続けるのだろう。

 

 

彼女は3兄弟を産んだ後、30代前半で夫を失った。

そう、私の夫が6歳の時にパパを失ったのだ。

 

 

義弟はその時9ヶ月だった。

 

 

私の夫はパパと一緒に寝ていたことなど

父親の記憶があるけれど

義弟は何の記憶もないだろう。

 

 

そして彼は自分の2人の息子にも

同じ運命を背負わせた。

 

彼が亡くなった時

彼の息子達は2歳と、もう1人は11ヶ月だった。

 

 

なんとも悲しい現実だった。

 

 

 

その2年後、義母は天国へと旅立った。





 

 

そして夫の夢にいつだか義母が出てきて

 

「今新しいアパルトマンを建築中なの。

 階下に案内するわ。ここにキッチンを作るのよ!」

 

と30代のハツラツとした若い母と夫は話したらしい。

 

「そうなの!?それならキッチンは僕が買ってあげるよ!」

 

 

と言葉を交わして終わったらしい。

 

 

 

きっと天国で義母とその息子、私の義弟は

新しいアパルトマンで

また仲良く暮らしているのだろう。

 

 

義弟は絶対に手ぶらでは帰ってこなかった。

 

大きな買い物袋いっぱいに

野菜や果物を買ってきたり

 

何も買い出しがなかった日には

小さなお菓子の箱に

ミルフィーユを私達人数分だけ買ってきてくれた。

 

 

それは彼らの父親とそっくりの姿だったらしい。

義弟は父親と同じハチミツ色のクリッとした瞳で

(金髪青い目のお祖母さんの影響)

いつも凄まじい量の買い物をして帰ってくる。

 

 

それはうちの夫も同じで、買い物が大好き真顔

彼らの辞書に「ケチ」という言葉は存在しない。



パパはあの時代のアラブ人には珍しく

家事も率先して手伝ってくれていたらしく

うちの夫は料理でもアイロン掛けでも何でもやる。

 

 

そしてそのDNAは受け継がれて

義弟のの残された子供達も

同じようにわんさか買い物をして帰ってくるようになるのだろう。



そしてそんな受け継がれた姿を見て

故人を思い偲ぶのだろう。



きっと人間は忘れられたくないから

子孫を残していくのだろう…。


自分の生きた証としておねがい