小さくても... | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




買い物に行き、会計の列に並ぶ。


私の目の前には、

若き夫婦と

その子供がいて、

若きお父さんが

子供の相手をしていた。


イタリアの子供は、

なんとも可愛く、

とても純粋である。


彼らとは明らかに違う、

私たち、

東洋人の顔は、

小さき子供には、

「不思議な人」の対象に違いない。


ふと目が合うと、

恥ずかしそうに目をそらすが、

こちらが横を向くと、

また、じっと見る。


目の前の子は、男の子だ。


また、目を合わせてあげると、

目を伏せて、顔をそらす。


そんなことをしているうちに、

お互いに、妙な親近感が湧いてくる。


会計の列は、まだ進まない。


子供が飽きてくる前に、

外に連れ出そうとする父親だが、

男の子は、どこかしら、

この異邦人が気になっている様子である。


私たちは、おしゃべりしながら、

この男の子に時々、

日本語で話しかけていたが、

もちろん、

彼が日本語がわかるわけでない。


それでも、

自分が注目の的だということは、

充分わかっているかのような素振りを見せるのである。


そうして、気の引く態度を取り始める。


こんなシーンを

この日だけでなく、

何度か体験したことが、

これまでにもあったが、

今になってわかったこと、

それは、

共通して、

「男の子」だということ。


もしかして、

イタリア人の子供は、

小さくても、

「男」と「女」を

意識しているんじゃないか???


そんなことを、

その時、

ふと思ったわけである。


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⬇︎  目覚めが早い...?





最後までお付き合い、どうもありがとうございます。