世界観episode77~体調の悪化と退職の決意(HSP社会人後編⑦ )

 

 

  前回は

  人事異動により

  新しく来た係長に戸惑い、

  ストレスが限界になった頃

  HSPの概念に

  出会ったときのことを

  お話ししました。

 

   世界観episode76~ストレスによる限界とHSPとの出会い(HSP社会人後編⑥)

  

 

  今回は、

  ストレスから体調が悪化し、

  25年の公務員を

  辞めようと思ったときのことを

  お話しします。

 

  

  そもそも

  私がいた職場は、

  HSS型HSPが過ごすには

  ストレスが多い職場でした。

 

  狭い執務室に対し 

  多めな職員、

  女性の高音の声

  言葉遣いや圧の強めな方....。

 

  これらは、

  HSS型HSPの苦手な

  ものの代表です。

   

  この環境で、

  それなりな質の集中力を維持するには、

  かなりのエネルギーを使います。

  このため、毎日

  仕事に行って帰るだけで

  私は疲れ切り、

  神経が張り詰めたため

  不眠気味になり、

  しょっちゅう

  偏頭痛を起こしていました。

 

  偏頭痛は、

  強い音や匂い、光、ストレスで

  引き起こされます。

 

  この頃の私は、

  職場のストレスのみならず、

  コロナ禍のために

  常に装着するマスクにも

  大きなストレスを感じていました。

 

  そもそも、

  マスクをすることで

  偏頭痛を発症する確率は

  マスクをしないときに比べて

  高くなります。

 

  というのも、

  マスクをしていると

  自分が吐いた息を

  またすぐ吸うので、

  脳が二酸化炭素過多の状況になり、

  これにより脳血管を拡張させ

  偏頭痛が引き起こされるからです。

 

  また、

  私は匂いに敏感なので、

  常に自分の呼吸の匂いを

  吸い込むのも苦痛でした。

  そして、

  たえず

  付箋布が顔に当たるのも

  ストレスでした。

 

  そうして、

  私は週末に入ると、

  やれやれと

  一気に緊張が解け、

  ほぼ毎週末

  偏頭痛いつも寝込んでいました。

 

  HSS型HSPは、

  常に脳が刺激に反応し、

  働き続けているため、

  脳疲労からの偏頭痛や

  ストレスによる

  自律神経の乱れで偏頭痛に

  悩まされることが多いです。

  

 

  ストレス解消のために

  誰かに相談してきばらしを、

  といっても、

  さすがにもう高齢になった母に

  もう相談するわけにはいきません。

  

  また、

  親しい人に相談するという

  選択肢もありましたが、

  コロナ禍でみんな

  仕事が相対的に

  忙しくなっていたので、

  さらに愚痴を聞いて

  負荷をかけるのは 

  申しわけなくてできませんでした。

 

  愚痴は言わないにしても、

  比較的仲の良い同期と

  お昼のランチとか

  お茶をしながら

  気晴らしをするということも、

  コロナ禍では無理でした。

 

  大好きだった

  一人でふらりの遠出や

  美術館に行ったり、

  映画を見たりという、

  今までときどきしていた楽しみも

  全て諦めていました。

 

  自分の意思で行かないのは

  構わないのですが、

  「行ってはいけない」と

  我慢を強いられるのは、

  かなりなストレスでした。

 

  また、

  それを不満に思うことも、

  コロナで大変な思いの中

  働いている

  医療従事者の方、

  保健師の方々、

  介護施設のスタッフの方々や、

  仕事が減って困っている方々の

  ことを思うと、

  申しわけなく思っていました。

 

  不満が心に浮かぶたび、

  自分を責め、

  自己嫌悪に陥っていました。

  

  仕事が忙しかった時期も

  重なり、

  心身共に限界でした。

 

  HSS型HSPの特性に、

  強制されるのが苦手、

  退屈は苦痛ということがあります。

  

  今にして思えば、

  私のこの時の不調は、

  職場環境のストレス、

  人的ストレス、

  コロナ禍という、

  強力な社会環境のストレスとが

  すべて一遍に重なったことに

  よるものでした。

  

  この重なりは

  すさまじい 

  ストレスとなり、

  私の自己否定を強め、

  自己肯定感は

  引き下げられたのです。

 

  

  夏頃からずっと不眠が続き、

  12時に寝ても、

  1時まで眠れず、

  2時、3時、4時に

  途中で目が覚め、

  朝起き上がれない日が

  続いていました。

 

  何をしても楽しくない、

  食欲なんて特にない。

  栄養摂取ができればよい、

  そんな感じでした。

  

  ほぼ肉や魚は半年以上

  食べられない状態でした。

  食べたくても

  私なんかが食べたら

  申し訳ないと思えたからです。

 

  痩せ細りはしませんでしたが、

  さすがにちょっと

  痩せてきました。

 

  こんな私の状態を

  近くに住む従姉妹は心配し、

  心療内科もしている近くの病院を

  勧めてくれました。

  その病院の先生が

  親身になって

  相談にのってくれたおかげで、

  薬も処方され、

  ようやく眠れるようになりました。

 

  持ち直した、

  これで私は大丈夫、

  やっていけると思いました。

 

  しかし、

  あるきっかけが原因で、

  10月下旬のある日、

  私は起き上がれなくなって

  しまったのです。

  

  適応障害を

  発症してしまったのです。

 

  お医者さんに

  診てもらい、

  3日ほど休みました。

 

  3日で復帰したのは、

  人事異動で

  異動ができなくなることを

  恐れたからです。

  もちろん、

  お医者さんには

  止められましたが....。

  

  

  なんとか、

  3月末まで気持を保ちました。

 

  結局、

  異動ができず、

  3日ほどまたショックで

  寝込みました。

 

  このときは、

  結局もう少し頑張ることにして、

  仕事を辞めるのは

  思いとどまりました。

 

  新年度を迎え、

  係異動もなく、

  それも神様の思し召し、

  心機一転、頑張ろう! と、

  自分を励まし、

  働いていました。

 

  今にして思えば、

  それまでの私なら、

  鳩派の鷹派、

  ダメージを

  さほど受けることもなく、

  受けたとしても、

  翌日には余裕で

  回復していました。

 

  ですが、

  私の心のコップは

  水がいっぱいだったようで、

  溢れてしまいました。

 

  数日休み、 

  散々悩み、

  考えるのが嫌になり、

  生きていると

  考えなきゃいけない、

  でも死にたくはないから

  どうしよう。。。。。

   

  出口のない闇でした。

 

  救ってくれたのは、

  姉と姉の子供の言葉でした。

 

  「自分でも続けるのが

   無理だとわかっているでしょう?

   これがわからなくなっている時点で

   かなりまずいよ。

   今までなら自分で判断できたはず。

   仕事に執着しているだけだよ。

 

   向いていない仕事を

   体を壊してまでするの?

   体を壊したら、

   生きるのが楽しくないよ。

 

   今ならまだ

   壊す前だし回復も早い。

   まだ若いから、

   選択肢もいろいろあるから

   どうにかなるから。」

 

  2人の言葉で、

  目が覚めた私は、

  公務員を辞めて

  新しい道を歩むことを

  決意しました。 
   

  

  理解し、

  想ってくれている人がいる、

 

  これだけで不安に立ち向かえます。

 

 

  姉が私の姉で良かった。

  私には

  私のことを理解し、

  大切に思ってくれる人たちが

  いたのだと、

  この経験で知ることができました。


  

  新しい道を

  試行錯誤しながらも

  元気に前向きに

  歩んでいる今、

  2人は感謝してもしたりません。

  

    

  明日は、

  25年勤めた仕事を

  退職した日のことを

  お話しします。  

 

 

 

 

 

 

 

 

  に続きます。