昨日からどこと言うことないのだけど体調がイマイチ
出掛けたいところがあったけど諦めて家籠り
家中の窓全開
小掃除と大洗濯
身体の不調の原因はたぶん冷え
昨日歩いている時、左足関節のあたりが痛くなってきたから
家の中は風が通って涼しく気持ちいい
今日はお料理も作らない
その時間を織りものに
織り機に向かうのブログを見たら4年ぶり
2020年
私にとっては一番辛く哀しい年
4年前の今頃
私の左目が黄斑変異と分かって5か月
急に症状が進み、眼科の先生に紹介され伊豆にある大きな眼科専門の病院へ
その病院に黄斑変異専門の先生が
手術まで何度か通院いろんな機械で検査
コロナ禍
そして夫症状も日を増すごとひどくなってきて
自分の目の事、夫の病気の事
本当に今でも思い出したくないほど辛い日々だった
今年1月
織りものをやろうと整径し、織り機にかけたまま4ヶ月以上
南部裂き織の里での裂き織りの織りもの体験がまた私を織り機に向かわせてくれた
織り機後ろ
180目…20目…6羽…30センチ
本当は組織織り(10模様)を織ろうと思ってたけど裂き織りを織りたくなって
綜絖通し
筬通し
糸押さえ
後ろ
丸4年
織り機に触ってない
大丈夫か私
ちゃんと覚えているか
織るのは楽しい
だけど縦糸を織れるようにひとつひとつこなしていくのが大変
途中
間違えたところもあったけど直して
昨日から織り始め
パッチワークに夢中だったころ、息子のものなどいろいろ作りたくて買った布たち
使い切れなかった布を時間がある時に裂いておいたもの
たぶん夫がいたころに裂いてたものだと思う
そ
れがこれ
一応、全部洗濯してから裂いたもの
こちらは古着(私のブラウスやワンピース、エプロン夫のパジャマなど)やインド綿を裂いたもの
裂き織りを織った残り
今回はパッチワークに使いきれなかった裂き布で
一色だけでランチョンマットに
織りもののお供はこちら
10数年前、息子からもらったアップル社のウォークマン
下のスピーカーは仕事を辞めるとき職場の人たちが記念にと贈ってくれたもの
まだまだ現役
時々
このウォークマンに入ってないCDの曲はラジカセで
2枚目は
NちゃんMちゃんママさんから10年以上も前に頂いた布で
シャトルは夫が作ってくれたもの
大量にもらった布
この布で織った裂き織り作品がいちばん多いかも
手元には一枚しかないけど
織りものを習いたいと思ったのは病院勤めをしていたころ
私がリハビリ室に季節ごといろいろ作って飾っているのを見て
患者さんたちがもう着ないからなどと言って着物を
その着物を違う形でと思ったのが裂き織り
夫に仕事を辞めたら習いたいものがふたつ
ひとつはパソコン
もうひとつは織りものと
そのこと
夫は覚えていて新聞にパソコン教室募集の案内が載ってるよと教えてくれ
電話したら最後のひとり
講師たちも優しくて楽しくてそのパソコンの会の会員にもなって
今はもう当時の講師たちも高齢
それにスマホの時代
パソコンを習いたいという人も少なくなって会は解散
もうひとつの織りもの
当時、夫と私はJR東海主催のさわやかウォーキングに用事がない時参加
2014年11月
静岡市由比から新蒲原を歩いた時
何でも知りたがり屋の夫
有形文化財の建物の中に織り機などあったのを見て教えてくれるかどうか聞いて
出店チェックをしている私に
「yuki、ここで織りもの教えてくれるって」
それから話がとんとん拍子
2015年1月から静岡まで通うことに
だけど目の悪い私
大きな織り機を持って通うことはできない
諦める
そう思ってたら夫「送り迎えしてあげるよ」
片道1時間半
講習は2時間
いったん家に戻り終わる時間にまた迎えに来てくれて
月に2回
約2年半
基礎は習得したし組織織りは図面を先生に教えてもらえれば織り機は持って行かなくても
家で織れる
習っている時は裂き織りを教室で織ることはなく家で
色々バッグ
裂き織りを織るのも楽しかったしそれをバッグに仕立てるのも楽しかった
9年前
初めて作った裂き織りバッグ
裂き織りはいただき物の長じゅばん
周りは男性のアンサンブルから(これも頂き物)
今も現役
こちらは2作目
ショルダーバッグ
夫の通院用に
お礼も込めて
ちょっこと入れた朱色がアクセント
夫のお気に入りで何処へ行くにも持って行ってた
これは夫と一緒に…
写真にしか残ってない
悪性胸膜中皮腫という病気と闘いながら
時々「悪いところは全部取ってもらったから大丈夫」と笑って言ってたけど
裂き織りを織りながら夫がいたころの事思い出し胸がいっぱいになり
昨日は泣きながら…
私の願いを叶えてくれた夫へのお礼返し
裂き織り、組織織り
色々織って友達たちや身近な人たちに
今朝の空
西の空
南の空
今夜、もう少し頑張るよ