最近の傾向として
ブログ記事をいったん書き上げては
その後にさらなる気づきがある
があります。
昨日の夕方に書き上げた
こちらのブログ記事についても
その後も考え続けていたら
結論はそこではなかったよ
なことが。
昨日の記事で
私が気にしていたのは
年齢だった
と
結論付けたのだけれども
それは、かなりの
早とちり案件でした
私が本当に気にしていたのは
子どものように見られたくない
幼く見られたくない
若く見られたくない
でした
子どものように見られたくない
幼く見られたくない
若く見られたくない
過去そう思っていて
執着していたことにも気づいていたけれど
私が思っていたよりもはるかに
モリモリ根深かったんだなー。。。
今となっては
信じてもらえないかもしれないけれど
中学生の時は、高校生に
高校生の時は、大学生に
大学生の時は、社会人に
実年齢よりも
少し年上に見られていた私。
20歳過ぎてから
いつの間にか
実年齢よりも年下に
見られることが多くなりました。
今でも20代後半に見られたりします
アンチエイジング という言葉も
耳慣れた現代において
若く見られる というのは
時と場合によって
嬉しいことでもあるのだと思います。
でも、
私にとって それらの言葉は
あまり嬉しい表現ではなかった。
私にとって
子どものように見られる
幼く見られる
若く見られる
は、むしろ
マイナスイメージしかなく
社会的に不利になるもの。
妖精みたい、とか
非現実的、とか
絵本の世界の住人みたい、とかも
"嬉しい♡"と思う気持ち反面、
おんなじように思っていた節があったなぁ…。。。
そんな人は
信頼してもらいづらい
任せてもらいづらい
ビジネスではマイナス
そんなイメージを持っていた。
完全に私の思い込みが作り出した
全く因果関係のないゆうこみんオリジナル自爆公式です
"若く見られる=信頼されない"とかね!(おバカさん)
だから、私は長いこと
無意識のうちで
そんな私の質を嫌っていた。
↑
これは、完全に
社会に私を寄せようとしていた人の
頭の使い方。
自然な姿は
私に世界を寄せる生き方。
世界観先生の名が本当に廃る…。。。
私と、私の世界、本当にごめんね
それでも、おススメ。
いつかのフルーツタルト♡
実年齢よりも年下に見られるのは
外見的要素も多く関係しているけれど
実際問題
私の資質自体に
そういうものが含まれている。
例えば、
本気で無邪気なところ、とか。
素直さ、とか。
だからこそ、
愛されている現実
があったり
信頼されている現実
もあるのだけれども
私の中では
子どものように見られる
幼く見られる
若く見られる
は
100%マイナスイメージ
しかなかったから
心底毛嫌いしていた。
それはそれは
恐ろしいほどに
社会の常識に合わせて
無自覚無意識のうちに
盛大に私を嫌っていた。
これを、"我"と言います。
ありのままの私は、我がない私だよ♡
だから、自分軸とワガママの生き方は180度違う。
先日、
こちらのブログ記事で書いていた
最近明確に自覚した
私が私を嫌っていた部分でもあります。
https://ameblo.jp/yuko-min-d/entry-12603484115.html
もうだいぶ
手放していたと思っていたけれど
まだ、しつこく私の中に
私の"子どものような"資質を
嫌う部分が残っていたんだなぁ…。。。
それではそんな資質達を
満足に活かせていなくて 至極当然。
どこまでも
どこまでも
私の宿命を100%愛して
の
私の拓かれる運命
だもの
以前は、この後ろ姿も大っ嫌いでした。
なにせ、自分の骨格が嫌いだったから。
でも、これが、私。この姿で生まれてきた私。
この姿形が一生の私の魂の乗り物。
そして、祖先からいただいてきたもの。
大事にしなくちゃ、バチが当たっても当然ですよね。
今生、私は、この後ろ姿で魅せていくのです。
自分の世界観も資質も
言葉で知っていたとしても
私が
それらを愛し信頼し
OKにしなければ
それこそ、宝の持ち腐れ。
そして、私の場合。
私は、私が持つ
"子どものような質"
"非現実的な質"
を盛大に嫌っていたから
もう長いこと
理性で本能を押し込めようとする
"ちゃんとしなきゃお化け"
でもあったんだなぁ…
私は
私という人間は
私の本能を自由に解放してしまったら
(自由気ままに振る舞う子どものように ←)
ロクなことしかしでかさない人間だ。
= 非常識人間になる。
と いつの間にか
本気で思い込んでいた。
意識の上では そんなことを
思っていたつもりなんて
さらさらないのだけれども
無自覚無意識で
そう心底思い込んでいた。
思い込みや誤認とは、そういうもの。
そして、子ども達に対しても心底失礼。。。
だから、
本能で生きろ!
と
言われても
言われても
言われても
自分の本能を信頼出来ずに
理性の手綱を外すことが
ずーーーっと出来ずにいたんだな。
素直に納得。
と、同時に、私はずーーーっと
世界に私を合わせた生き方ではなく
私に世界を寄せる生き方がしたかったのにね。
私に世界を寄せる生き方
=私らしさ100%な生き方
どんな人も、それぞれ完全オリジナルな唯一無二の存在。
だから、私らしさ100%で生きたら
"一般常識"からしたら
非常識な人と捉えられてもしょうがない。
でも、その
"一般常識"からしたら"非常識"な姿が、
本来の自然な私達の姿。
だから、だから。
"一般常識"という見えない鎖から
私を、あなたを、全開に解き放とう♡♡♡
あえて、
ここで言い訳をするならば、
私としては
もうずいぶん前に
その手綱を外していたつもりだった。
でも、
もう長いこと
私の中で思い込んできた幻想。
無自覚無意識のところで
私はしっかりその手綱を
離せず握りしめていたみたい。
心の奥底、深いところで
私は、私自身のことを
私らしく生きたら
ロクな奴にならない
と
ずーーーっと
ずーーーっと
思って生きてきた。
悲しいね。
本当にごめんね、私。
いつかのピアノの発表会。
あぁ。
今、冷静に思い返せば
私は本当にそう思っていた。
自分のことを
ダメ人間認定していたのは
だいぶ前から知っていたけれど、
まさかここまで酷かった
という認識を
ちゃんと言葉に出来たのは
ここ1か月くらい。
私の自己認識の甘さが
今までの私の世界を創造していた。
だからこそ、
まだ誤認をしている時は
24時間隅々まで
私の世界観、資質を意識し
丁寧に検証していくことが
必要不可欠なんだな
そこに、
希望はいくらでもある。
今回の件を
大まかに括れば
よく言葉としても耳にする
"人の目を気にしていた"。
自分スタートではなく
自分以外スタートだった私。
自分軸ではなく
他人軸だった私。
結局
行き着くところは
いつだって自分スタート。
そして、
"なぜ、人の目を気にしてしまうのか?"
の根本的原因は人それぞれ。
だからこそ、
"私は人の目を気にしちゃうんだな…"
で終わるのではなく、
丁寧に
"それは、なぜ?"
をご自身に問うてみて欲しいな。
そして、
出て来た答えに対して
"それは、本当?"
を問うてみて欲しいな。
前回の記事に絡めれば
私達の偏見のコレクションに対し
疑いの目を持つことが出来た時初めて
私達は歪みのないまっすぐな眼(マナコ)で
世界を見られるようになります。
私の答えは
私の中にあり、
私の中にしかない。
あなたの答えは
あなたの中にあり、
あなたの中にしかない。
プロに頼るのも最善の一手です♡
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諦めずに
丁寧に私を抱き締めよう♡
丁寧に私と会話しよう♡
そのまっすぐな姿勢は
私から私への
最上級の愛のプレゼントです。
ご自身の資質を知りたい方は
こちら もおススメです♡♡♡
最近は恥さらし記事が多かったから
次は世界観や資質を活かしたら
どう現実が変わったのか?
について書きましょう♡♡♡
愛を込めて
ゆうこみん♡


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