会話はトンチンカン
父のパーキンソン病の病院の
付き添いで
地元に帰った
迎えに行くと
車椅子から車に乗り込むのも
施設の方
二人がかりでやっとだった
脚も力がなくなってきている
病院での会話も…
🧑⚕️「便は出てますか?」
父👴「出ませんね」
🧑⚕️「硬いですか?」
父👴「出ないのでわかりません」
🧑⚕️「…」
(施設からは、便秘薬を毎日飲んでいても
排便は4〜5日1回で
浣腸を使うこともあると聞いている)
🧑⚕️「おしっこはどうですか?
1日に何回くらい出ますか?」
父👴「出ません。1週間に1回かな」
🧑⚕️「え?」
(妹から、おむつの減りが早くて
買い出しに行ったと聞いている。
尿が出る感覚がないのかもしれない)
こんな調子の診察で
2ヶ月に1度の父との会話は
噛み合わないことが多い
診察が終わり
車を車寄せに移動させるため
玄関付近で父に
車椅子のまま待っているように伝えたが
父は車が見えた途端に
立って待っていようとしたらしく
立ち上がったが
立っていることが出来ず
床に尻もちをついていた
頭を打っていないか
どのように倒れたのか
確認しながら
車椅子に乗せようとしたが
なにせ
足に力が入らないから
なかなか起き上がれない
父は小柄で痩せ細ったとはいえ
立たせることは難しい
なんとか車椅子に乗せ
そして車に乗せ
施設に戻った
外は雪になっていた
大雪警報が当たった
ショックを受けていることに気づかない⁈
年末から新年にかけて
そして今も
著名人の方々の訃報が続くなか
私がブログの更新を楽しみにしていた方々の
訃報も相次いだ
その中で
楽しみに読んでいた方の
お母様が亡くなった
それは
突然のように感じた
ご本人にとっては
もっと突然にお感じになったのでは
ないだろうか
その報告に
思わず
え?
と、声が出てしまうくらい驚いた
介護の日々が
突然幕を下ろしたのだ
その日の夜だ
夢の中に母がいて
それは日常のように感じている自分がいて
でも
夢の中で母が亡くなったことに気づき
号泣してしまった
目が覚めた時も
その悲しみに押しつぶされそうな
気持ちは続いていて
声を出して泣いてしまっていた
その次の日の夜には
久しぶりに
目が覚めたら
パニック発作が起きてしまった
あの恐怖感…
恐怖に包み込まれないように
テレビをつけたり
携帯で動画見たり
何とか自分を取り戻した
その次の日は
目が覚めると眩暈がしていた
突然起こるこの不調
理由はいつもわからない
割と失意のどん底にいるときより
比較的穏やかな日々に起こることがある
何なんだろうな、これ
訃報にショックを受けていたのかな
疲れに引き金を引かれたのかな
ま、毎度毎度
よくわからないんだけどね
天気のせいもあるだろうし
季節の変わり目
とか
都会は大雪警報だってさ
父の病院の付き添いで
地元に帰ってきて
その帰りの時間に
雪の中
帰らなければならない〜
降る降ると言って
降らない時もあるからな
大雪になりませんように…
もう、2月!?
おそらく
ほとんどの方が思っていらっしゃるのでは
ないでしょうか?
震災から始まり
人災も起き
おめでたいムードから
悲しいニュースが流れ
今
あれから1ヶ月が経ちました
というニュースに
追いかけられている
能登地震のニュースは
自分が被災者の頃を思い出すので
なるべく避ける
日航機のニュースは
ペットが
あの炎の中
苦しんで亡くなったのかと思うと
とても見ることができない
これに関しては
たくさんの議論がなされていたようだが
どちらも正論で
解決方などないだろう
そんなこんなで
毎日を必死に過ごしていたら
2月になっていた
息子は頑張って
面接、実習と行っているが
なかなかうまくマッチしない
この先の自分の未来は見えない
父の症状は悪くなり
身体障害者手帳を申請したところ
2級に相当とのこと
時々
妹たちが連れ出して
美味しいものを食べに行ったり
お墓参りに連れて行ったりしてくれている
ありがたい
食欲はあり
会話で相手をイラッとさせることを
言うのも
相変わらずだそうだ
父の母
私の祖母は90過ぎまで生きた
父も大病をしても難病に罹っても
まだまだ
頑張れるのかも
いよいよ花粉のシーズン到来
私のこの状況も
いつまで続くのかなぁ