5月に入り
怒涛のように映画観賞していたのは
大河ドラマ 花燃ゆ を
観終わったことも関係していて。
今は篤姫を鑑賞中につき
映画鑑賞のペースも落ちました◇
花燃ゆは
何度目かの鑑賞。
ドラマの中では
長州藩の政(まつりごと)の様子も
欠かせないストーリーの1つ。
その中でも今回
特に印象深かったのは
昨日まで牢獄に居た元家臣が
数日後にはお殿様の側近となり
逆に
数日前まではお殿様の側近だった家臣が
数日後には罪人となり投獄されていた
という
目まぐるしく
人ひとりの立場が変化していくところ。
そんなことが
人ひとりの人生の中で
何度も何度も起こり得ること。
確かに、
そんな時代であれば
『しくじった!』と思っても
再起を虎視眈々と狙って
野心を燃やし
そして
それを現実にすることも
不思議ではなかったのだろうな…
とも思う。
執行社長も言っていたなー
社長が子どもの頃は
悪いことをしても
殴られたらそれで終わりだった、と。
きっと 子どもながらに
殴られた=責任を取った
ということだったのだよね。
そう思うと昔の方が
チャレンジしやすい
環境でもあったということだよね。
現代のような
失敗=人生の終わり
という気風は少なかったのだろうな。
理性をもてはやし
ルールを細かく決めたことで
私達は、私達自身の首を
締めにかかってる。
[失敗]に関しても
私の固定観念が
良い感じに崩れ始めていて
もうあと一歩なところ。
その一歩は私次第だということも理解しています。
必要なのは素直さだけ。
武士の切腹とは
お家やり直しのために
存在していたもの。
お家断絶が決まれば
切腹すらさせてもらえず
斬首になる。
[死を持って]というと
現代では残酷さを
感じるところもあるかもしれないけれど
死を持って
これまでの責任を取れたから
武士の時代には
失敗してもやり直せる
懐の広さと柔軟性があった。
現代人も同じ。
私も同じ。
あなたも同じ。
あの人も同じ。
ちゃんと切腹すれば
=ちゃんと自己責任を取れば
いくらでもやり直せるし
やり直して良い。
花燃ゆ。
今回は椋梨藤太さんや
大老 井伊直弼が気になる存在でした。
武士とは
1つのものに命を賭け生きる存在。
自分の中の正義を振りかざせば
いとも簡単に彼らは悪者にもなるけれど
彼らは彼らの武士道を貫いた存在。
たった1つの信じるもの。
それがある人は強く気高く魅力的。
歴史は
人としての在り方・生き方を
語りかけてくれますね。




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