毎日、幸せそうな彼女には、やはり 心から 大好きなパートナーがいる。


彼に出会うまでは、彼女は 自分のことがわかっていなかった という。


彼の 自分に対する接し方に 素直に 応じていくうちに、「私って、こんな人だったんだ・・・」と


少し、びっくりしたらしい。


大人で、少し皮肉に人を分析したりして、まあまあ賢いつもりもあったつもりが、


実は、幼いし、ホント、ばかで、臆病者で、とても自立なんてしていないという事実。


少し前まで 批判の対象である女性像として、嫌っていたはずなのに、


まさかの自分が、まさに それで、そんな自分を大事にしてくれる男性がいるとは。


彼の彼女への扱いは、「そうじゃないのに!」って、突っぱねる心を 柔らかにし、


「こんな 私だけど、いいよね、ずーっと、よろしくね」なんて 思いがけない心境に達し


肩の力を抜いて、物事をいとおしむことができるようになったとか。


とにかく、彼の回りを 子猫の様にくるくるまわっている自分が とっても 好きなんだって。



彼女は ただただ 毎日を 心から 楽しんでいるように見える。


特別なことなど無い毎日だが、なんだか 毎日が特別のものの様に 心から感じいっているかのごとく

過ごしている。


そう、キッチンに立っている時、食事している時、買い物へと、歩く道、

いちいち 何かに 感じ入っているように 見える。


そういえば、職場の友人に 「今、遠くにいってたよ」 なんて からかわれるのだとか。


その 心境を聞いてみると、とにかく 目に見えるもの、自分が関われる物事などが

とても愛おしく、その場にいることが、心地よくて たまらないのだとか。


そんなこと言われても・・・ 理解できる人 いるのかな。


満たされているから、気負いがない。

気負いがないから、ナチュラルで 美しい・・・


今のところ、わたしの分析は こんなところである。

彼女は 特別目立つわけではない。

いたって、フツーの主婦なのだ。

だから、キャリアウーマンみたいなカッコ良さはないし、

着ているものだって、きどったものなど身につけていない。


ただ、いつも彼女のいる風景にとけこんで、

日常のシーン、シーンをとても大事に思っている様な、

なんだか オシャレに見えてしまう格好をしていると思う。


キッチンに立ったり、リビングでくつろいだりのごくフツーの日常が、

清潔で楽しそうだし、やっぱり リラックス感があった方が、みんなの心も落ち着く気がする。


女友達とお茶するときは、気負いはないけれど、彼女の雰囲気ならではの

女性らしいものを身に着けている気がする。

すっごくシンプルだけど、少し見える鎖骨や、足が美しく

生活感を遠ざけてくれるのだ。


よく、美意識が高くて、スタイルも良い50代や60代の女性が侵す ひけらかし的ものがないのが、心地よい。


スタイルがよいからと、ノースリーブのブラウスをつけたりしてる自信家の女性には うんざりしてしまう。

いくら、スマートでも、何か痛々しい皮膚の感じは ごまかせていない。

少しだけ、隠してあげた方が より、スマートで美しく見えるのに   引き算ができない人種なのか。


程よく 隠して 興味をそそってくれる彼女は、わたしの好みにぴったりな 調和のとれた女性である。

私には、大好きな友人がいる。

同性、つまり 女性なんだけど、ずーっと、憧れつづけている。


40代も半ばの彼女だが、スレンダーで、かといって、ギスギスもしていず、

なぜか、触れると、ぽわん と しているのだ。


肌は、もともと白いのだろうが、薄くのばしているファンデーションからのぞく素肌は、

清潔感があって、見ていて気持ちがよい。

メイクも、作りこむ感じはないのだが、彼女の透明感をいかした 瑞々しさを感じるメイクなのだ。


なんだろう、こういうタイプ 他に 見たことがない。


なにか、世間でよく言う、「おばさん」 とか 「アラフォー」 とか 良くも悪くも

くくりやすい人たちとは、違って、自分の「今ある姿」を 自然に美しくとどめている人とでもいうのかな。


彼女をみていると、ほんのりと香る色香は、50になっても、60になっても、

その頃にふさわしい 優しい旋律で 人生に彩を与え続けるであろう  と、 

憧れは 増すばかりでいる。

わたくしの大好きな友人は、ネットワークビジネスに邁進している。

ネットワークといえば、偏見のある人もいまだに多いが、わたくしは、それぞれのブランドの姿勢に問題なければ、非常に社会貢献度の高いビジネスだと思っている。


友人が、所属するブランドは、まさに世界に貢献できる素晴らしいブランドで、

今後の展望もすこぶる明るい。

ビジネスに精通している人間ならば、非常に注目しているブランドなのだ。


まさに、彼女にぴったり。

彼女といえば、華やかで、知性があり、なんといっても 外交的。

話すの大好きだし、友好的で、カリスマ的要素があるのだ。


その上、な、な、なんと「心がきれい」なのだ。

彼女を慕う人は、全国に散らばっている。


そんな彼女は、私と一緒に仕事をしたい、と 熱心に誘い続けている。

ありがたいことに、わたくしのことを 大好きだという。


ありがたいな~ わたくしも彼女のことが、大好き。

彼女のさらなる成功と、幸せを心から願っている。


なのに、なのに、心が動かない。

つまらない女と思われるかしら・・・

わたくしって、家事LOVEな女なのです。

の~んびり過ごすって、とおぉっても気持ちいい。


仕事から帰宅して、お夕飯をつくるまで、お昼寝したり、本を読んだり、たまにストレッチしたり。


ただただ気分にまかせて ごろごろしてる。


お休みの日には 大好きなお友達のおうちで、おいしいスイーツを食べながら おしゃべりしてる。


ずーっと、ずーっと わらいっぱなし。


幸せをいっぱい感じる。愛情もいっぱい感じる。


ゆっくり 毎日を楽しむだけ。


みんなの幸せを願ったり、平和であることに感謝したり


人の優しさを感じたり  


こんな 受け身な時間も悪くない。

赤ちゃんかえりの時間、十分にとってみましたか?

心を落ち着けて、静かな時間をとってみること、赤ちゃんのように自分の欲求を素直にぶつけてみること・・・

人の目を気にしないこと、頑張ったりしないこと・・・

こ~んな楽な時間を もってみましょう。


誰かと比べなくても、何を身につけなくても、

確かに 誰とも違う自分だけの個性が 備わっていますよね。


特異なことも、好きなことも 赤ちゃんの時から備わっているなんて、なんて素敵なこと!


やりたいままにチャレンジを楽しむ幼少期は、なんて魅力的だったでしょう!


苦手なことや、不足のことに意識をむけることは止めて


あなたがやれば、うまくいくこと、

あなたがやって、心がおどることを 十分に楽しみませんか。


もう一度、楽しい幼少期を取り戻しましょう。


その延長に あなたにぴったりの成長期がおとずれることを期待して・・・。

ほんの少しでもいい・・・ 身に着けていた鎧をはずすことは できましたか。

とーっても、意外かもしれないですけど、

あなたが 鎧をはずす時を 待っている人がいてくれたりします。

これ、ホントに意外です。


でも、考えてみたら、そうですよね。

私だって、弱いところを見せてくれた人には、

なぜだか、かえって、人として信用できてしまったり、愛おしさがわいたりしますものね、

その逆も然り、と いうことでしょうか。


弱さを見せてくれた人っていうのは、「人の弱さも受け入れることができる」ということを

無言でアピールできているってことですよ。


無理をしない自分を 受け入れてくれる世界へ 生まれ出てみましょうよ。


そこには、愛が 感じられます。

焦らないで、しばらくそこに居座って、赤ちゃん時代をやり直すことがお勧めです。



誰かを喜ばせるための人生、自分ではない誰かを生きることを 手放して

自然に自分の内側から生まれてくる 願望に耳をすまして、

ああ、私って、こんなことが好きなんだ、こんな環境が落ち着くんだ・・・って、

自分に理解を示してあげては いかがでしょうか。


小さな願望でも、いとおしく思ってあげて、

自分の心を安心で 満たしてみては。


誰かを喜ばせることもしない変わりに、誰かに喜ばせてもらうことも期待しない。

自分で、自分をいとおしく思ってあげること。

少し、練習が必要だけれど、そのうち 自己愛が大きくなってくる。


生まれ変われるのは、その後かな・・・

生まれたての赤ちゃんみたいに、素直に自分の欲求を表すことができる様になる。


人の顔色なんて、気にしない

赤ちゃんがえりが 始まるかもね。


前回のブログで、体質改善できたことを つづってみましたが、

日々、こうした嬉しい変化を味わうようになれたのは、

まず、「プチ生まれ変わり」なるきっかけを もらってからだ。


幼少期、思春期を過ごした家庭環境のトラウマに縛られて

もがき続けても 抜け出せなかった 長いトンネル


自分の欲求は 全てが愛情不足からくるもので、 誰かに褒められたい、

誰かに評価されたい、誰かに好かれたい・・・

全てが、誰かの評価のためのものだった


世の中のいろんな人の顔色を窺ってみても、

さまざまな反応をしめされて、自分をなくして、振り回されているだけなのにね。


まずは、見極めなくちゃ、ね。

自分の本当の欲求なのか、誰かを喜ばせるための行動なのか

自分以外の人の人生を生きようとしていないか


まずは、人の評価は、おいといて

自分が、自分を「これでいい、このままで十分」と認める練習をしてみよう。