一番冷静なのは母だった
主治医は
淡々とこわいことを
普通の口調で
話してくれた
主治医と研修医と看護師が
母の個室に来た
まず
再発が早かったこと
それは良くないこと
すぐに入院してもらって
使った薬のこと
調べましたか?
と、聞かれたが
難しくてわからないので…
と、答えた
だから
今使われている薬は
よくわからない
とにかく
その薬は効かなかった
白血球の数は500
その55%が
白血病細胞
それが
毎日毎日増えていったそうなのだ
だから
その時点で
母の命はかなり厳しく
私たちにも
厳しい話をする予定だったらしい
母の白血病は珍しいタイプ
さらには
フィラデルフィア遺伝子が陽性で
予後は良くないと聞かされていた
よって
規定の抗がん剤治療が終わっても
寛解しなかった
そこで
フィラデルフィア遺伝子に
働きかける薬を
月曜日から
試してみたらしい
その結果
今朝の血液検査で
毎日増えていた悪いものが
減る兆しをみせたとのことだった
また
母の命の火が
ともりだしたのだ
だがそれは
治すためのものではない
一時的に
進行を遅くするだけ
だから
やがて母の命の火は
消えていく
というのだ
また
この病気で亡くなるのか
または出血で亡くなるのか
または
いい菌が
普通の人の100番の1しかない
母の身体は
いつ
ウィルスにやられるかもしれない
そんな状態
そして
延命処置
人工呼吸器をつけても良くならないこと
心臓マッサージは肋骨が折れること
それをしても
生きられないこと
そんな話を
淡々と話してくれた
それを
表情一つ変えず
聞いている母の前で
涙を流すことはできないと思って
我慢して我慢して我慢していたが
一緒に行った妹が
泣いている顔を見た途端
いっきに涙が溢れ出し
止めることが出来なかった
本当に本当に
もうダメなんだ
何か不明な点ありますか
と聞かれても
頭に何も浮かばない
言葉を発したら
嗚咽になりそうで
何も言えない
頭の中いっぱいですよね
と言われて
頷くのが精一杯
その後特別に
30分一緒にいることが出来た
母は
驚くほど落ち着いていると言った
本当なのだろうか
今後やりたいこと
食べたいもの
お金のこと
父と認知症の母の妹には
伝えないこと
そんな話をして
帰った
これから自分が
どうしたらいいのかわからない
今出来ることを
淡々とやるしかないのだろうが
仕事を始めるわけにもいかない
まずは
自分の頭の中の整理整頓が必要だ
その日
突然
母の妹が母に会いに家にきた
入院したことを知らなかったのだ
虫の知らせなのだろうか
父が散歩の途中
また
顔から転び
近所の方に助けていただいた
顔から血が出て
腫れているらしい
今後のことを考えると
溜息しか出てこない
自分の生活が狂い出すのは
突然だ
老いは誰にもやってくる
死も誰にもやってくる
それらとひとつひとつ向き合いながら
自分の生活もしっかりと続けていく
私には
何が出来るのだろうか
心の準備ができない
母の主治医の話を聞くために
帰省の途についている
延命治療をすることで
あと1年は大丈夫かと思っていたが
妹によると
良くないらしい
抗がん剤が効いていない
あと2ヶ月かなぁ
なんて
母の差し入れに行った時に
言っていたらしい
そんなの聞いてないよ!
だめだよ!
どうして
どうして
一番元気で
祖父母たちの中で
一番若い母が
先に逝かせられるの?
なんで?
なんで?
納得いかないよ
まだまだやりたいこと
いっぱいあるんだよ
まだまだ相談したいこと
いっぱいあるんだよ
まだまだ
支えてほしいこと
いっぱいあるんだよ
逝かないでよ
心の準備ができないよ
スカイツリーに
雨が降ってる
松田聖子さんの曲を聴いて
なんとか心を
保っている
世の中の人は
皆
この別れを乗り越えているんだよね
越えられるのかなぁ
明日
担当医に
何を聞かされるんだろう
覚悟なんて
できない
松田聖子さん
私は松田聖子さん世代だ
彼女のデビューの瞬間を
たまたまテレビで拝見し
それから大ファンになった
青春時代を思い出すと
必ず彼女の曲が
流れ出す
と同時に
切ない青春時代が
蘇る
昭和の家庭によくあるように
自由にテレビを見ることはできなかった
父がいる時は
チャンネル権は
父のものだ
でも
父は仕事が忙しく
ほとんど単身赴任でいなかった
それでも
自由に見たい番組を
見ることは出来なかった
母は
自由奔放に生きる
(と、週刊誌に書かれていた)
松田聖子さんが
好きではなかったようだ
私が歌を聴いていると
批判的な事を言ってきた
だから
堂々と家の中で
彼女の曲を聞いたり
番組を見たりすることが
出来なかった
その頃から
自分の好きなものを
好きということが
出来なくなった
今でも母の前では
彼女の話題をすることに
抵抗がある
自分の子には
こんな思いをさせたくないと思い
子供の好きなものの
批判は絶対にしなかった
大人になり
自由に使える
時間とお金ができた時
彼女のコンサートに行った
彼女を目の前にし
青春の歌の数々が
目の前で披露され
夢のような世界だった
それから何度か
一人で行った
去年の暮れに
悲しい出来事があった
辛くて
彼女の歌う姿を見る自信がなかったが
追加公演のお知らせが来て
やはり行くことにした
彼女の姿を見た途端
涙が溢れた
彼女の歌う力に
涙が止まらなかった
ネットニュースで知っていたが
沙也加さんの曲が流れ
力強く歌う聖子さん
その後
涙を流す聖子さん
どんなにかお辛かっただろう
それでも歌い続け
私たちに力を与えて下さった
母のことや
色々なことで
情緒不安定な私の涙が
止まらなかった
往年の曲が流れる頃には
コンサートを心から楽しめるくらいの
精神状態に戻れた
還暦を話題にされていたが
そのパワーには驚かされる
歌って踊って楽器を演奏して…
私はこれからも
彼女の歌を聴き
口ずさんでいくだろう
松田聖子さん
私の人生に
なくてはならない存在です