01. 同時刻に合わさる回線 / 同刻ログイン
最近ハマってる、オンライン上でのチャット。
プレイボーイと言われてはいても、毎晩女の子と過ごす訳ではなく、それなりにゆっくりとした夜を過ごすことも多い。
たいていは深夜前後に少しだけ覗くのだが、かなりの確率でほぼ同刻ログインしている人がいることに気付いたのだ。
ここに来る人は、程度の差こそあれ、たいていは車に興味のあるやつばかりで。
偽名は当然ではありながらも、話す内容から、どこかのガレージ勤務なんだろうなとか、改造するのが趣味なんだろうなとか、マニアックなものが多い。
はじめこそ、その人物は会話に加わることは少なく、みんなの会話をみて楽しんでいるようで、別に気にもしなかったのだけれど。
たまさかに入るその人の一言が、会話の流れや参加していたメンバーの意識を根底から覆すことがあって。
決して押し付けがましい訳ではなく、けれど、誰もが気にせずにはいられないほどの影響力。
オンタイムとはいえ、文字だけでそうなのだから、現実だったらどれほどなのかと考えた時に、ふと思い当たった、約一名。
確信もないのに、でもそれが正解のようで、ワクワクした。
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02. 存在を確かめるすべ
確信は、まるきりない。
そもそもがみなHNという偽名であるし、発信位置を示すものも隠され表示されてはいない。
今自分がいる場所とその人の居所、その間に横たわる距離と時差を考えれば、普通ならベッドの上にいる時間。
とはいえ、自分が知る限り、その人は睡眠時間を削ってでもというタイプだから、夜を徹してか早起きしてか、キーボードを叩いていても不思議ではなく。
しかも職業柄、想像とはかけ離れたところにいてもおかしくはない。
結局、画面上からではその存在を確かめるすべはないということだ。
それでも、万が一という一縷の望みをかけて、なるべくこまめにコメントを返す。
想像が正しければ、ずっとこのチャットの画面を見ている訳ではなく、他のことをしながら覗く程度のはず。
だからこそ発言回数は少なく、けれどそれまでの会話から流れを読み取り、的確に言葉を残す。
あまりにもらしくて、いつの間にか、たとえ違う人物であったとしても好意を持つだろうと、思うほどになっていた。
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03. 綺麗な文体に惹かれてた
略語や、スラングとまではいかないまでも結構砕けた言い方が多い自分。
参加者は世界各国からだろう、たどたどしい言い方や、明らかに翻訳サイトを使っているのだろう表現がよくある。
その中で、その人の文体は、一線を画していた。
英国王室で使われているという、ある意味古典的なまでのそれは、けれど想像する人なのだという勝手な先入観もあったのだろう、とても流麗で。
その綺麗な文体に惹かれてたと言っても、過言ではない。
たとえ思い描く当人ではなくても、馬鹿丁寧なくせに嫌味はなく、おそらくは得意分野だろうと思われる話題には饒舌で。
先入観がなくとも、超がつくほど好きなことには純粋な人なのだろうと、容易に想像がつく。
だから、ひとつの賭けに出ることにした。
不特定多数の人が参加するチャットではなく、個人的に話をしたいと。
素性は訊かない、会うことも望まないという条件を提示し、悪意や邪な思いはなくただ純粋に、ドライバーとしておそらくはメカニックだろうその人の意見を聞きたいのだと告げた。
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04. 恋愛感染メール / 恋愛ウイルス浸透中
話題が話題だから、メンバーは世界中から参加しており、時差など有ってないもの。
けれど、ふとまるでエアポケットのように空く時間があることも確か。
[連絡先を]
だから、本当に偶然チャットルームにふたりだけになった、そのタイミングで入力されたメッセージ。
簡潔なその一言は、何時誰がまた入ってくるか分からないからだと理解していても、その人らしいと口許がゆるむ。
万が一のために、新しく取得しておいたフリーメールのアドレスを素早く打ち込む。
公共の場であるから、今この瞬間にも誰かが入って来る可能性がある。
だから、その後はどうでもいいことを、表示制限行数を超えるまで、独り言のように適当に打ち込み続けて。
別窓で開いていたメールのアカウント画面が新着を示す。
それを見るまでもなく、それが恋愛感染メールであることは分かりきっていた。
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05. スクロールの先に待ってた文字
届いたメールに、チャットの相手で間違いがないと安心してもらうために、すぐに返信した。
出来れば、他の人が入って来る前に、受け取ったと確認してもらいたくて。
けれど、チャットの画面は一向に変わらぬまま、時間だけが過ぎてゆく。
仕方なく、アドレスが表示されている部分を消すために、まるで独り言のような文字を細かい間隔で改行して増やしてゆく。
一言でもいいから、何か…と期待しつつも、画面いっぱいが自分の呟きで埋まった頃。
ふと、メールの方の画面を開いてみて、愕然とした。
当然と言えば当たり前、わざわざチャットで話さなくても、メールでの返信があれば充分なのだ。
いつの間にかチャットルームからその人は退室しており、自分も急いで適当なあいさつを残して画面をメールに切り替えた。
件名は、らしいというか『Re:』。
チャットでの無駄なスクロールの先に待ってた文字は、素っ気なく、礼儀正しい、けれど、どこか親近感の湧くものだった。
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06. 通信不可能 / User Unknown
サーキットで顔を合わせても、今までの態度と全く変化はない。
相手が自分だと気付いていないのか、知っていて知らないふりをしているのか、もしかしたらその人だと思っていた自分が間違っているのか。
グランプリも終わり、次のシーズンまではそれぞれの生活に戻る。
身体の調整、マシンの改善、レースはなくともそれなりに忙しい日々。
相変わらず相手の詮索をしないまでも、数日ごとのメールは続いていた。
それがある日突然、前触れもなしに『メールの送信に失敗しました』というメッセージに変わったことへの、驚愕と、放心。
連絡先を教えてもらってから今まで、送れないなんてことはなかったし、まして通信不可能(User Unknown)なんてそれ以外でも初めてで。
もらったメールに、返信をする、これまでと変わらない過程のどこかに、問題が起きたのだろうか。
もしも本当に相手が自分の想い描く人物であるならば。
パソコンのメールさえも出来ない状態って、かなりヤバいんじゃないの…?
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07. 文字が声で届いた日
どう考えても、個人的に連絡を取るような理由などない。
公的にはライバルでも、私的には接点は皆無なのだ。
チャットで知り合った相手ではあるけれど、それが本人であるという確証はない。
そもそもが国家機密並みに極秘として守られる情報が、ネットという媒介上であっても国を越えて容易に届くものではない。
多用していたチャットルームも、こまめに覗くようにはしていても、その人が参加している気配はまるでなく。
最悪は、所属のチームに頼んで、例えばライバルとの親睦を深めるなんて言い訳ででも、連絡を取ってもらうしかないのかと、やきもきしていた、その矢先。
[グーデリアンか?]
携帯電話に届いた、未登録の番号。
長い数字の羅列は、国外からのものを示していて。
待ちわびていた文字が声で届いた日、それはきっと、人生最大の驚き記念日だろう。
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08. オフラインの今でさえ
別に、チャットから始まった相手に連絡を寄越した訳ではないかもしれない。
何か、そう例えば、仕事の関係でたまたま、という可能性も皆無ではないだろう。
基本的にプライベートは業界内でも秘されており、個人的に教えあう以外知る方法はないけれど、彼ならば単なるレーサーではないのだから、機密にも近いかもしれない。
そもそも相手は自分がメル友だということを知らないはずなのだし。
売ったケンカを買ってくれた時の居丈高な声よりも、穏やかで低めのそれは、心地よく耳に馴染む。
「えっと、どしたの」
なのに、返せたのはどこまでも馬鹿っぽい単語の羅列のみ。
パソコンの電源は入っているが、ネットは繋がっていない。
それなのに、画面の表示はオフラインの今でさえ、手の中の小さな機器ではオンラインで。
心臓がまるで、ハードロックバンドのライブ会場のようにどかどかとうるさくビートを刻んでいた。
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09. 誰も居ない空間に「おやすみ」
告げられた内容は、予想もしていないものだった。
いや、想像したことは、何度もある。
けれど、現実になることは絶対にないとはじめから諦め、夢に見るくらいなら許されるだろうと、消極的なまでに心の奥底にしまっておいたもの。
同時に、そういう事情なら、自分のプライベートな番号をFICCYに請うことも出来たことも頷ける。
これまでのこと、来期からのこと、それに伴うイロイロやゴタゴタなど、話題は尽きなくて。
けれど、そういう自分にとっては苦手な分野を全て請け負ってクリアにしてくれると言う。
だから、と続く言葉に、否と言うべき理由はひとつもない。
[詳細は、ハワイで]
そういう些細な手配でさえも、こっちのお偉方に話を通して用意してくれるから。
切れた受話器の向こう、もう誰もいない空間に『おやすみ』と言えることさえ、幸せなのだと知った。
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10. やっと会えたね 初めまして?
飛行機で、9時間ちょっと。
前後の時間も合わせると、半日がかりの移動になる。
それでも、職業柄、世界中を転戦しているから、飛行時間の長さや時差などは慣れっこだ。
慣れっこじゃないのは、こんなふうにまでして会う約束をした相手への想い。
普通を装って、今までのような態度を取って、それでも来期からの約束をして、ふいに。
「あれは、お前だろう?」
惹かれてやまない声が綴った、自分のハンドルネーム。
姿がなくても声を知らなくても、抱いてしまった恋心は、今ようやくきちんと相手を見、話すことも触れることも出来る距離にある。
『やっと会えたね 初めまして?』そんなふうに、始めてみようか。
公的な立場でもなくオンライン上でもなく、ただの『俺たち』という立場の新しい関係を。