日本語は
この季節が 今終わっても
君をはなれたりしないから、なのに
韓国語は
すべての君の痛みを消せるように
僕に与えられたこの時間を許してほしい
本人が説明してくれてますが。
韓国語は率直に作りたかったみたい。
だから今までで最長の時間かかったって。
そういえば
このインタビューのユチョンの顔、
除隊後初めて
心と身体が一致した感じしませんでした?
目かな?眉間かな?ここまでずっと何だか
力がどっかに抜けてる?
ズレてる気がしてたから。
日本語歌詞と韓国語歌詞
すごーく違います。
世界観の違うそれぞれ
二つの別の歌を作ってくれたみたい。
ユチョンの心の時間差や
それぞれの立場の人への心や
いろんな心の面を持ってるんだなと感じる。
僕に与えられたこの時間って
何度も言ってる最後の時間かな。
最後の時間についてはもう少し考えたくて
また別のブログにいつか書きたいです。
最後って言わないでってよく見かけるけど
私ちょっと違う印象なので。
でも、どっちも愛だなぁと思う。
そんな気持ちを込めてリブログ^ - ^💕
*
あと、ここ数日、
みんなが心を乱されてた?と聞いた
ブログについて、ちょっとだけ感想。
(批判だよ〜😈)
ブロガーさん、
あるファンに責められたんですよ。
だから仲間の前で
そのファンに議論で勝ち拍手喝采を浴びて
自分の心の囚われから
楽になりたいのが本音かと。
その個人ファンへの恨みからだから
勝ったと思うまで永遠に
ユチョンをダシに使い続けるよ。
ファンも責め続ける。まあ八つ当たり…
ユチョンにはユチョンの人生があるし
ファンにはファンの生き方がある。
なぜ一心同体と思うのか
わからないけど
評価は外が決めるから、それは自由かな。
そして私にも
評価を一致させない自由がある。
でも
その人の心が静かになるまで
実際は無期限実刑。
許されないことは既に罰でしょう。
一生背負った社会活動制限も罰でしょう。
さらに無期限謹慎したら
罪と罰のバランスが取れると言われても。
社会裁判官、何人いるのかな。
社会が許すのは彼を忘れた頃。
記憶があいまいになって
人の感情が怒りで揺れなくなったら。
それがいつかはわからない。
刑期明けを告げる人もいない。
結局
時間が経ってどう思われるかが全てで
それを短くできないかと頭で考えても
そんなに都合よくはいかない。
うまく復帰できた先人の例は
誠意を重ねたからと後から説明されるけど
本当に偶然起こったことであって
再現性のある法則とは言えない。
それから、忘れがちな視点だけど
仮に事実が書き替わっても同じ。
オセロみたいにひっくり返ると
思う方いらっしゃるけど
真実が世論を変えるのも偶然だから。
人の心は点数制じゃないし
このくらいの時間経ったからOKって
機械的に時間を区切ってくれないから。
それを真似するだけが正解なのかな。
真似もしないで言うなと言われるかもな。
ファンの私はこんなことを思う。
ユチョンは当事者だから
もっと違うことを思ってるだろう。
でも私もファンっていう当事者。
当事者だから贔屓する。エゴです。
正論や一般論は言わないです。
ユチョン以外で
私が同じことするとは限らないから。
ユチョン限定。
あ、それで思い出した
ファンの仲間の方々に伝えたいこと。
正論や一般論はやめた方がいいですよ。
言い方がキツかったらすみません。
ユチョン以外まで取り込んできて
理論武装しなくても大丈夫と言いたくて。
ユチョンをトピックスにして
社会の正義を謳わなくてもいいよね?
ユチョンは愛情の対象だけど
議題にして社会活動するのは
本当にやりたいことなんでしょうか。
社会活動は社会活動。
推し活は推し活。
他人にもそれを適用してない人は
矛盾してるから
周りはすぐわかり、信用しなくなってます。
いつもエゴでいいじゃないですか。
正誤はともかく、信用してもらえます。
ファンは正しさいるんかね?
心だけ素直なお馬鹿さんの姿でも
いいじゃないですか🍀
ユチョンを誇るのは
ユチョンの条件をずらずら挙げなくても
自分や他の誰かと比較して語らなくても
とにかくいいんだから^ ^💕←これよな