世界観episode84~父との思い出と和解(HSP新章⑥)

 

 

 

  前回は、 

  今までの

  許しがたかった

  圧の強い人々、

  適応障害を発症した際の

  上司等について、

  今はまだ許せなくても

  時がきたら許せるかなと

  折り合いをつけたときのことを

  お話ししました。

 

 

 

   世界観episode83~わだかまりと許すことのタイミング(HSP新章⑤)

  

 

  今回は、

  父との思い出と和解を

  お話しします。

 

  小学校1・2年生くらいまでは

  父と私は仲が良かったと

  思います。

 

  保育園には

  父のバイクの

  後ろに乗って

  送り迎えをして

  もらっていました。

 

  

  保育園の組が小さい頃、

  園児が私ともう一人だけになり、

  日暮れが早く真っ暗な冬、

  園の職員室のストーブの前で

  父が私を迎えに来るのを

  ずっと待っていたものです。

 

  お迎えに来てくれた父を

  見つけたときの

  嬉しい気持は

  今でも思い出すことができます。


  海で泳ぐとき、

  立ち泳ぎでブイのすれすれまで

  浮き輪の私を

  連れていってくれたこと、

 

  ときどき

  行きつけの喫茶店に

  連れていってミックスジュースを

  こっそり飲ませてくれたこと

  

  思い出せば

  いろいろな

  楽しかったり、

  嬉しかったできごとが

  ありました。

 

 

  保育園の頃

  父はたばこを吸っていたのですが、

  朝通園する途中、

  自販機にお金をいれて 

  ボタンを押して

  父のたばこを買うのが

  私の楽しみでした。

 

  そして、

  父がたばこをやめたときのこと。

  ーーー

  ヘビースモーカーだった父が

  たばこをやめたのは、

  肺がんを恐れた保育園児の

  私が父のライターとたばこを

  下駄箱に隠したことが

  きっかけでした。

  母から、

  父にはものすごいショックで、

  たばこを私のためにも

  絶対にやめようと

  決めたのだと

  後から教えられました。

 

  当時の私は子ども過ぎて、

  たばこを購入できるのに

  購入しなかった

  父の優しさは

  全く気付いていなかったのです。

 

  そして、

  保育園のころは

  よく父の膝に座ったり、

  腕にぶら下がって

  でんぐり返りをして

  まぶれついていた思い出もあります。

 

  小学校に入り、

  私が勉強ができなかったり、

  いじめられたり、

  伯母が病気になったり、

  父自身が健康を

  害したりして、

  私と父との仲は拗れました。

  

  ですが、

  私が地元に戻り、

  公務員になったことで

  父と私との関係は

  改善しました。

 

  そのときには

  よく父に

  慰めてもらったものです。

 

 

  最初の職場で

  私はつらくて

  毎日泣いて職場から帰り、

  玄関でよく泣き崩れていました。

 

  そんなとき

  父はよく私の頭を

  無言で困ったような顔をして

  なで続けてくれたのです。

 

  言葉にならない

  父の優しさを感じました。

 

  そして、

  両親と一緒に

  父が好きなコンサートに

  つれていってあげたり、

  時々ごちそうを食べに

  連れていったりして、

  それなりに楽しい時間を

  過ごしたものです。

 

  父もよく私の冗談に

  笑っていました。

 

  父にとって、

  私が姉より近い存在になり、

  頼れる存在になったのだと

  思います。

 

  その後

  父が高齢になるにつれ、

  頑固になり、

  脚が不自由になってくると

  優秀な姉の方を

  持ち上げるようになりました。

 

  おそらく、

  私は介護をするのが当然、

  不自由になった分の

  気持の埋め合わせは姉の優秀さで、

  優秀な姉は

  父にとっての誉れ、

  そんな感じだったのだと思います。

  

  そこから、

  父との仲が再び拗れ始めました。

 

  優秀な姉の方を

  自慢に思う父に

  私はいらだちと怒りと

  悲しみを抱き続けました。

 

  今回の振り返りの過程で、

  父は父なりに

  優秀な父の兄との

  比較に苦しみ、  

  祖母の期待に

  十分に応えられないこと、

  健康に優れなかったため、 

  思うような仕事ができなかったことに

  悔いがあったのだと

  気付くことができました。

 

  そして、

  祖母にしても、

  裕福な家のお嬢様だったのに、

  没落し、

  悔しい思いをしたこと、

  優秀な自慢できる子どもを

  持ったけれど、

  早逝したこと、

  そして期待していた

  伯母や従姉妹が

  祖母の思うように

  ならなかったことに

  劣等感を抱き続けていたのだと

  気付き、

  受け入れることができました。

 

  HSS型HSPは、

  繊細で大胆、

  自分が納得しないと

  理解できない、

  集団行動が著しく苦手という

  特質があります。

 

  そんな扱いづらい子どもで、

  優秀な姉との比較で、

  劣等感を抱えた私は、

  祖母と父の2人には

  難しい子だったのだと、

  今なら理解できます。

 

  どちらも、

  それぞれ自分の見たくない物を

  私の中に見出していたからです。

 

  それでも、

  本を読むのが好きだった父は

  私が本を読むのが好きだったのは

  嬉しかったようです。

 

  特に、

  父が若い頃読んでいた

  夏目漱石の「吾輩は猫である」、

  「モンテ・クリスト伯」

  「椿姫」、「マノン・レスコー」

  を私が受け継いで読んだことは

  嬉しかったようです。

 

  「お父さん、この字何?

   昔の字で読めない」

  「お父さん、虫が挟まってる...。」

  

  と告げると、

  嬉しそうに目を細めていたのを

  今でも思い出します。

 

  そして、

  一緒にオペラを見たことも....。

 

  健康を害した父と近くにいすぎると

  自分の要望を聞いてほしい父と

  その要望に応えきれない私との

  関係が生まれ、

  お互いに傷つけあっていました。

 

  子どもとしては

  冷たいかもしれませんが、

  自分を守るためにも

  父との距離をとるように

  しました。  

  

  父とはもう会うことは

  できなくなりましたが、

  父は私に

  自分を許すこと、

  自分を大切にすることを

  教えてくれたように

  思います。

 

  今は、

  もう会うことができないけれど、

  最終的に自分を守ることを

  選ばせてくれた父を

  懐かしく

  そして、

  悲しく思い出します。

  

  父が私に対して

  十分に優しくできなかったことを

  受け入れ、

  私自信が父に

  十分に優しくできなかったことの

  後悔を背負って

  生きていこうと

  思えるようになりました。

  

  父との和解が私にとり、

  大きな痛みを伴うけれど

  自分を認めるために

  不可欠なことだったのです。

 

 

  明日は、  

  私の人生の振り返りの

  最後のお話しをします。

 

  

  

 

 

 

 

   に続きます。