世界観episode41~大学1年生・人生初の体育での優(HSP大学 生前期編⑥)
前回は、
大学1年生のときの
英会話サークルと
学園祭での出来事について
お話ししました。
世界観episode40~大学1年生・英会話サークルと学園祭(HSP大学生前期編⑤)
今回は、
大学1年生のときの
体育の授業のことを
お話します。
私は体育の成績は
ずっと「普通」。
中学のときも
保健体育の「保健」を
頑張っても
5段階評価の「3」でした。
長距離走がものすごく苦手で、
バスケのフリースローを
テストでは外しまくる
そんな私ですが、
体育が全般的に
できなかったわけでは
ありません。
一応短距離走は
早い部類に入っていました。
反復横跳びや垂直飛び、
高跳びも得意な方でした。
今はもう体が
すっかり固くなっていますが、
中学校3年生のときの、
体操の倒立前転なんかは
2クラス合同の中では
1番最初にできるようになりました。
球技は好きでしたが、
球に翻弄されるため、
成績には結びつかず
下げる要因でした。
私の中で、
体育は苦手な教科でした。
そこまで嫌いではないけれど
何となく自分が人より
劣っていることを
つきつけられる気が
したからです。
そして、
もう一つの理由は、
運動神経は私の方が
良いはずの姉に勝てた
ことがなかったからです。
4歳上の姉は、
高校生になってから
何となく運動ができるように
なったものの、
それ以前はあまり
運動が得意では
ありませんでした。
幼い頃私の家では、
姉は体育が「普通」だけど、
きっと
私は体育が「良い」がつく
だろうなとずっと
言われていました。
ですが、
実際にはそうはならず、
姉は
小学校では「普通」、
中学校では、
「保健」のテストを
頑張ったため、
保健体育の成績は
いつも「4」だったのです。
そして、
「体育の先生」が苦手でした。
体罰を振るわれたことはないのですが、
ただ、
先生の「ノリ」が好きに
なれなかったのです。
努力してもできないものは
できないし、
できないものの悲哀は、
そもそも運動ができる
先生には分かりえない。
このことを
認識していない先生の無神経さが
嫌いだったのです。
このため、
私は
高校卒業後は、
もう体育なんて
絶対やるものかと
思っていました。
ですが、
姉から
大学の体育は楽しかったと
いう話と、
大学の教養科目の選択の
相談をサークルの先輩に
したとき、
ほぼ全員が
体育の履修を勧められたことを
きっかけに
体育を履修することにしました。
姉が私に体育を勧めた理由ですが、
大学の体育は、
中学校・高校みたいに
種目の成績を競う感じがなく、
出席することに意義があり、
そもそも雰囲気が
良かったそうです。
また、
進学校からの受験生は
運動をしてきていないが人が多く、
劣等感を感じず
みんなでのびのび
体育を楽しめたそうです。
多分姉は、
私にある体育の何となく嫌な
記憶を自分のように
消してほしかったのだと思います。
それを聞き、
私は体育を自分の中の
黒歴史で終わらせずに
すむのならと、
体育を選択することにしました。
体育の授業は、
人気でした。
先着順で決まり、
希望の授業に入れない人も
続出していました。
理由は簡単。
出席すれば
単位がもらえるからです。
私は
バドミントンの
授業を選びました。
子供の頃、
ほぼ末は
4歳上の姉と
真剣勝負で1時間以上
バドミントンに興じていたのです。
そのおかげで、
私はバドミントンには
かなり自信がありました。
バドミントンの授業は、
人気でしたが、
滑り込むことが
できました。
というのも、
体育の授業のある体育館は、
大学の敷地の一番奥の方にあり、
駅から遠かったのです。
そもそも
電車の駅から
大学につくまでが
徒歩約25分かかり、
さらに
正門から体育館までは
徒歩約20分緩やかな坂道を
登る必要がありました。
しかも、
私の選択した
バドミントンの授業は、
月曜日の朝1時間目。
1時間目は確か9時からでした。
生徒の多くが、
電車で近隣県から
1時間以上かけて
通学していたため、
月曜日の1時間目は
人気種目のバドミントンといえど、
競争率は若干低かったのです。
体育の授業は、
とても楽しかったです。
こんなに体育の授業を
楽しいと思ったのは、
小学校5・6年生の時以来で、
多分人生初です。
私は
電車の都合で、
大体体育館に入るのが
1番か2番くらいでした。
このため、
授業の開始前に
ほぼいつも
先生と一緒にバドミントンの
ミットを張っていました。
先生は
少しグレーヘアの
肩までのボブで、
真っ赤なジャージが似合う
すっとした、
笑顔の似合う女性でした。
話をしてもとてもからっと
楽しい方でした。
まさか、
体育の先生と
雑談をして
楽しいと思える日が
来ようとは、
私も
思ってもみませんでした。
授業は基本、
試合形式でした。
そして、
基本ダブルスでした。
そのときダブルスを組んだ子と
仲良くなり、
一緒にテニスサークルにも
入りました。
その子とは
卒業後1度しか
会えていませんが、
今でも年賀状のやりとりを
しています。
はっきり彫の深い顔の
さっぱりした性格の
女の子で、
話題も豊富、
しっかりしていて、
話すのがとても
楽しかったです。
驚くことにっ彼女は、
特殊能力を持っていました。
一度見たら記憶する能力です。
大学の授業の時間割は
かなり複雑です。
彼女はそれを一目見て
メモを一切とらずに、
ただ見るだけで覚えるのです。
しかも、視界に入れば
他の学部の時間割まで
覚えているのです。
世の中にはこんな
子がいるんだ。。。
と驚いたのを覚えています。
また、
彼女を通して
帰国子女の子と親しくなり、
考え方の自由さと
主張することの躊躇のなさに
驚いたのを覚えています。
私は、
もともと
バドミントンは得意だったし、
しかも、
ダブルスの相方の子も
バドミントンが
とてもうまかったのです。
しかも、
体育の授業が始まる前に、
結局1.5時間くらい歩くので
私のウォーミングアップは
万全でした。
というのも、
私は
家が駅からも遠いこともあり、
体育の日には、
家を大体7時に出ていました。
雨の日は自転車が使えないので、
駅まで徒歩30分歩いていたのです。
おかげで、
いつも授業の試合中は
好成績を誇っていました。
私は一つだけ
バドミントンで
苦手なものがありました。
それは
スマッシュです。
私は
スマッシュがくると、
反射的に
しゃがんでよけてしまうのです。
私はドッチボールは
小学校の時からずっと
ほぼいつも最後の一人に
生き残るくらい、
球をよけ続けるのが得意でした。
このため、
私の方にスマッシュがくると、
防御できるラケットを
持っていても、
反射的にしゃがんでよけて
しまうのです。
あるとき
この事実に気づかれてしまい、
連戦連勝だったのですが、
苦戦を強いられるようになりました。
ですが、
相方の彼女がしっかり
フォローしてくれたので、
苦戦を強いられても
負けることはほぼありませんでした。
彼女は
スマッシュに怯え、
しゃがんでよける役立たずな私を
おこることもなく、
けらけらと、
「しゃがんだらあかんやんか~」
「もぉ~またしゃがむ~」
と明るく笑い飛ばしてくれました。
「あんたのせいで、
点をいれられてじゃない、
どうしてくれるの?」なんて
きつい言葉を
私にはいたことは
一度もありませんでした。
世の中には、
こんな素敵な子がいるんだ....
今まで見たことがない
タイプの子で、
感動しました。
そして先生も、
「あら~、
またしゃがんだの~
しゃがんじゃだめなんだけどね~」
と明るく笑って終わり。
おとがめなしです。
「まじめにやれ」とか
「ふざけるな、ちゃんと受けろ」と、
私をしかることは
ありませんでした。
失敗したことを笑わず、
こともなげに
明るく笑い飛ばされる
体験は初めてでした。
萎縮しないで
運動をするのは、
小学校卒業以来
初めてで、
本当に楽しかったです。
バドミントンの相方の子や、
授業で一緒だった子達は
みんな和やか。
だから、授業では、
プレーミスしても
誰も相手と険悪にならず、
「だめじゃんー、
頼むわ~しっかりしてや~」と、
相手を明るく笑いながら励まし、
プレー続行。
うまく決まれば、
私含め
「イェ~っ」と
歓声を上げて小躍りして喜ぶ、
そんな感じでした。
この授業を通じて、
相手の悪い面を探して
自分を持ち上げる必要がない人は、
自分に自信を持っていること、
そして、
そんな人は
できない人を嘲笑する
発想がそもそもないのだと
私は悟りました。
このことは、
理論的には理解していても、
そうはいってもそんなこと...、
という私の疑いを
否定しました。
まさに、
百聞は一見にしかず。
人を疑い、
警戒しているのが
常だった私の
18年間の人間観を
大きく変えた経験でした。
今にして思えば、
この経験は、
後々私の中で
自分の態度を省みる際の
指標となったのです。
相手に対して
いじわるな
気持ちになった時や
妙に親切にしたくなった時、
自分の気持ちの淀みを覗き、
隠された本当の気持ちを
確認するのです。
嬉しくない作業ですが、
これをすることで
自分が相手を否定したい
気持ちになっているか、
自分の存在価値を
相手に認めてもらいたいと
思っているのか
分かるのです。
「自然体でできないとき、
それは
私が自分に自信がないとき」
大学の体育で
学んだ一番の発見です。
もともと
バドミントンが得意だったこと、
萎縮せずのびのび楽しくできたこと、
そして
無遅刻無欠席だったおかげで、
私は人生初の
体育で「優」を取りました。
この経験のおかげで
私の中の
長かった体育への屈折した
気持ちが氷解しました。
「やれば私だって
体育がちゃんとできる」
小さな確固たる自信も
もらえました。
HSS型HSPの特性に、
プレッシャーに弱く、
能力を発揮するための
環境を選ぶということが
あります。
大学の体育の授業は、
まさにその通りと
言える出来事でした。
今なら、
母が私に、
大学では
今までできなかった経験を
してほしい、
得がたい友達を得てほしい
と思ったのがよく分かります。
母は、
私が繊細が故に抱く、
がちがちの
固く冷たい信念を
溶かしてほしかったのだと
思います。
両親が私を
大学に行かせてくれたことには、
感謝してもしたりないと
思っています。
次回は、
大学1年生の終わりに
20歳(成人式)の前祝い
でホームステイに
行ったことをお話しします。
に続きます。