復帰後、2回目の日記です。
カラオケの話題、持病の話題、はたまた全く別の話題、どれにしようか悩みましたが、やはり前者2つにしようと思います。
ただ、コロナ禍以来、私はあらゆるカラオケ関係のSNS、インターネット、はたまた現実のカラオケ大会の世界から、すっかり遠ざかっています。
したがいまして、これから記すことは、浦島太郎のたわごととお考え下さい(^o^)
…間違いや、主観的なことも、あるかもしれません(笑)
音楽の世界に戻りたいと思ってから、ネットなどを検索し、気付いたことがいくつか(笑)
まずは、私が初めてボイストレーニング教室に通った2010年あたり。
私は他にも新たに、良い先生に出会い、いつのまにか通学を止めてしまいました。
現在その教室は全国チェーン展開し、一大スクールに。
ビジネス的には大成功しているもよう。
校長先生の、宣伝力と、ビジネスセンス、人脈、嗅覚はかなりあります。
これは、とても喜ばしいことです。
初心者が通うには、良いスクールだと思います。
上記のスクールで私の担当講師だった方について。
スクールからは独立し、様々な音楽活動やNPOを為さっているよう。
なかでも、独自のボイストレーニング理論を展開し、その内容は、さながら職人レベル!
正確な音程、リズム、肉体改善。
後に、私が目指した歌唱とは若干異なるものですが、それはそれでアリだと思っています。
独立時には、校長先生と、意見の食い違いがあったよう…。
担当講師はとても純粋な方だったからなあ。
ある意味、バカ正直な私と性格似てる(^_^;)
これからも、独自路線で、自由なところで、ノビノビと頑張ってほしいです…。
あ、校長先生も、ある意味純粋な方です。誤解なく。
上記のスクールの次に師事した大先生について。
この方については、このブログに何度も暗に名前をボカシて登場しています。
だから、気づいていた読者さんも、多かったのではないかしら(^_^;)
…鈴木康志先生でした…
ご存じ、DAM★ともの歌唱検定、カラオケ世界大会、東京カラオケグランプリ、シンガーズカップなとの審査員をなさっていた方です。
ビーイングなどで、大スターたちを育てあげたプロデューサーでもあります。
その先生が、昨年5月、心疾患で急逝されました。
私はカラオケの世界から、本当に離れてしまっていたため、リアルタイムでは全く知らず…。
訃報を知ったのは、2ヶ月半後、偶然でした。
すごいショックでした…。
それと同時に「やっぱり…」とも感じた…。
なぜなら、先生は、私と同じCOPDだったと思うんです(別の音楽関係者も同感だったそう)
常に咳をし、呼吸が乱れぎみだった。
大先生だったからこそ、COPDでも歌えてしまっていたし、事務所に泊まりっぱなしという、めちゃくちゃな生活もなんのその。
ご本人も危機感が薄かったと思います…。
私は何回か青汁やサプリなどをプレゼントし、できればタバコ止めてほしいな、と言いましたが…。
他人の私には何も強制できませんでした。
それは本当に無念です。
COPDは、心疾患や血液疾患にも強い関係がある病気です。
単なる呼吸器の病気じゃないんです(泣)
単なる歌が下手になる病気じゃないんです(泣)
何度も言いますが本当に無念です。
事務所にメールを入れた後、それ以上はコトバに1本なりませんでした…。
いまでも、なっていません。
「歌で1番大切なものは表現」
「心に響くか」
私の現在の歌唱法と歌の理念に、
最も基礎に近いものを構築して下さった方。
すごく感謝してます。
御冥福を祈ります…。
最後に。
コロナ禍中でも、カラオケ大会の知人や顔見知りに、プロデビューしてる方が沢山いらしたこと。
これは喜ばしいこと!
おめでとうございます!
…でもあるし、むにゃむにゃ省略(^_^;)
そろそろ誌面がいっぱいなので、続きはまた!
今朝の東京は、恵みの雨が降っています。