世界観episode85~(総括)今までの私とこれからの私(HSP新章⑦)

 

 

  前回は

  新しい人生を歩むため、

  私は自分の辛い過去に

  向き合い、

  本当の人生を歩むために

  自分の本当の気持に気付き

  父とのわだかまりを

  解かしたことについて

  お話ししました。

 

   世界観episode84~父との思い出と和解(HSP新章⑥)

  

 

  今回は、

  今までの私の人生の総括を

  お話しします。

 

  25年間勤めた公務員を

  適応障害を発症したことを機に

  自分に向き合い、

  分かったことがあります。

 

  まだ人と比べられることが

  少なかった頃の私は

  自己否定もなく、

  自分大好き!な

  普通の子どもでした。

 

  ただ、

  保育園で

  周りの女の子と比べたときに

  自分の髪型や服装に

  何となく引け目を

  感じるようになりました。

 

  そして園の子となじめず

  一人給食の調理員のおばちゃんと

  話をする、

  そんな子どもでした。

 

  そして、

  ピンクのライオンや

  独自の美意識に裏打ちされた

  お雛様を作るなど、

  大人の既成概念とは

  異なる感性が顔を出すようになります。

 

  ただ、

  この頃は、

  大人からはあまりその点を

  認められなかったので、

  なぜだめなのかわからず

  自分の異質さに戸惑いました。

 

  このころから

  自分は人と違うかも....と

  思い始めました。

 

  小学校に入り、

  勉強が始まったことで

  姉との比較が始まり、

  落ち込むようになりました。

 

  この頃から私の

  劣等感が芽生え、

  優秀でない自分には

  価値がないという感覚が

  確立していったのです。

  

  HSS型HSPは

  観察力が鋭く、

  分析も長けているので

  つい意図せずとも

  比較してしまうのです。

 

  そして、

  そもそも自己肯定感が

  低めであるため、

  落ち込みがちになるという特性を

  持っています。

 

 

  今にして思えば、

  小学校の頃から、

  そんなに人に抗わない

  性格のためか、 

  いじめられるようになりました。

 

  ある一定の団体が

  仲良くなる手段としての

  いじめのターゲットになることが

  多かったのです。

 

  自信が無かった私も

  小学校高学年から

  勉強ができるようになり、

  自信を持つようになりました。

 

  そして、

  中学・高校との間で

  合わない先生に

  ターゲットにされたこともあり、

  成績は乱高下しました。

 

  それを通じて

  自尊心が揺れ動き、

  自罰感とストレス解消から

  拒食・過食・食べ吐きを

  経験しました。

 

  姉との容姿の比較にも苦しみ、

  拒食症や、

  食べ吐きも経験しました。

 

  HSS型HSPは

  感受性が豊かな分、

  美しくない自分を

  受け入れることが

  できなかったのです。

 

  自信を失えば

  自分が本来持っている 

  良さを損なうことに  

  気付くことができなかったのです。

 

  それは、

  プライドは高くても、  

  この点についての自尊感情は

  私は著しく低かったのです。

 

  大学に入り、

  いったんは自尊心が回復し、

  今までに出会わなかった

  相性の良い友達と

  出会うことができ、

  自由な人たちを見て

  新しい世界を知りました。

 

  私の姉への

  学歴コンプレックスですが、

  結局

  姉がアメリカの大学院に留学し、

  アメリカの資格を取ったときまで

  続きました。

 

  どうやっても

  敵うことがないと悟るまで

  続いたのです。

    

  

  勉強にしても、

  就職先にしても

  やはり、

  姉と比べて見劣りがしない所を

  親戚や世間からの

  比較の言葉から

  自分を守るために

  私は選んできました。

 

  もちろん、

  人の役に立つ仕事を

  したいという欲はありましたが。
  

  

  働くようになってからも、

  大人しく見られたり、

  圧が強い人、

  言葉遣いが強い人、

  語調が強い人、

  感情的な人が苦手でした。

 

  このため、

  職場でもマウントを 

  取られる機会が多かったように

  思います。

  泣くこともよくありました。

  仕事をやめて留学しようと

  思ったこともあります。

 

  ですが、

  人事異動に救われ、

  壊れずにすみました。

  その反面、

  自分のことに

  本気で向き合うことはしないで

  すんだのです。

  

  そのツケは

  結局、

  適応障害を発症し、

  退職するということで

  支払いました。

 

  それでも、このツケは

  払う価値のある

  尊いツケでした。

 

  

  HSS型HSPは、

  俯瞰する能力や、

  深く考えることにより

  物事の本質を突くことに

  長けているため、

  業務の改善や工夫をすることが

  得意です。

 

  幸い、

  相性が良い上司や、

  相性の良い同僚にも

  恵まれた時期があったため、

  私の仕事の能力を

  存分に生かすことができました。

 

  そして、

  仕事を通じて

  めったにない体験も

  することができました。

 

 

  定年退職よりも
  早くに辞めることになりましたが、

  仕事については、

  もう少しやってみたいところも

  ありますが、

  できることはやり切ったと思え、

  悔いはありません。

 

  HSS型HSPは

  新しいことが好き、

  ずっと同じことは退屈で嫌い

  という性質があります。

  

  このため、

  転職を繰り返す方も

  多いそうです。

 

  私は仕事をしている間、

  ずっといろんな部署や

  職務に携わることを

  強く望んできました。

 

  私が転職を

  しなくて済んだのは、

  公務員の仕事が

  転職並みに多岐に

  わたっていたことが

  大きいと思います。

 

  公務員で働いている間中、

  新しい環境や経験を望み

  続けました。

 

  そして、

  音が苦手なので

  静かな環境も望み続けました。

 

  HSS型HSPは、

  音が苦手なのです。

 

  仕事をずっと

  頑張ってきた私ですが、

  それは、

  仕事が好き、

  仕事が得意、

  自分の能力を使いたい、

  自分の能力を試したい、

  上司の役に立ちたい、

  人の役に立ちたい....という

  思いに駆られたからです。

 

  そして、

  自己肯定感の低さを

  仕事を有能にこなすことで

  埋め合わせる側面も

  あったようです。

 

  つまり、 

  自分の存在意義を、

  ただ存在すること、ではなく、

  勉強から

  仕事を成し遂げる有能さに

  依存するように

  なっていたのです。

 

  いわゆる

  他社評価による

  社会的自己肯定感に

  依存していたのです。

 

  そのことは、

  合わない職場の中で

  成果を上げようともだえ、

  人と環境に

  悲鳴を上げて

  適応障害を発症し、

  仕事の能力が落ちたときに

  ものすごく 

  私を苦しめました。

 

  そして、

  自分を追い詰め、

  上司に追い詰められ、

  仕事を辞め、

  何度も寝込みながら

  自分に本気で向き合ったことで、

  だめな自分を含め、

  頑張ってきたことを褒め、

  認められるようになりました。

 

  「辞めた私は逃げていない、

   進む生き方を選んだ。

   自分を大切にできた、

   誇りと経験を

   得ることができた。

   私は

   辛い経験を経ても

   グレずに、

   自殺せずに

   家庭内暴力も起こさず、

   ギャンブルにも宗教にも

   はまらなかった私はエライ!」

 

   と自分を認めることが

   できたのです。

 

  

  合わなかった上司や、

  圧が強くて苦しめられてきた

  人々について、

  許せないことも

  苦しんできました。

 

  それについても、

  「許すことができない自分」を

  否定せず、

  傷ついたことを認め、

  「今はまだ

  許せなくてもいいよ」と

  思うことが

  できるようになりました。

  

  人生は

  思った以上に短いのです。

  「私の貴重な時間を

   腹立たしい人たちに

   使うのはもったいない、

   そんなに暇じゃない」

 

  そう思うことにすると、

  次第に、

  憎しみや腹立ちも

  薄らいでいきました。

 

  ずっと

  私の中で

  姉と比べていた父とも

  和解することができました。

 

  父の中の葛藤や

  苦しみを理解し、

  傷ついた私自身を

  受け入れることが

  できるようになったからです。

  

  もっとも

  もう、父とは

  会うことはかないませんが....。

 

  会うことができないからこそ、

  この和解が

  何よりも大切なのです。

  このことがないと、

  私は前に進めなかったのです。

 

 

  今にして思えば、

  HSS型HSPの私が

  自分に合った人生を

  送るために

  いろいろ厳しく

  辛いことも多かったけえれど

  必要な過程を私は経たのだなと

  思えます。

 

  もちろん、

  時々は心の中が

  そんなに厳しい人生でなくても

  ぼんやりのほほんと

  変化をせずに過ごせたら

  良かったのにと、

  ざわつきますが。

 

  そんな人生は

  私は本当には

  望んではいないのですが、

  ふと、

  思うことがあります。

 

  そして、

  これまで

  多くの方に支えられてきたなと

  思います。

 

  両親、姉、伯母、

     大好きだった祖母...

     心の友となった友人、

  生涯の恩師、

  尊敬していた上司、

  私を認め、

  一緒に頑張ってきた

  同僚や先輩....。

   

    自分が最初から

  存在していない状態を望み、

  朝、普通に目が覚めることに

  失望していた私ですが、

  ここまで

  生きてくることができました。

  

  そして、

  いろいろな経験ができたのも

  この人達のおかげです。

 

  本当に

  感謝の気持でいっぱいです。

 

  今、私は

  新たな出発と

  人生の挑戦を始めようと

  しています。

  

  それは、

  「本当の私」を生きることです。

 

  先日、

  機会があって

  エニアグラム診断を

  受けました。

  

  診断をしてくださった方から、

  「違いを恐れず、

   自分が人と違うことを

   受け入れることが

   あなたの幸せにつながる。

 

   それができていなかったから  

   あなたはずっと

   生きづらかった。

   

   そろそろ

   いい加減に

   その覚悟を持ちなさい」と

   言われたのです。

 

  最近親しくなった方からも

  「自分もあなたと同じ。

   違うことを

   諦めて受け入れたら、

   自分は

   自信がなかったり、

   自分のことが嫌いだった状態から

   一気に突き抜けられた。

 

   あなたも

   人と違う自分を受け入れていこう。

 

   できるから。

   覚悟を持って」と

   励まされたのです。

  

 

  実は、

  私は自分を認めるようになった

  今でも、

  やはり人と違うことに

  恐れと引け目を感じていたのです。

 

  そのことを見透かされ、

  指摘されたのです。

  私は自分でも無意識に

  ブレーキをかけ、

  目をつぶっていたことに

  気付かされました。

 

 

  今後は、

  自分の気持に嘘をつかず、

  HSS型HSPとして、

  人と違った自分を受け入れ、

  自分の人生を

  歩んで行こうと決めました。

  

  新しい人生への

  挑戦・冒険の旅の始まりです。

  

 

  長い間、

  私のこれまでの

  歩みをお読みくださり、

  本当にありがとうございました。

 

 

  明日からは、

  私の中のコアである、

  HSS型HSPについての

  発信をしていきたいと

  思っています。

 

  まだまだ

  知られていないHSS型HSP。

 

  どんなときに戸惑うか、

  どんな素晴らしい性質を

  持っているのかを、

  同じような

  生きづらさを抱えている方に

  お伝えしたいと思います。

 

 

  引き続き

  お読みいただけると

  嬉しいです。

 

  

  明日からはHSS型HSPについての

  書籍を元に気質について

  お話ししていきます。

    

 

 

 

 

 

   に続きます。