華々しく開会された北京オリンピック。今日水泳の北島選手が金メダルを取った。彼の言動を見ていて、心の中に「何を言われようと自分のことは自分しか分からないという魂」を心の中が見た。たぶん金メダルは通過点と思っていたはずだ。だが、実際優勝してみると感極まる涙があった。日本人ではない世界人を彼の姿から見えた。帰宅して夜のニュース番組を見ていた。オリンピックという派手な一面の中、厳しい現実をカメラは写しだしレポーターはその中国を何も考えずに簡単に批判している。テレビはその肉声を何の疑いもなく生放映しているのを見て悲しくなった。東京オリンピックの時、私は17才の高校2年生だった。閉会式の日に国立競技場に行って世界中の選手に手に持っていた物。あるいは着ている物も含めて何でもいいから「プレゼント」して下さいと声をかけていたことを思い出した。スポーツ青年だった私がいつか俺もと夢見ていたときだった。貧しかった。厳しかったのだそのときの日本は。首都高速道路ができたからと毎日のようにテレビで高速道路開通を放映していたこともあった。羽田空港へのモノレール開通。新幹線もそうだすべてがオリンピックを通じて日本経済が大きくなったし今の日本経済の原点がそこにあったように思う。中国だってそうだ、一生懸命躍動し経済発展を試みようとしている必死の姿が見えて来るではないか。日本の過去の貧困を分かろうともしないで人の国の批判ばかりしている日本の社会は間違いなく世界から取り残される。発展に犠牲がつきものと日本の誰かが言っていたこともあった。私が中東に行って日本はオイルショックで大変なことになると親切に言ってくれた中東の大臣の話を日本に帰国し伝えたこともあった。日本の偉い人はこういった「君ね、日本人はそんなバカじゃない」「オイルショックなんて起こるわけがない」と言ってのけた国会議員がいた。その言葉を聞いてすぐさま日本を離れた。日本を離れて数週間後に日本人がトイレットペパーを買いだめしている姿がそこにあった。ざま~みろっていう気持ちだったねそのときは。
外国人とつきあうことが下手な日本人。偏見を思い切って放映する無責任なマスコミ社会。それより日本固有の領土として、教科書問題にもなっている竹島は誰がなんと言っても日本のもであると声を高く言う人がいない。ある人は静観するという。静観して何ができる。国際人になれない日本人の姿がそこにある。これがお隣、韓国だったら日本大使館にデモでもして日本の国旗や焼くということをアピールするだろう。日本人だってそんなアピールがあってもいい。それをしたからといって国民同士がおかしくなることはない。韓国人は私にとってもすばらしい国民だと思うし、大好きな国民でもある。しかし、自分の気持ちとしてはっきり態度を示すことによってお互いより理解が深まることも国際人に必要なことだ。米国だってそのうち中国が東洋の中で中心的役割を気づいてくるだろう。それまでは日本は米国にとって大切なパートナーと言い続ける。米国人を知っているからそんなことをはっきり言える。すばらしいコミュニケーションは議論から始まる。すばらしい人間になるために大いに議論してみたいものだ。気なったことをそのまま・・・・