其の漆拾。
01. 届く気がしない
渋る両親を説得し、太平洋を越え、想う人の選んだ場所に潜り込んで、はや数ヶ月。
覚えていてくれているとは期待していなかったにせよ、それでも最初からやり直せると自負していた。
それが、どうだ。
全ての接触を拒み、会話はおろか、目を合わせることすら出来ずにいる。
唯一、クラスメイトで寮での同室者である片倉には心を許しているようだが、それでも全幅の信頼を置いている訳ではない。
前途多難。
時間は限られている、それでもいいと承知したのは自分だ。
独り善がりの、届く気がしない想いなのは覚悟の上だけれど。
ただ、もう一度あの笑顔を見たいのだ。
黒目がちの瞳が、威嚇するように睨むのではなく、ただ楽しそうにゆるむのを…。
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其の漆拾壱。
02. 呼び止めておきながら
触れないのであれば、たいていのことは黙って頷く。
騒ぎを起こしたいワケじゃない、むしろ放っておいてくれればといつだって思っている。
それを、反応を面白がってちょっかいをかける輩がいるから、反撃せざるを得ないだけ。
「あ、葉山」
でも彼は、決してそんなことはしない、だから。
呼び止めておきながら、周りに群がる友人たちに捕まって続きが言えない、彼の言葉を待つ。
きっとクラスのことか、今から行く図書室への預けものか、何にしてもたいしたことではないはずだけれど。
真っ直ぐは見られないから、気のない素振りで身体を斜めに向けて、でも全身で気配を追って。
「悪いな、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど」
ふんわりとした笑顔は、きっと他の誰にでも見せているのだから、と。
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其の漆拾弐。
03. 無関心な横顔
「中山女史との約束でさ」
Fグループの特権はもちろん、個人としてのコネクションは必要だと、教師以外のパブリック、つまり保健医や図書館士、担当警備員に至るまで、それなりに有効だと言われる愛想をふりまいておいた。
だからこそ、例えそれが背後に控える権力の賜物で表面上だけのものだとしても、疎まれずに便宜を図ってもらえている。
誰もが敬遠する図書委員に、偶然とはいえ託生が割り当てられていたのもありがたいくらいだ。
直接は触れないように、けれど、ギリギリ許される距離を慎重に測って手渡した、持ち出し禁止の本。
背表紙に貼られたコードを読み取ったのか、びっくりしたように視線が向けられる。
きちんと向かい合えば、その目が一般的な比率よりも大きいことも、さらにはその中の瞳孔でさえも雄弁なことに気付けるだろう。
けれどいつものように、ただの一言もなく受け取り、無関心な横顔は全てを拒絶する。
生まれ持った特権が通用しない人がいると、教えてもらっただけでも、出会った収穫かもしれない。
ただそれだけでは気がすまない、己の感情こそ、特別視するべきで。
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其の漆拾参。
04. 幼稚な気の引き方
勝手に名付けてくれた病名は、それでも端的に症状を説明してくれていた。
『人が嫌い』なのではなく、『人と接触することが嫌い』なのだということを。
以降、クラスメイトたちは接触を注意深く避けながら、それでも行事や日常のあれこれに話かけてくれるようになった。
それはとてもうれしくて、幼いころの自分に戻ったような気にもなったけれど、やっぱり不用意に触れられる感覚には慣れなくて。
「幼稚な気の引き方、してんじゃねぇよ」
言われたことが、理解出来なかった。
気を引く、それはずっと、むしろ避けていたことだった。
言われた意味がわからずに、問い質そうとしたそのとき。
「葉山にそんな損得勘定はないよ」
背後から聞こえた甘いテノールに、ワケもなく安心したのだった。
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其の漆拾肆。
05. 誰に対しても同じ
おそらく本人は覚えていないだろう記憶の中でも、それでもいつでも真っ直ぐで、真摯だった。
幼少であったとはいえ、崎家の将来を担う兄妹に関係したのだ、もしかしたら子どもを使っての…と懸念されても仕方がないだろう。
けれど、どこまでも平均的で一般的な日本人家庭らしい彼の両親は、表面的な謝意も裏に隠された詮索も全く気にしていないようだった、と知らされたのは嫌悪症の理由を本人から聞いたあとだった。
両親から好悪はともかく関心さえ与えられなかった子ども。
唯一もらえた兄からの愛情は歪んでいて。
拒否するということさえ教えてもらえず、ただあるがままを受けとめるしか術を知らなくて。
だから、誰に対しても同じ態度しか取れない。
触れられることには拒絶を示すが、きちんと分かってそれなりに気をつければ、きちんとしすぎるくらいに応えようとする。
そうすることしか知らない、幼いほどの素直さに、いつか誰かが気付くだろう。
その時、自分は、耐えられるのだろうか。
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其の漆拾伍。
06. 続かない会話
手渡された本の背表紙を、つい確認する癖で見て、驚く。
本来、こんなところで気軽にやりとり出来るようなものではない、それ。
些細な、とは言えないようなことで、この人は特別なのだと思い知らされる。
他のクラスメイト同様に話かけてくれるのに、そしてそれがとても嬉しいのに、そう言えなくて続かない会話がもどかしくて、俯いてしまう。
決して拒否したい訳ではない。
でも、期待をしてはいけないと戒める気持ちがそれよりも強くあるから。
「じゃ、頼むな」
ぽんと肩に手を置くような気軽さで、でもそうすることなく綺麗な手をひらりと翻してくれたのは、彼の優しさ。
了解を伝えることも、謝意を届けることさえも出来ないのに。
彼は、どこまでも遠い人、なのに。
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其の漆拾陸。
07. 特別を望む心
クラスメイトであり同室である片倉には、触れることはないまでも、かなりの信頼を置いている。
甚だ希薄ながらも、級長として同じような立場を望めないものかと、それなりに努力はした。
結局全てが徒労に終わった学年末、努力しても無駄なことがあると相棒に肩を叩かれながら呟かれた。
それでも諦めきれなかった俺に、次年度は同室になると担任からのリークで、気分は一気に天国へと登る。
初年度で分かった、級友では、近付ける距離が広すぎる。
特に他人との距離を置きたがる相手ならば、尚のこと、私生活をも共有出来る場所にいなければいけない。
学園側の憂いを他所に、オレは、未来は約束されたと、根拠もなく浮かれていた。
ただ、託生の特別を望む心が暴走した故に。
好きだと告白し、無言ではあっても受け入れてくれた。
プラトニックでも、自分は他のヤツらとは違うんだと、思っていたんだ。
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其の漆拾漆。
08. 近づいたところで、意味も無い
2年になった入寮日に、高林くんからの嫌がらせを受けた。
ありがた迷惑ながらも、赤池くんの登場で事無きを得たけれど、それが、ギイと同室であるということに起因しているとは気付かなかった。
さらに、音楽室に閉じ込められ、ギイからの告白とキスを受け、パニック状態だった。
あまりにも短時間に色々ありすぎて、もともといろんな意味で不器用で世俗に疎いこともあり、起きた出来事についていくことさえ危うく、そこからさらに考えをすすめることなど不可能だ。
自分の周りだけ、勝手に時間が流れているような気がして、取り残されている自分は流れに沿うことも乗ることも出来ずに戸惑う。
好きだと、彼命名の嫌悪症をものともせずにキスをしてくれたことは、嬉しかったけれど。
結局は彼を突き飛ばしてしまい、身体的にも、そして精神的にも傷をつけてしまっただろうことは想像に難くない。
これからの1年間、クラスだけでなく寮の部屋も同じで、必然的に一緒に過ごす時間も増えるのだろう。
けれど、だからといって、距離が近づいたところで、意味も無いことはきちんと分かっている。
だって彼は、『ギイ』なのだから。
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其の漆拾捌。
09. 無視より辛いこと
もう何度告げただろう、『好きだ』そのたった三文字が届かない。
アメリカ人あいさつ代わりに誰にでも言うと思われているのか、からかってると思い込んでいるのか。
ほんの少し前までは、誰に声をかけられても、無視はしないまでもわざと嫌がらせをするヤツらを睨みつける時以外は視線を合わせることは決してなかった。
なのに、疑うことを知らない大きな瞳は真っ直ぐにオレを見つめてくれるから、希望を捨てられなくなるのだ。
諦められれば楽なのだろう、自分の気持ちを受け取ってもらえずに燻らせ、なのに往生際悪く足掻く己自身を見据えるのは、それを無視するよりも辛いことだと初めて知った。
人当たりよく誰とでも気軽に話せるのは、それが自分にとって有利になるからであり、本当の自分はそんなにいいヤツじゃない。
それでも、そういう自分を噂や見かけで判断せずにちゃんと見てくれるのだからきっと、一縷の望みはあるはずだ。
本当の自分をちゃんと知って、その上で自分がそばにいることを望んでもらいたい。
願わくば、抱きしめたりキスしたり、うん、そういうことも、いつかは。
その澄んだ瞳を曇らせるようなことはしないと、約束するから。
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其の漆拾玖。
10. ゴミ箱外した紙くず
触れるだけのキス、ただ抱き締めるだけの抱擁。
その先も望まれていると分かるのに、逃げてきた過去と現在の嫌悪症が邪魔をする。
掛け違えたボタンのように、ゴミ箱を外した紙くずのように、歪で、きちんとおさまらない気持ちはきっと、彼を好きだから。
外見も内面も非のつけどころがない人と比べて、あまりにも自分は卑怯で矮小で薄汚れていて。
だから、求めてくれる気持ちは嬉しいのに、素直に受け入れて喜ぶことが出来ないのだ。
今は、きっと他の生徒たちと違う自分に興味があるだけ、いつかからかうことに飽きたら去っていってしまう。
それならば、これ以上近づかず、これ以上好きにならず、もしかしたら彼を傷付けることになろうとも、今まで通り拒否していればいい。
1年、そうして耐えてきたのだ、それがもう1年、出来ないはずはない。
お願いだから、放っておいて。
助けてと、手を伸ばしたくなる前に、見限ってよ。